見出し画像

国は天の写し~ダイアローグ神世七代<上>(『古事記』通読㉙ver.2.01)

※連載記事ですが、単独でも支障なくお読み頂けます。初回はこちら
※神世七代の一代目(国之常立神)から読まれる方は、こちら「通読⑲」からどうぞ。
※本記事のひとつ前のテーマは、神々のくくられ方です。こちらからお読みいただけます。

神世七代かみよななよの物語について、当初に思っていたより連載がだいぶ長くなってしまいました。それに、最近の記事では、硬い感じや現代の考察が続いてしまいました。

そこで、神世七代の第四代についての記事に入る前に、今回と次回の二回に分けて、久々に(「通読⑭」以来!)、稗田阿礼と『古事記』一番の読み手であったであろう当時の皇子とのダイアローグ(対話)を復活させて、これまでの神世七代の物語を振り返ってみたいと思います。


■特別な天つ神

皇子 天之常立神(アメノトコタチの神)は別天神ことあまつかみの最後の神で、国之常立神(クニノトコタチの神)は神世七代の最初の神だよね。

阿礼 おっしゃるとおりです。

皇子 それで、別天神ことあまつかみは特別な天つ神ってことだから、天之常立神(アメノトコタチの神)は特別だけれど、国之常立神(クニノトコタチの神)から始まる神世七代の神々は、普通の天つ神なんだよね。

阿礼 うーん、まあ、そうですね。

皇子 ということは、同じ|高天原《たかあまのはら》に、特別な天つ神と普通の天つ神がいらっしゃるってことだよね。そもそも、特別な天つ神って何だろう?
 天之御中主神(アメノミナカヌシの神)から天之常立神(アメノトコタチの神)まで、全部が独神ひとりがみで、我々には見たり感じたりできないから、それで特別な天つ神というのかな?
 でも、それなら神世七代の国之常立神(クニノトコタチの神)と豊雲野神(トヨクモノの神)も独神ひとりがみだから、最初の二代が別天神ことあまつかみとされていない理由がわからない

皇子の口調は神に対してくだけたものとしているのは、古代は神がまだ権威化されておらず、特に皇族においては身近な存在として、畏れと敬愛と分析の対象であったという想定をしているためです。

阿礼 神世七代は、国之常立神(クニノトコタチの神)から始まります。このことの意味は、|高天原《たかあまのはら》に、我々が倣うべき国ができたということです。
 天つ神様は、皇子には身近に感じられるはず。だからこそ倣うことができるのですが、国之常立神(クニノトコタチの神)以前の神々は、すべて独神ひとりがみでいらっしゃいますから、我々には見たり感じたりできないので、皇子や天皇にも直接にその意を知ることができません。だから特別な天つ神と言われるのです。

皇子 わかるけど、神世七代の最初の二代が別天神ことあまつかみとされていないことの答えになってないよ。

阿礼 それは皇子が二つの別の質問に答える一つの回答を期待しているからです。

皇子 えっ?

阿礼 一つの質問には一つの回答があります。二つの別の質問に答える一つの回答はありません。
 二つの別の質問の答えとなる一つの回答があるように思えるときもありますが、それは、二つの別の質問だと思っていたものが、実は同じ質問を言い換えたり、別の側面から質問していただけの場合です。

皇子 厳しいなあ。確かに、特別な天つ神って何だろう?って質問の答えが、神世七代の最初の二代が別天神ことあまつかみとされていないことの答えにもなっているはずだと思い込んでいたよ。

阿礼 質問というものは、気をつけていないと質問者の答えへの期待が入り込んでしまいます。これは問いかけや願いでも同じです。
期待は、叶わなかったときに相手への落胆や失望に変化してしまいがちですが、言葉として発した質問や問いかけや願いに、言外の期待が入り込んでいたらどうでしょうか?

