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【とーこさんへの感謝を込めて】「善」の現れ

くまちゃんブログにて。
読んだ後、なんとな~く
こころの片隅に残ったご質問がありまして。

とーこさんのご質問です。

実はこの内容、わたしの課題でもあるんです…😭

一応、自分なりに出した答えはあるのですが、
なかなか言語化できなかったのです。
それでずっとモヤモヤしてて。

でも、昨夜シャワーを浴びてたら
急にインスピレーションが降ってきたので!
(またシャワー中か~い😎)
書けるところまで、書いてみます✨️

ほんとは、遅まきながら
今からコメントにこっそり残そうかな~って思ったんですが…
思い切って記事にしちゃお‬🥺テヘペロ

いや、ごめんなさい、おふざけが過ぎました💦
とーこさん、僭越ながら、書き起こすことをお許しください…!

♥・*:.。 。.:*・゚💌・*:.。 。.:*・゚♥

わたしはいつも、くまちゃんブログのご質問を拝読したとき…
「もし友人が同じ相談をしてきたら、わたしならどう答えるだろう?」と想像します。
(そして、その想像と人智を超えた八幡様のご回答にマーカーしながら、毎度感服します…。)

それで、とーこさんのご質問を読んだ時…。
まず瞬間的に思ったことは

「善」

でした。すべて「善の現れ」だなぁって。
そして、もうひとつ思ったことが、「とーこさんの観察眼、審美眼って、凄いなぁ~✨️」です。

でも…。
特に前者についてですが、
このわたしの思いを友人にどう説明しよう?
と考えても、どうにも言葉にできない…。

それに、これはわたしの課題でもあるぞ…
だから言語化したい…!!!

と 唸っていたのですが。
やっとインスピレーションもらえたので😎
忘れないうちに記録!!!✍️

♥・*:.。 。.:*・゚💌・*:.。 。.:*・゚♥

とーこさんは…。
きっと、ふだんから人の良さに気づくのが得意でいらっしゃって…。

ご質問を拝読し、
ご家族やお友達、職場の方に対して

「素敵なお召し物ですね~!」とか
「それかわいいね~♡」
「髪切ったのー?似合う似合う~👏」

といった言葉が、普段からさらさらっと出てくる方なのかなぁって思ったんです。(超~勝手なイメージですみません💦)

だとしたら、これって本当に本当に!すごいことで…。
わたしは周りに無頓着すぎて……そもそも人の良さに気づけない鈍感人間なので🙄
ご質問を拝読して、本当にすごいなぁ、と思って。

もし、↑の想像がハズレだったとしても、
人の良さを認める、褒める、という行動は
結構勇気のいることだと思います(少なくとも、わたしの場合は…)。

上から目線に取られたりしないかなーとか
トンチンカンなこと言っちゃったりしないかなーとか。

わたしは結構、そんな余計なことを思っちゃうタイプです…伝えベタなので…。
だいたいは、そんなの杞憂だと思うんですけどね😅

で、わたしには
素直に褒め言葉を相手に言えない理由がもうひとつあります。

それは相手がご不在のとき!!笑
それか受け取り拒否のとき!!笑

もう、想像しただけで嫌で~す。笑

丹精込めて焼いたクッキー!
相手の良さへの感謝を込めて、めっちゃかわいくデコった。傑作だぁ😆
きっと、あの人に食べてもらえたら、もっと元気になってもらえる!はず!

でも。
まずいって言われたらどうしよう。
食べてくれなかったらどうしよう…。

わたしはこう思ってしまう節があります。
「ありがとー!いただきまーす!😋」って言ってくれたら気持ちいいけれど、
「いや、そんなんいらないし(媚び売ってるの😒?)」
って思われたら嫌なんだもん(気にしすぎー。)

だからなかなか安心して、褒め言葉クッキーを渡せない…。
(結果を気にしすぎて動けない、、、わたしが幼い頃から持ち越している、とっても悪い癖です😇 一生をかけて克服します。反省…。)

♥・*:.。 。.:*・゚💌・*:.。 。.:*・゚♥

でも、とーこさんはクッキーを渡すことができるのですから、本当にすごいなぁ、と思います!!!
その愛の行動に、尊敬を送ります…!!!

