書き殴り:性違和について

 女に生まれたかった。男女差別、生理、その他諸々を総合してでも、男ではなく女に生まれたかった。


 私はMtF、最近流行りの(本当は流行りなどとは間違っても言いたくないが)言い方ではトランス女性、同情を誘うような言い方をすれば性同一性障害である。おまけに性的指向はやや女性に偏っているバイセクシャルだ。そして今インターネット上に、そして現実に溢れるトランス差別的な言説に絶望し、生の崖っぷちに立っている。

 診断を受けたのは二十代に入ってからであるが、症状は十代の頃からずっと抱えている鬱と希死念慮は年々悪化の一途を辿っており、この半年で五回自死に失敗している。部屋にはまるでインテリアのように吊るされた首吊り用のビニール紐。自室は散らかり放題。鬱から買い物依存になり、二年前に百万円あった貯金はほぼゼロ。それどころか、カードローンを重ねた自転車操業だ。おまけに大好きだった読書は漫画本すら読めなくなり、買って袋から出してすらいない単行本が無数に転がっている。

 生活費とクレカの支払いのために死に物狂いで仕事には行っているが、抗鬱薬をフルで使って最低限をこなすので精一杯、残業なんてとてもできやしない。毎日帰宅すると、電池が切れたかのように倒れてしまう日々である。精神科では休職を提案されているが、仕事が原因で鬱になった訳ではない以上、休んでも意味がないのは目に見えている(そもそも、二年前の鬱が悪化した瞬間に一度休職しているが、結局大した回復が見られないまま薬だけ強くして復職した過去がある。)。

 正直言って、無事に自死を成功させるのは時間の問題であると思う。もうどうしようもない、手詰まりの人生をこれ以上続ける理由なんて全く分からない。


 まず最初に断っておくが、私は趣味や打算で性転換をしたいなどとは微塵も思っていない。むしろ、強烈な自己嫌悪や違和感を味わうことなく男として生きられるのであれば、そうしたかったし、事実大学時代をそうする事に捧げていた。でも出来なかった。つまるところ、死んで性別ガチャを引き直す前の最後の抵抗として、性転換に必要な治療を受けているようなものなのである。



 私が男であること、そう扱われる事に最初に疑問を持ったのは幼稚園の頃である。幼稚園で私は何故か、女子グループの中に自然と混ざって遊んでいた。男子とは、これも理由がよく分からないが、うまくコミュニケーションが取れなかった。それから、「普通の男の子」的な趣味嗜好――例えば車や恐竜、特撮が好きといったような――を持ちつつも、可愛いキャラクターや女児向けアニメ、人形遊びやおままごとのような女の子の遊び(こういう言い方は時代遅れに感じるが)も同じように好きだった。

 そして何より、自分の一人称に「僕」とか「俺」とかを使う事に自分でも意味が分からないくらい強烈な嫌悪感がこの頃から(そして今でも)あった。これらの一人称が嫌すぎるも、「私」を使うのは周りの環境から難しいと思い、「ウチ」「自分」等を使っていたのは今でもよく覚えている。


 小学校に上がると、少しずつ私は自分の趣味嗜好が変だと自覚するようになった。幼稚園の頃から増してポケモンに沼っていた私は、GBAと原作を買ってもらって以来男子ともポケモンで遊ぶようになったが、好きなポケモン(ピカチュウ、ブイズ、プラスルマイナン、サーナイトetc)を挙げると必ずといっていいほど「女みたい」とバカにされた。他にも、TCGや対戦ゲームで気に入っている女キャラを使うと何故か笑われる体験を無数に重ねていくうち、「自分が可愛いものを好む=変」との認識が形成されていったのである。それまでは普通に見ていた女児アニメはだんだん純粋に楽しめなくなり、可愛いものやファンシーなものに対する興味には自然と蓋をするようになっていった。

 そんな私の「合法的」な逃げ場がポケモンカードであった。他の男児向けTCGよりも当時から可愛らしい絵柄が多く、しかもポケモンなら好きといっても(深堀りされなければ)周りになんとも思われない、最高の趣味であった。私は現実から逃げるようにポケカに没入していった。


