別天つ神からの委任(『古事記』通読㊳)ver.2.1
■『古事記』冒頭から国生みへ
『古事記』にはたくさんの神々のエピソードがあり、その始まりは一般にはイザナキ・イザナミの国生みからと思われていますが、実際に『古事記』の原文を読んでみると、イザナキ・イザナミは十六番目と十七番目に誕生した神々であり、それまでに誕生した十五柱の神々の物語を受けて国生みがなされていることがわかります。
一般には、十五柱の神々のエピソードが知られていない理由は、おそらく次の2点です。
1については、本居宣長の『古事記伝』にすでに『古事記』と『日本書紀』とを併せ読む態度が見られ、戦時中の国家神道では「記紀神話」が神格化されたこともあり、『古事記』と『日本書紀』とを分離して読むという発想そのものが一般的ではありませんでした。
『古事記』と『日本書紀』とを分離して読むことの重要性が、一般にも理解されだしたのは、東京大学名誉教授の神野志隆光博士の活動に負うところが大きいと思うのですが、『古事記と日本書紀』 (講談社現代新書)という一般向けの書籍が刊行されたのが約20年前であり、まだまだ世の中が混同読みから脱却できていないという状況にあります。
2については、神名の羅列の構造から情報を読み取る態度で冒頭の神々を考察した研究自体が数少なく、それらの研究も諸説相容れず、諸説併記の状態で推移し、一般に研究者の関心も高くありません。
冒頭がわからないと、国生み以降の記述も受け取り損ねてしまうところが出てきてしまうため、諸研究を踏まえながらも、構造的合理的に冒頭の記述を読んでみるということを、これまで『古事記』通読㊲までやってきました。
連載はこれで一区切りと思っていたのですが、冒頭の解釈を踏まえて国生み以降を読むとどうなるかを書いていくのも意味があるのかなと思い直し、もう少しだけ連載を続けていくことに致しました。
以前のように時間が取れず、頻繁な更新は難しいのですが、お付き合いいただければ幸いです。
■「別天つ神」と「神世七代」
『古事記』冒頭のエピソードは、「別天つ神」と「神世七代」の二部構成になっています。現代語訳(拙訳)は次の記事をお読み下さい。
なぜ、そのような拙訳となるのか、他の主な研究者の解釈にはどのようなものがあるのかなどについては、『古事記』通読①から順に読んでいただくとおわかりいただけるかと思います。
それでは、『古事記』冒頭のエピソードを踏まえて、国生み以降の物語を順に読んでいきたいと思います。
■別天つ神の命
この原文⑱は、直訳すれば次のとおりです。
「この漂っている国」とは、「浮ける脂の如くしてクラゲなすただよへる」稚い国のことです。
これは、
「将来神々が暮らす国をどこにしようか、まだ土地の存在しない水に覆われた地に、まるで浮いた脂のように海面上に土地を想定しながらも、海月が漂うように、その場所を決めかねてあちこち照らしている状態」を表しています(参考「『古事記』通読⑪」)。
それを、別天つ神から、「修理め、固め、成せ。」とイザナキとイザナミが命じられます。
1.修理め、
2.固め、
3.成せ。
とは、文脈から、
1.天の浮橋に立って天の沼矛を海面に指し下ろし、
2.淤能碁呂島を造営し、
3.そこに天降って島と神々を産め。
ということを意味します。
別天つ神の理想の国の設計図は、神世七代によって具現化されたので、いよいよその第七代の神々であるイザナキとイザナミによって、物理的に地に国を作ることが命じられたのです。
そこで、原文⑱の現代語訳を補えば、次のようになります。
■繰り返されるモチーフ
別天つ神が神世七代に国の理想像を展開するにあたっては、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジの神)が重要な役割を果たします。アシは即ち男根の象徴ですが、国生みにおいても同様のモチーフが繰り返されます。天の沼矛もまた、男根の象徴と考えられます。
天の沼矛は、イザナキとイザナミという男女に渡されますが、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジの神)もまた男女を超えた独神であり、男根は男の専有物としては描かれていません。
そして、このような性器の性別超越性の思想は、縄文土器にも見てとることができます。
■淤能碁呂嶋
天つ神の、地とのファーストコンタクトは男根の象徴である沼矛によってなされ、その結果、淤能碁呂島が出来上がります。
イザナキとイザナミという男女の交わりによる国生みのモチーフが、ここで先行して示されていることがわかります。
しかし、沼矛はあくまでも象徴であり、天と地との関係も男女という明示はありませんので、淤能碁呂島は男女の行為に拠らない島であると言えます。このあたり、聖母マリアの処女懐胎との対比もあり得ると思いますが、むしろ興味深いのは、『古事記』では、島は男女から生まれていることです。
島は、天と地との間に生まれ、男と女との間に生まれた聖なる存在であるというのが、『古事記』の世界観なのです。
(つづく)
タイトル写真は Nareeta Martin on Unsplash
ver.2.0 major updated at 2022/8/27(「■『古事記』冒頭から国生みへ」を加筆し、また、参考文献を明記しました。)
ver.2.1 minor updated at 2022/9/17(タイトルを「国生みに向かって<上>」から変更しました)
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