『古事記』を原文に沿って、アタマから読む機会ってそうは無いですよね。ノベライズされた古事記や、古事記の解説本は、たいていがイザナキ・イザナミの国生み神話から書き始められていて、国生み以前、世界の始原について『古事記』の神話がどう書いているかは、スルーされてしまっています。
現代語に訳された古事記でも、冒頭の神々についてはただ神名が羅列されているだけで、その並びが何を意味しているかの可能性についてまで書かれている本は見たことがありません。
訳した人が学者である場合は、学会で定説がないので、どれかの説に偏った訳書を書くわけにはいかないという事情があるものと思います。
訳した人が学者でない場合は、よくわからない冒頭の神々はスルーという意識が働いていたり、日本書紀の本文に出てこない神々だからスルーという意識が働いていたのかもしれません。
でも、それって、連続ドラマの第1話を見逃すようなもの。後々のストーリーを受け取り損ねてしまいかねません。
イザナキ・イザナミの登場前にも、『古事記』には、なんと15柱もの神々が登場するのです。それらの神々が紡ぐ物語について、『古事記』の原文から最大限に情報を引き出して、通読していきたいと思います。
■『古事記』の表記
では、さっそく『古事記』の原文を見ていきましょう。最初の一文は次のとおりです。
漢字ばっかりです。『古事記』は日本最古の書物で、まだ日本語の表記方法が確立されていないために、原文は、全て漢字で書かれています。
ただ、漢文をベースにしながらも、なんとか日本語らしい表記方法にしようと工夫されています。
例えば、『古事記』4番めの神は、ウマシアシカビヒコヂの神ですが、その神の登場シーンの原文の一部は、次のように書かれています。
國稚如浮脂而久羅下那洲多陀用弊流之時、
これは、
国稚く浮ける脂の如くしてクラゲなすただよへる時、
と読みます。学生時代の漢文の勉強を覚えている人はピンと来ると思いますが、前半部の「國稚如浮脂而」(國は国の旧字体)が、漢文表記なのに対し(「而」は「置き字」)、後半部の「久羅下那洲多陀用弊流之時」のうち、「久羅下那洲多陀用弊流」は単なるあて字です。
「久(ク)羅(ラ)下(ゲ)那(ナ)洲(ス)多(タ)陀(ダ)用(ヨ)弊(ヘ)流(ル)」
ヨロシクを「夜露死苦」と表記しているのとあまり変わりないわけです。
「クラゲ」を「久羅下」と漢字表記するのはいいとして、「ただよへる」を「漂へる」とせずに「多陀用弊流」としているところに、漢文から脱却しようという強い意志を感じます。
ただ、このような漢字だらけの原文を読んでいくのは大変ですし、『古事記』表記を解説したり学んだりすることは本稿の趣旨ではないので、以降は、特に断りのない限り『古事記』「原文」は、漢字表記の方ではなくて、書き下し文(漢字カナまじり文に直したもの)を指すことにします。
あと、書き下し文には、センテンス番号(①~)を振ることにします。
ということで、あらためて。
■天地初発の時
『古事記』の冒頭は、「天地初発の時」(天地初發之時)から始まります。「天地開闢」ではなく、「天地初発」なんですね。
記紀神話などと言われ、同じような内容だと思っている人も多い『古事記』と『日本書紀』ですが、最近では両者の神話はまったく異なったものであることが次第に知られるようになってきました(どう違うのかについては、「『古事記』って何?」に書いています)。
当然、『古事記』の「天地初発」は、『日本書紀』の「天地開闢」とは全く異なる世界の始原をあらわしています。『日本書紀』の「天地開闢」の記述は、漢籍(当時の中国の文献)からのコピペであり、中国の古代思想である陰陽思想に基づくもので、日本古来の思想ではありません。
『古事記』が書かれた当時は、今よりも、もっと、やまとことばと漢語とが区別されていたので、「天地初発」も「テンチショハツ」と熟語のようには読まれていませんでした。
では、どう読むかということですが、江戸時代の有名な国学者である本居宣長は、「天地初発の時」を「あめつちはじめのとき」と訓みました(『古事記伝』)。
「初発の時」だから、<初めて「発」の時>なんですが、「発」はうまく動詞になってくれません。宣長が生きていた当時は、「発けし」と訓まれていたようなのですが、宣長はこれを否定します。
「発けし」だと、「天地開闢」になってしまう(=からごころ)から否定しなければならないというわけです(「開」も「闢」も「ひらく」と読まれる漢字です)。
はじめ天と地が渾然一体となっていたのが、天と地とに分離したというのが「天地開闢」の意味で、分離することを「ひらく」と表現したのですね。
宣長の主張は、「あめつちはじめてひらけし時」と訓読するのは陰陽思想を『古事記』に持ち込む訳であって全くの間違いだ、陰陽思想は日本古来の思想ではなく中国からの外来思想(からごころ)だからだというものです。
ところが、せっかく「からごころ」と分離されていた『古事記』は、戦中の国家神道により、記紀神話として、いっそう強固に『日本書紀』と混同されてしまいました。そして、残念ながら今もその影響が強く残っています。『古事記』の物語も「天地開闢」から始まると思っている人が今も多いのは、国家神道の名残なんですね。
■「天地初発の時」とは、どのような時なのか
では、「天地開闢」とはまったく異なる「天地初発の時」とは、どのような時なのでしょうか。
結論を急ぐ前に、原文を書き下し文にしてみます。
本居宣長流に書き下すと、
となります。ただ、実は、現在ではこのように訓読されることはほとんどありません。
「発」を「発けし」と訓みたくないからと言って、「初発」を「はじめ」と読ませるのは、いささか無理筋だからです(「発」は、どこにいったんだ?ということです)。
それに、「あめつちはじめのとき」では、ただ「はじめの時」と言っているだけで、それがどういう時なのかさっぱりわかりません。
そこで、本稿では、別の書き下しを試みることにします。
「発はし」という書き下しは私の自説です。なぜ「発はし」という訓みにこだわってオリジナルの書き下しにしたのかの理由は、次の注釈のとおりです。
次に、書き下し文を現代語に訳してみますね。
あれ? 短い書き下し文が、現代文になったら長くなったぞ、と思われたでしょうか。
実は、この現代語訳は、いわゆる「超訳」とは逆の方向性で、逐語訳ではなく本来なら註釈とすべきものも含めた訳にしています。
逐語訳をはみ出たところについて、なぜそのような読みになるのかについては、次回以降にしっかり「解説」していきますのでどうかご安心下さい。
■脱訓詁学的読みの可能性(マニアック注釈)
『古事記』に書かれている世界のはじまりについて<下>(『古事記』通読③)につづきます。
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