 小学校高学年の時に転校を経験した。転校先で、私の感じていた違和感は明確に自分の性に由来するものであると確信した。

 転校先の公立小学校は男女仲が非常に悪く、常に冷戦状態であった。私は身体性のみで転校した瞬間「男子児童」の属性を付与され、これまでよりも明確に「男子」として扱われるようになったのである。少しでも男っぽくない部分を見せたり、男子のノリに合わせられなかったりすると即叩かれる環境。当然のように私はいじめのターゲットとなった。単に自分は変わっているだけではなく、間違っている。そんな認識がぐっと強くなった。

 それと時をほぼ同じくして始まった二次性徴。身体中から生えてくる毛に生理的嫌悪を感じ、肌をぼろぼろにしながらひたすら抜き取り続けた。それから声変り。不幸中の幸いで私には高校生まで訪れることはなかったが、周囲を見て自分の声がそんなふうになるのが怖くて怖くて仕方がなかった。こうした身体の変化に対する抵抗感がいじめの経験と重なり、自分に与えられた性別に対する嫌悪と違和が強烈な自己嫌悪を醸成し始めたのだ。
 
 だが、この苦痛を吐露できる場所は存在しなかった。時はゼロ年代半ば、オネエタレントが一世を風靡していた時代である。親はそれらを見て面白がっては、自分の子がこうなったら嫌だと悪意なく口にする。私も当然こんな面白人間と自分は違う、一緒にされたくない、という感情が強かった。一方でテレビ番組を通して性同一性障害の存在も知っていたものの、自分はここまで典型的な女ではない、そもそも男に恋愛感情持ったことないし、と思っており、自分は一体何者なのかさっぱり分からなくなっていた。


 中学校に上がり、私は精神的に病むようになった。直接的な原因は半ば強制加入させられた部活が原因であるが、体育や合唱での男女分けや男子の下ネタも精神的苦痛の大きな構成要素であった。

 私が入学することになった公立中学は文化部が吹奏楽部と「文化部(美術部+家庭科部)」しか存在せず、男子は原則運動部に所属するものとされていた。運動全般が幼少期から大嫌いだった私から見たら、自分の性別のせいで選択肢を奪われたに等しかった。仕方なく入った部活は当然ついていけず、ここで小学生の頃よりも激しくいじめられるようになった。中でもズボンを強引に下されたり、今ならセクハラに当たるような下ネタを浴びせられ続けたり、虫の死骸を投げつけられたりした記憶は今でも時々フラッシュバックする。

 これらの地獄のような日常と加速する二次性徴。日々のあらゆる経験を通じ、自らが男であることに対する恨み辛みを積み重ねていった。

 この時もう既に自死を選ぶ覚悟はできていたし、事実タオルケットで首をくくったこともあったが、まだ踏みとどまれていた。それは小学生の頃から続けていたポケカと、新たに出会ったオタク文化のおかげだ。話すと長くなるのでここでは省略するが、どちらも私の「変な」趣味嗜好を全肯定してくれる世界であり、今もなおそうである。中でもオタク文化に浸かっていく中で知った同性愛や異性装の概念は、行方不明だった私のアイデンティティを再定義するきっかけとなった。持って生まれた性とは異なる格好をすることも、同性を好きになることも、別に間違いとしないし笑いの種にもしない文化圏があることを知れて、一つの居場所を見つけられたような感覚を得られたのだ。


 高校では、自閉的な傾向をとことん突き詰めるようになった。中学時代の地獄のような体験を通し、自分を守るためには極力他者と関わらないようにするのが一番だと思ったからである。事実、陰で色々言われていたようであるし。

 正直言って、この頃の記憶はかなり少ない。とにかく外面を良くするため勉強に打ち込んでいたのがほとんどだ。勉強さえよくできていれば、その他が全てダメでも評価される世界。強迫的な勉強と、心を休めるためのオタク趣味とで三年間はあっという間に過ぎていった。

 性別の問題は、もはや既に諦めていた。恐れていた声変りがやってきて二次性徴が完了し、もう抵抗のしようがなくなっていたからである。本当は興味津々な(レディス)ファッションやJK文化も、全部見なかったことにしていた。その代わり、アニメの美少女キャラクターや自分のオリキャラ(「黒乃レイラ」の原型)に自己投影して、決して現実では満たされない青春を疑似体験していたのである。むろん、この行為は穴の開いたバケツに水を注ぎ続けるようなものであったのだが。結局のところ、自己嫌悪は決して消えなかった。