皇子 質問や問いかけや願いに、相手がきちんと答えてくれていたのに、期待と違ってがっかりしてしまう

阿礼 そうですね。それは不幸な結果です。特に、神々と近しい天皇になられる皇子には、そのことをわかって欲しいのです。

皇子 わかったよ。自分が何を質問しているのかきちんと理解していなくてはダメだし、理解していることがわかるような質問をしないとダメということだね。

阿礼 物事を切り分けて考えることが大事だということです。別天神ことあまつかみが、なぜ特別な天つ神であるのかということと、神世七代の最初の二代が別天神ことあまつかみとされていないことは別の質問なので、答えは別にあります。

皇子 では、質問の仕方を変えるね。別天神ことあまつかみの特別性が、僕らに認知できないことにあるのなら、神世七代の最初の二代も認知できない存在なのに、その二代も別天神ことあまつかみとされないのはなぜなんだい?


■神世七代

阿礼 神世七代の最初の二代は、神世七代の二代であることによって、神世七代として認知できるからです。

皇子 どういうこと?

阿礼 神世七代は、神世七代という一つの世界としてあるのです。そういう一つの世界の中に、認知できない二代があっても、全体を認知できるのだから、別天神ことあまつかみである必要はありません。

皇子 阿礼が何を言ってるのか意味がまったくわからないよ!

阿礼 まず、別天神ことあまつかみというのは、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)から天之常立神(アメノトコタチの神)までの5柱の神から成るひとつの世界です。ここまでは良いですね。

皇子 ここまでは良いよ。その世界や5柱の神々は直接は分からないんだよね、すべてが独神ひとりがみだから。だから、理屈で知るようにしているんだよね。それで、阿礼に講義してもらっている。

阿礼 そうですね。そして、神世七代は、別天神ことあまつかみを写した世界です。つまり、別天神ことあまつかみとは別の世界です。

皇子 どうして神世七代は、別天神ことあまつかみを写した世界だと言えるの?
 国之常立神(クニノトコタチの神)が天之常立神(アメノトコタチの神)の写しだということはわかるよ。でも、神と神とが鏡像の関係にあることが、どうして世界の写しの話になるの?


■聖なる時間の国

阿礼 天之常立神(アメノトコタチの神)と国之常立神(クニノトコタチの神)が鏡像関係であるということが、「天」と「国」とが鏡像の関係にあることを示しているのです。

皇子 確かに、天之常立神(アメノトコタチの神)と国之常立神(クニノトコタチの神)が鏡像関係だったら、天と国も鏡像関係ということになるね。

阿礼 そうです。でもそれは、単に天と国の文字の比較以上の意味を持っています。

皇子 どういうこと?

阿礼 天之常立神(アメノトコタチの神)の「天」とは、天全体や高天原たかあまのはらのことですよね?

皇子 うん。

阿礼 ところが、天之常立神(アメノトコタチの神)の写しとしての国之常立神(クニノトコタチの神)が誕生された時に、天之常立神(アメノトコタチの神)の「天」は、別天神ことあまつかみから成る世界を意味することになります。
 国之常立神(クニノトコタチの神)が誕生されたことにより、「天」には別の意味が生まれたのです。

皇子 ちょっと待って。そこもう少し詳しく説明して。なんで天の意味が変わるの?

阿礼 なぜなら、国之常立神(クニノトコタチの神)は、高天原たかあまのはらに成りませる神だからです。「天=高天原たかあまのはら」のままだったら、天の写しが、天の中に誕生することはありえません。

皇子 どうして?親の写しの子どもが親の胎内に誕生するじゃん。

阿礼 その場合の親は、体内に宿した子を含んでいない存在ですよね。天之常立神(アメノトコタチの神)と国之常立神(クニノトコタチの神)は、天と国という場所の概念以外、まったく同じ存在ですから、体内の子が、子を宿した状態の親の写しの子ではなく、子を宿す前の状態の親の写しであるのとは関係性が異なります。

