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「Mr.クロノグラフ ~100年後も時を刻むタイムレスな機械式時計を生み出した天才ゲルト・R・ラング」 クロノスイス・ヒストリー Vol.2

私は時計職人として、時計を愛しています。
そして、ムーブメントは私が最も愛してやまない時計の大切な部分です。
この時計の心臓部ともいえる箇所をみんなに見せたいと思いました。
最も重要なのは、ダイヤルや針ではありません。
ムーブメントなのです。 

ゲルト・R・ラング

クロノスイスの創設者であり、天才時計技師でもあるゲルト・R・ラングについて、クロノスイスの歴史と共にもう少し詳しくお話しましょう。


天才時計技師

孤高の天才時計師にして、クロノスイスを立ち上げたラング氏。

「この人なくして、機械式時計産業の新時代は語れないだろう」
と言われている彼は、クォーツ全盛期だった時計業界の潮流の中で機械式時計産業を衰退から救い、その功績から時計愛好家の絶大な支持を得た時計界の重鎮の一人でもあります。

Chronoswiss _ Grand Regulator

ブランドを興し会社を立ち上げるも、彼は機械式時計を心から愛し、卓越した時計製造技術を持つ、”マイスター”らしい寡黙な人。
それでいて、自ら手がけてきたコレクションのエピソードをチャーミングで愛情深く、そして少年のように楽しそうに語ってくれる一面もありました。

常に研究を怠らず、時計業界を唸らせるような斬新な時計を発表し続ける天才時計技師と謳われながらも、「過去の職人たちが作った時計を参考にして作っている」という謙虚も持ち合わせていました。

ラング氏はいわゆる会社を経営する典型的なCEO…経営手腕を振るうビジネスマンとしてだけでなく、ブランドを譲渡するその年まで、アトリエで眼鏡をかけルーペを使う、クロノスイスブランドの中心となる時計技師・マイスターでもあったのです。

時計職人への道

ラング氏は、ドイツ北部のブランズウィックという街で育ち、父が見つけてきた地元の時計専門店で同時に時計製造も学べる会社に15歳から勤め、商売の仕方や、伝統的な時計製造の技術を学びます。
驚いたことに彼はそこに通う初日まで「時計技師」という職業すら知らなかったということ。

しかし、彼はここで時計技師としての頭角を現していきます。

4年後。より本格的に時計製造技術を学ぶために、時計産業の本場スイスへ移ります。そこがホイヤー社でした。

Chronoswiss _ Opus

ホイヤー社で時計技師としての経験を積み続け、1968 年にフランクフルトのドイツ支社に派遣された後、1974 年には当時の新しいホイヤーの子会社である Heuer Time GmbH の本拠地であるミュンヘンに移転し、そこで技術部門を指揮を執ります。
トップ時計技師としての才能を認められたラング氏。
しかし、その後拠点は閉鎖…
この頃、時計業界ではクォーツとデジタルウォッチのみが、時計産業を切り開くと考えられていました。
どのブランドでも機械式時計部門はこの時代の波のあおりを受け、部門を縮小せざるを得ない時代でした。

37 歳になったラング氏 は、自宅に修復とサービスを行う自身のアトリエを開くことを決意します。
機械式時計は風前の灯とも言える時代の真っただ中の時。

クロノスイスの物語の始まり

時計の修理工房では、修理パーツとして使用するムーブメントやガラスケース・バックルなどが必要でした。
ラング氏はスイスやドイツを渡り歩き、買い集めていきます。
パーツに使用するものだけでなく、価値ある機械式時計、自分好みの機械式時計も・・・

買い集めたコレクションは修理パーツとして使用していくのですが、そのうちラング氏はこれらのパーツを組み合わせ、自分好みの機械式時計を組み立て始めます。

天才時計技師として、オリジナルの時計作りへの目覚め。

クォーツウォッチが全盛とはいえ、機械式時計を愛する人たちは存在しました。
そんな彼らを中心に、ラング氏の機械式時計は評判を呼びはじめたのです。
ラング氏の作る機械式時計は、マニアにはたまらない逸品ばかりでした。

1983 年に「クロノスイス」ブランドが登録されます。

Mr.クロノグラフ ~ ムーブメントは私が愛してやまない時計の大切な部分

クリスタルのケースバック・・・・

今でこそ普通になった時計の裏蓋にガラスをはめ込みムーブメントがのぞき込める仕様は、ラング氏が開発したもの。

私は時計職人として、時計を愛しています。
ムーブメントは、私が最も愛してやまない時計の大切な部分です。
この時計の心臓部ともいえる箇所をみんなに見せたいと思いました。
最も重要なのは、ダイヤルや針ではありません。
ムーブメントなのです。

ゲルト・R・ラング

ラング氏は、スイス製ムーブメントのコレクターとしても有名でした。
ドイツの自宅地下のアトリエには、約700個~800個近い膨大な量のムーブメントがケース、バックルなどと共に保有されていました。

彼は天才時計技師でもあり、ムーブメントのコレクターでもありましたが、なによりまず機械式腕時計の研究者であり、特にクロノグラフ専門の研究家でもあったのです。

ラング氏が執筆したクロノグラフ・ウォッチ専門書の中でもバイブル的一冊はこちらでご紹介↓。

Chronoswiss _ Chronoscope

クロノグラフへの強い思い入れ、こだわりの強さゆえに、深い見識を持った彼は「Mr.クロノグラフ」と時計業界に属する人たちから親しみを込めてそう呼ばれていました。

この機械式時計のムーブメントへの情熱が、独立系機械式時計ブランド「クロノスイス」としての時計作りへの情熱へとつながっていったのです。

魂の源

自身の秘蔵品をコレクターに手放し、
その資金で新たにオールドムーブメントを入手し、
自分の作りたい時計を製造してきました。
この繰り返しが自分のブランドを立ち上げたいと志した魂の源でした。

ゲルト・R・ラング

とラング氏はブランド設立当時を振り返ります。

そう、純粋に機械式時計を愛し、ムーブメントを愛し、機械式時計に信念を持つラング氏自身の最も信じる時計作りこそが、ウォッチ・マニアを虜にしつづけてきたのです。

100年後も時を刻みつづける時計

最近の潮流であるビジネス重視、マーケティング主導の時計づくりを嫌い、職人魂なくして機械式時計はありえないと考えていたラング氏。

孤高の天才時計師は、レギュレーター式腕時計やジャンピングアワーなど、技術的には過去から存在しつつも忘れ去られつつあった技術を、現代的な機械式時計へと埋め込み昇華させ、世の中とへ送り出していきます。

Chronoswiss _  Perpetual Calender

本記事のタイトルにもご紹介した言葉のように、「100年後」も時を刻むタイムレスな機械式時計、それがラング氏とクロノスイスの理想なのです。

ラング氏は機械式時計の未来と、クロノスイスのDNAとも言える、時計作りを礎を築き上げてきました。
ラング氏の想いこそが、100年を超えて時計業界にこれからも引き継がれていくであろう、タイムレスな価値として息づいています。

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