しかし、クッキーを贈った相手がご不在(居留守)だと、残念ですよね。
たまたまその時、相手はクッキー食べたい気分じゃなかったんですよね…
たまたまチョコが良かったんですよね、きっと😔
そうわかっていても、つらいものです。

そこでわたしは、ご質問の一連の出来事を
鳥になって、俯瞰して見てみることにしました。

このとき、わたしの胸をかすめていったキーワードがあります。
それは、「善」。

(「僕アニ」より引用です。ご質問の角度はちょっと違うのですが、通ずるものはある気がして。この記事の内容も、すべて「善」です。イメージの参考となりそうなので、貼ってみます🙏)

♥・*:.。 。.:*・゚💌・*:.。 。.:*・゚♥

「すべてのことには、タイミングがある。」

と、わたしは思います。
言葉にしてみると平たいし、「うん、まあ、そうだよね」って感じですが…。

さて。
ここでわたしが言及したいのが、「事象」と「欲求」のバランスについて、です。

「欲求」といえば、
「こうなってほしい」「○○してほしい」
と思うこと。ですね。
で、この欲求こそが、全ての苦しみの元凶になっているといっても、過言ではないでしょう。

そうはいっても、欲求は人間に生来備わっているものですから、欲求を抱くのは人間として至極真っ当であり、自然なことです。…といいますか、我々は欲求がなければ生きていけません。だからいいのです。欲求バンザイ。

でも、欲求が叶わないとき、相手や物事が思い通りにならないとき、苦しみが生まれてしまい…
そして、行き場のない苦しみが、また苦しみを呼んで……気づけば苦しみの連鎖となってしまうんですよね。
これはなんとか断ち切りたいところです。

よく、スピ界では
「サレンダーしなさい、手放しなさい、流れに委ねなさい」ということが言われます。
けど、こちとらそれが難しいから、こうやって苦しんどるんじゃ~~~~~い!!!

♥・*:.。 。.:*・゚💌・*:.。 。.:*・゚♥

…ここで、インスピレーションの言語化チャレンジ!
😎「このとき、起こったことをただの「事象」として捉えてみよう。
相手の振る舞いは、『ただ、そのように起きている』だけ。
そこに、判断や解釈を持ち込まない。
あくまで、相手の反応を中立なものとして捉えてみる。」

で、その具体的なやり方なのですが。。。
心のなかでその「事象」(状況)と「欲求」(思い)を「描写」します。

一例ですが…

「さぁ~~~今日も明るい朝がやってまいりました!外は晴れ!いい気持ち!最高!さあ、テレビをぽちっと……はあ、事件のニュースばっかり……な~んかわたしまで暗い気分になっちゃう……。ま、いいや、とりあえず洗濯しようっと。洗濯物をかき集めて、ピッ。スタート。………え~ちょっとあなた~なんでこんなところに靴下脱ぎ捨ててあるのよ~も~、今からまだ洗濯間に合うかな~、え~もう脱水しちゃってるじゃ~ん、ほんっっとに何回言っても言ってもあなたは(以下略)」

ははは、これじゃ描写じゃなくて実況ですね😅
でも、こうして言葉にしてみると、「晴れ」「事件のニュース」「脱ぎ捨て」という「事象」から、「こうしてほしい」「こうだったらいいのに」という「欲求」が生まれて、これだけのプラス、もしくはマイナスな感情がドミノ倒しのごとく、自然に発生しているんですよね。

こうして実況しながら、一歩引いて事象を見てみると、
もはや反射的ともいえる自分の思考回路が、客観的に浮かび上がってきます。

じゃあ、どうすればいいんだよ。という話ですが、
「欲求」から、自動で感情が起こってるんだ、ということに気づくだけ。
本当にただそれだけで、感情を俯瞰することができます。
つまり。

「晴れ」という事象から、「明るい気分」が引き起こされる。

「雨」という事象から、「ブルーな気分」が引き起こされる。

「脱ぎ捨て」という事象から、「怒り」が引き起こされる。

「ポイ捨て」という事象から、「残念な気持ち」が引き起こされる。

と、思いがちですが。
これらのあいだには、じぶんの「欲求」がある…ということが、見落とされがち。

「あ、わたし、晴れてほしかったんだ~」
「あ、わたし、いいニュースを見たかったんだ~」
「あ、わたし、靴下を洗濯機に入れてほしかったんだ~」

「あ、わたし、ゴミを持ち帰ってほしかったんだ~」

「あ、わたし、相手にクッキーを食べてほしかったんだ~」

「あ、わたし、相手に褒め言葉を受け取ってほしかったんだ…」

「あなたは素敵な人だって認めていることを、わかってほしかったんだ。」

ひとつひとつが、良い・悪いではなくて、ただただ「欲求」を言葉にするだけです。

そうすると、視点の変換が起こります。
「ヒトゴト」じゃなく、「ワタシゴト」になります。

「欲求」を感じている「わたし」→相手に対する「感情」

の、矢印の自動的な反応が、
スパッ!!!と。ペンチで切れます。

「そっか。『わたし』は、相手にこう在ってほしかったんだ。」

「そっか。『わたし』は、相手に『こうしてほしい』と期待していたんだ。」

「だから、悲しかった」んだな。

そうやって、気づいて、言葉にして、
「ワタシゴト」になった瞬間。

なんと。自分のことを認められています。
「そうか、わたしってこうだったんだ。」

と、気づくことが、「認めること」
だとすれば…

あら、わたしって、なんて認め上手、
なんて受け取り上手なのかしら…♪

です!