 そして大学時代。分不相応な大学に入学するまでのプロセスで燃え尽きてしまっていた私は、生きる意味を完全に見失った。中学時代から常に抱えてきた自死の選択肢がいよいよもって大きくなってくる。とはいえ、過去に所属してきた集団で受けていたようないじめは無かったから表向きは楽しく過ごせていたし、積極的にその選択をする理由も特になかった。

 そんな環境で私は、少しでも社会に適応しようと思い、男らしくなろうと試みた。しかし無理だった。女っぽさに蓋をすることはできても、男としての役割を纏うのが無理だったというのが正しい、だろうか。

 まずそもそも、自分には男らしい性欲というものが無かった。性行為や自分の性器には強い嫌悪感をもともと抱いていたし、女性を好きになる感情はあっても、その相手から男として見做されるのが何よりも嫌で恋愛できなかったのである。むろん、男子のそういうトークにはついていけない。そんな私を見て、所属していたゼミではゲイ疑惑を抱かれていたらしく、なんとも言えない気持ちになった。

 それから、いわゆる弱者男性のグループでも私は違和感を忘れることはできなかった。所属していたサークルがまさにそうだったのであるが、TCGで盛り上がることはできても、エロ同人の話で盛り上がることができなかったのだ。そういう話になるたび、私は疎外感を感じていた。

 そして大学生活が終わり、就職活動で鬱を悪化させながらも一応就職先を決められた私は、少しずつ独立を目指して動き始めたのだった。親元を離れ、少しでも自分が好きなように生きよう。この頃から、高校〜大学以来諦めていた性転換という選択が再び顔を見せ始めたのである。


 社会人生活を始めてから一年で、私は念願の一人暮らしをスタートした。ようやく、自分だけの人生を始められる。とはいえ、いきなり性転換を始めるのには覚悟が足りていなかった。そこで私は、生活の中に女性的な要素を少しずつ取り入れていくことにした。中性的なレディス服、少女/女性向け漫画、可愛い小物、美容……。ずっと蓋をしていた気持ちが、ほんのりと満たされていくような気分であった。

 だが、そうすればするほど、自分の性別に対する嫌悪感は増していく一方であった。職場で、プライベートで、何かと男として扱われる。「彼」「◯◯君」と呼ばれるのがとにかく嫌。大学時代は呼び捨てか「さん」付けが当たり前だった故に忘れていたミスジェンダリングの苦痛が、環境の変化により再び蘇ってきた。

 気がついたら鬱は取り返しのつかない程悪化し、私は休職を余儀なくされた。

 休職中。私は自死のことばかりを考えていた。でも、計画ばかりで実行するほどの気力が残っていなかった。それに、性転換という選択肢がまだ手札に残っている。迷った末、私は死ぬ前にこの最後のカードを切ることにしたのだった。

 それから、私は髪を伸ばし、メイクを勉強し、ジェンダークリニックに通い始め、女性ホルモン治療をスタートした。性同一性障害の診断はガイドライン沿いながらもスムーズに降りた。診断書を手にして、保険証の名前を自分で決めた通称名に変えた時はすごく嬉しかった。

 ところが、それ以降私の性転換は停滞してしまった。職場で、プライベートで、カミングアウトし、見た目を変えても相変わらず続く男扱い。嫌だと言っても続けられるミスジェンダリングにデッドネーミング。職場では通称名の使用さえ許可されなかった。これがあれば正式な改名もとっくに済ませられていたはずなのであるが。

 プライベートでは趣味の界隈を一つ去ることになった。こうしたSOGIハラや一部界隈人のTERF的な言動に反抗したら、大多数の界隈人から絶縁されたからである。

 そして現在に至る。周囲の無自覚なSOGIハラと、様々な所に溢れるTERF的言説に、私の精神は限界まで削られてしまった。もう私に手札は残されていないし、頼れる味方もいない。

 やはり、人生リセマラが正解なのだろうか。

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