皇子 でも、人間と神とは違うから、親の写しの子どもが親の胎内に誕生することもできるような気がする。確かに、人間なら、子が誰と結婚するか分からないから、親の完全な写しが子であることにはならないけど、常立神(トコタチの神)は親から生まれた神ではないから、逆に親の写しの子どもが親の胎内に誕生できるんじゃないの?
だって、それに、常立神(トコタチの神)は時間の神様でしょう。胎内の子が大きくなって親と同じになる未来も、その未来が来る前のいまに実現されているでしょう。

阿礼 面白い考え方ですが、部分に全体を含むことはできませんよ。天の胎内に国を宿していて、その国が天とイコールであるなら、国という天の部分が、全体である天を含むことになってしまいます。

皇子 うーん、そうなるのかなあ。天は無限だから成り立つ気がするけどなあ。

阿礼 では、少し角度を変えてお答えしますね。
 国之常立神(クニノトコタチの神)は、高天原たかあまのはらに成りませる神ですが、別天神ことあまつかみではなく、神世七代(かみよななよ)の一代目になります。この一代目というのが重要です。国之常立神(クニノトコタチの神)は、全く新しい時代をお切り拓きになられた神なのです。この全く新しい時代というのは、「国」に他ありません。
 また、新しい時代が始まったということは、それまでは別の時代だったということを意味します。
 時代というのは時間の概念で、「国」というのは空間にかかわる概念です。つまり、神世七代(かみよななよ)とは、別天神ことあまつかみのみが居られた時空とは、全く新しい時空ということになります。

皇子 なるほど。続けて。

阿礼 国之常立神(クニノトコタチの神)が天之常立神(アメノトコタチの神)の写しであることは、「国」は「天」の写しであることを意味します。 
 天之常立神(アメノトコタチの神)と国之常立神(クニノトコタチの神)とは鏡像のような関係ですが、鏡に姿を写すと、その背景までそっくり映ってしまうように、国之常立神(クニノトコタチの神)の誕生は、単に天之常立神(アメノトコタチの神)の写しの神を誕生させただけでなく、別天神ことあまつかみの世界の時空を写した、新しい時空間を誕生させました。それが「国」であり、神世七代の意義なのです。

皇子 なるほど。

阿礼 逆に言えば、国之常立神(クニノトコタチの神)が誕生した時に、「天」は、高天原たかあまのはら全体を指す言葉から、別天神ことあまつかみから成る世界を意味する言葉に指示対象が変わったのです。だから、国之常立神(クニノトコタチの神)は、天之常立神(アメノトコタチの神)の写しとして、それまで天の同義語であった高天原たかあまのはらに誕生することができたのです。

皇子 それまで概念だけだった国が、神世七代という新しい時空間に置かれることになって、高天原たかあまのはらは、そのために分割されることになったんだね。高天原たかあまのはらは、狭くなっちゃったんだ。

阿礼 いいえ、広くなりました。それは神世七代の第二代の働きによるものです。これについては、後でご説明することにして、神世七代という時空間についてもう少しお話しさせてください。

皇子 うん。

阿礼 別天神ことあまつかみの世界の時空を写した、新しい時空間が「国」であり、神世七代ですから、それには、国之常立神(クニノトコタチの神)以外の神々を含んでいるということになります。

皇子 七代あるんだから、それだけの神々がいらっしゃるってことだよね。

阿礼 はい。天之常立神(アメノトコタチの神)は、別天神ことあまつかみの世界を構成する最期の一神であり、別天神ことあまつかみの世界には、それまでに、天之御中主神(アメノミナカヌシの神)から宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂの神)までの四柱の神々が誕生されていました。

皇子 ちょっと待って。おかしなことに気がついたよ。

阿礼 何でしょう?