♥・*:.。 。.:*・゚💌・*:.。 。.:*・゚♥

https://note.com/orilare/n/ne4d5d96d7545

そこで、こちらの記事にもリンクしてくるんですが、

存在を、悪しきことと思うこともできれば、善きことと思うこともできる。
だから、事象をどう思うかって、結局自分次第だったりする。

タコをゲテモノと思うのも、おいしそうと思うのも…。

女郎蜘蛛を気持ち悪いと思うのも、キレイと思うのも…。

ぜんぶ自分次第、だったりする。

もっというと、

宝くじが当たった!「ラッキー」。
でも、そのあとに泥棒に入られて、全部持っていかれて「サイアク。アンラッキー…」。
けど、家族一丸となって事業をはじめ、宝くじ以上の収益を得て「なんだかんだでラッキー!」。

という感じで、
その時々では「ラッキー」「アンラッキー」でも、
長いスパンで見たら、評価って容易に変わります。
死ぬ間際にどう思うかは、今の段階では未知数。

「だったら、もう、ぜんぶ「善」だと思っちゃおう!
思い込んじゃおう!
起きている事象すべてが、未来の「善」のために起きているんだ、
だから、すべてのことには最適なタイミングがあるし、
相手がどんな反応をしても、これで万事オールオッケーなんだって
自分なりに納得しちゃおう~!」

と、記事を読んで思いました。
(やっと言葉にできた~!)

♥・*:.。 。.:*・゚💌・*:.。 。.:*・゚♥

でも、こうして自分なりの解を導き出したところで、
相手に言葉を尽くさなければ、はじまりもしないわけです💦

だから、わたしはこれから、相手を思う気持ちを。
言葉にしていかなきゃ。

高野くんみたいに。

褒め言葉だけじゃなくて、時には強い言葉も、愛を持って届けなければならない。

そして、

https://note.com/orilare/n/n0d83bbfc16ce

たとえ、表層意識は問題を抱えて
不安と不信で荒波が立っていたとしても。

魂や精霊さんたちと通じている潜在意識には、愛の言霊は届いているはず。
だから、相手を思う言葉は、たとえ受け取り拒否されたとしても
30%は受け取ってくれる。はず。

もし、愛と信頼の道が相手にできていれば、100%届きます…よね!

ですから、まずは「愛のこもった言霊」を発することからはじめます。
とーこさんを見習って。
受け取り拒否されてしまっても、それを「マイナスなこと→中立な事象」ととらえなおして、
さらに「中立な事象→善の現れ」と思い込んで、
前に進んでいこうと思います。

♥・*:.。 。.:*・゚💌・*:.。 。.:*・゚♥

最後になりましたが…

とーこさん!
いつも大変お世話になっております。
とても素晴らしいご質問、本当にありがとうございました。

わたし自身、幼少の頃から、
親に「好きだな」って思うこと、熱中したいこと、将来進みたい進路(白血病を治すお医者さんになりたかった)を認めてもらえず、

「お前は、冷徹なサイコパスだ!何もできないお前なんかが社会に出て、なにか成すことができるわけがない、だからお前は親の言うことを聞け!!!」

と否定され続けていたことが、心の傷になっています。
(わたし、深く関わらないと気づかれない程度ではありますが、若干自閉気味なんです…それもあって、周囲に冷たい印象を与えてしまうのかもしれません。これも、乗り越えたいところです)

そして、その傷や自分の思いを抑圧しすぎて、
自分では気づけないくらいの心の深海に、沈めておりました。
だから、人の良いところになかなか気づくことができない人間ですし、
自分のいいところなんて全然わからないですし、
人を褒める言葉も、周囲に対する尊敬の念も、全然足りていません。

でも、大人になってからは、もう恨みっこなし。
これは「善」への道。わたしが強くなるために、すべて必要だったことです。
だから、これからは、自分の弱点を自分で気づいて、自分で殻を破っていかねばなりません。

とーこさんのご質問のお陰で、
いまの自分に足りないこと、今まで逃げていたことを、自覚いたしました。
だから、まずはとーこさんのように。
相手への思いを言葉にすることから、はじめていこうと思います。

いいと思ったことは、「いいな」で終わりじゃなくて、
自分がそうならないと、自分から動かないと、変わっていかないなって思うから。

がんばります。

とーこさん、ありがとうございました!!!

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