皇子 国之常立神(クニノトコタチの神)は、神世七代の第一代なんだよね。国之常立神(クニノトコタチの神)が誕生したときに「国」も誕生したっていうけど、国之常立神(クニノトコタチの神)が誕生したときには、神世七代の他の神様は誕生していなかったよ。だから、神世七代の国之常立神(クニノトコタチの神)以外の神々が、「国」を構成することは不可能だよ。

阿礼 よいところに気がつきましたね。

皇子 だろう? 「国」は別天神ことあまつかみの世界の写しじゃないんじゃないの?

阿礼 皇子、天之常立神(アメノトコタチの神)はどのような神様でしたか?

皇子 時の神様だよ。

阿礼 そうですね。天之常立神(アメノトコタチの神)は、高天原たかあまのはらに聖なる時間を完成させました。「瞬間」と「一方向に連続する時」と「永遠の時」の三つの異なる時間が一つであるような超時間をもたらす神が天之常立神(アメノトコタチの神)でしたよね。(「通読⑮」)
 そして、天之常立神(アメノトコタチの神)と国之常立神(クニノトコタチの神)とは、まったく同じ常立神(トコタチの神)で、ただ居られる場所だけが違う神なのでしたね。(「通読⑭」)
 ですから、国之常立神(クニノトコタチの神)が誕生されたということは、高天原たかあまのはらに「国」が誕生したことを意味すると同時に、「国」が完成されたことをも意味します。そうでしたね。
 神世七代の神々は、次に次にと順番に誕生されますが、それは我々にとってそうであるというだけで、高天原たかあまのはらの聖なる時間においては、順番の時も瞬間の時も永遠の時も同じです。国之常立神(クニノトコタチの神)が誕生された瞬間に、神世七代という「国」は完成していたのですよ。

皇子 そういうことなんだね。腑に落ちたよ。でも、瞬間に誕生したのに、なぜ次に次にと七代に渡って誕生したことになっているの?

阿礼 それは、神世七代を見る視座が地上に移っているからですよ。

皇子 どういうこと?

阿礼 高天原たかあまのはらには聖なる時間が流れていますから、そこにおられる神々には、代々続く世代の連続なんて必要ありません。世代が必要なのは我々です。時代の変遷を全体として捉える見方がなければ、国を見ることはかないませんよということを、神世七代が教えてくれているのです。

皇子 じゃあ、神世七代は我らのために生まれてきたの?

阿礼 「ために」なんてことは、高天原たかあまのはらの神々はなさりません。そのことは、神世七代の最初の二代が独神ひとりがみであることからわかります。
 最初の一代は、天之常立神(アメノトコタチの神)の映しですから、独神ひとりがみであることは当然です。でも、二代目の豊雲野神(トヨクモノの神)も独神ひとりがみなのですから、我々のことを相手にしていないことがわかります。神世七代のはじまりが我々に関係ないという神の意志が働いているのですから、神世七代の全体も我々のためにできたわけではありません。それが聖なる時間に神世七代があることの帰結です。

皇子 納得いかないなあ。だって、神世七代が教えてくれているのでしょう。ということは、神世七代は我らのためにあるんだよ。

阿礼 そうではなくて、神世七代は我らのためにあると思うような存在として生まれているのが我々なのです。

皇子 うーん、今の僕には難しすぎて、理解できたか分からないけど、考えて見れば、神世七代は我らのために生まれてきたなんて考えるのは傲慢な考えかも知れないね。それは分かる。

阿礼 とても大切な事ですね。

※タイトル写真は、UnsplashのNicolas Peyrol氏の作品

「ダイアローグ神世七代<下>」につづく

ver.1.1 minor updated at 2021/10/3(「■特別な天つ神」「■聖なる時間の国」の会話をよりわかりやすくするために一部加筆しました)
ver.1.11minor updated at 2021/10/7(「神々のくくり方」を上中下に分割したのに伴い項番を変更しました)
ver.2.0 updated at 2021/10/7(加筆して長くなってしまったので、上下に二分割しました)
ver.2.01 updated at 2022/1/29(ルビ機能適用と冒頭の文章を加筆し、タイトルを変更しました)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?