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ご相談 その25. ゴミの存在について (くまちゃん風呂敷プロジェクト)

「キヨナカ」さんからのご質問

復活ありがとうございます!

僕アニの大ファンでした。講演会や一途ライブに参加していたあの頃がとても懐かしく、とても救われました。

約9ヶ月前より「街のゴミ拾い」を始めました。たまたま大きなゴミを拾ったときに「すごく気持ちイイ〜感覚」になったことがきっかけで今に至りますが、決して「世のため人のため」とか「徳を積む」といった崇高な気持ちは微塵もありません。

ひとつご質問したいことがありまして、
職場の昼休みに、ある神社のゴミ拾いもやっておりまして、
ここは境内と公園が一体化していることと、地域柄、やんちゃな住民が多いことから、境内で飲食したコンビニ弁当や空き缶、空き瓶、タバコの吸殻などがたくさん捨てられてます。神社とは本来は「神聖な場」ですよね?

これは絶対にアカンんやろ〜!と、自分が行けるかぎりですが、いつも綺麗に拾って片付けています。

それで、この神社の神様やお稲荷さんは「境内にゴミを捨てる人たち」に対して、どうしてそんなに「寛大な心」でいられるのしょうか?神様の本音が知りたいと思いました。

ゴミを拾うことよりも、捨てないことの方が大切だなと常々思います。

完全に、同感です。キヨナカさん! 素晴らしいです。

本当に、ありがとうございます!

9 ヶ月間のゴミ拾い継続なんて、頭が下がって逆立ちまでしちゃいたい気分です。

僕は、ポイ捨てする人を見たり、道路にゴミが捨ててあるのを見たり、公園のゴミ箱に溢れ散らかったものを見るたびに、軽い憎悪が湧いてきます。

先日なんか、いつもお参りしている神社の参道から少し離れた場所に、ハンバーガーショップのパッケージの残骸がこれ見よがしに捨てられているのを見た時は、藪の中に入ってそれらを拾いながら舌打ちをしていました。

きっと心無いヒトがポーイと投げたに違いありません。人が入れない奥の場所に落ちていたから分かります。

なぜ人は、ゴミをみんなが見える場所に、わざと捨てることができるのでしょう。

しかもハンバーガーショップのお店から遠く離れた、わざわざ僕の地元の神社にまで持ってきて、堂々とそこに捨てる気持ちが、全く判りません。

ですからもうこれは、憤りしかありません。

ですよね。八幡様!


ゴミ問答

八幡様:「なぜ憤る必要があるのでしょうか?」

僕:「ちょ! まさかの反応! 」

八幡様:「アニキが憤る理由を教えてください。」

僕:「いや、だって! 公共の、みんなが使う道路にゴミが落ちていたら気分悪くないですか? 悪いですよね! はい悪いです!」

八幡様:「説得したい気持ちが強すぎてアニキが一人増えてますよ。私から言わせれば、ゴミも風景の一部です。」

僕:「いえいえいえいえい!あ、イエイになっちゃった。違う! あり得ません。八幡様ともあろう方が、こればっかりは間違っていますよ!」

八幡様:「ほう。では聞きます。ゴミが景観を損なうとしたら、海岸線の大量のゴミは、見て見ぬふりですか?」

僕:「え?」

八幡様:「さらに言えば、全国的に広がっている放置された空き家はゴミにはならないのですね?」

僕:「空き家? まあ、いっぱいありますが・・・。」

八幡様:「瓦は落ち、壁は崩れ、トタンは剥がれ、窓は割れ、どこからどう見ても廃屋になっているものも、そのままで良いのでしょうか?」

僕:「うぐ。。。」

八幡様:「もう一つ言うと、大量に車が捨てられているところもありますが、あれもそのままで良いのでしょうか?」

僕:「あ、いえ、それとこれとは・・・違うと思います。」

八幡様:「そうですか? 人の目から見ると、家とか車とか海のゴミは悪ではないのですね?

仕方のないことだと、諦めているのでしょうか?

これを何とかしてほしい! と思わないのでしょうか。

せめて行政に頼んで『景観が損われるから撤去してほしい』と、誰も言わないのでしょうか。

憤るのはそこであって、ポイ捨てされているゴミは、キヨナカさんのような意識の高い方が気づいて、笑顔で拾っていくことで済みます。

しかも、それだけ何度も何度も神様に感謝されることになりますので、それはそれでありがたいことではないでしょうか。」

僕:「まあはい、そうなんですけど。いや、じゃなくて、ううーむ。。。」

八幡様:「どうしました?」

僕:「えっと、なぜか、なんだろう。心の中が、モヤモヤしますね。

八幡様のおっしゃっている事は、多分正しいのだと思います。しかし、どこか視点がずれているような気もしています。

僕の考え方を変えなくちゃいけないのかなあ。ちょっと話しながら整理してみていいですか?」

八幡様:「どうぞ。」

僕:「ゴミのポイ捨てはまず、人としてやってはいけないことなのではないでしょうか。これは、社会のルールです。

少なくとも僕は、間違っていることとして認識しています。

もし、みんなが真似して、どんどんポイ捨てをし始めたら、日本全国ゴミの島です。

ましてや、神聖なる神社に対しゴミを捨てるなんて。他の場所ももちろんダメですが、敬意の欠片もない所業に、僕は腹が立つのです。

八幡様がおっしゃっている、この地球上にうち捨てられたゴミをそのままにしておく人間の目は正しいのか?  の答えですが、これはいわば、大きなポイ捨てですものね。

小さなポイ捨てに憤ってる僕と、大きなポイ捨てを無視している僕が、心の中で戦っています。で、結論としては、どっちもだめじゃん。」

八幡様:「はい。だめですよね。」

僕:「どちらも、風景の一部として捉えようとしても、そこまで心を広くしてしまうと、問題意識というものがなくなってしまう気がします。

ああ、八幡様、これは凝り固まっている僕に対して、しっかり考えるきっかけをくださったのですね?」

人類の試金石

八幡様:「まだまだ足りませんが、よく深めました。

そうです。ゴミ問題と言うものは、真っ向から立ち向かっていかねばならぬ、人間の生き様であり、未来へ残すための仕組み作りであり、ゴミを活用して新しいものを生ませるための試金石にもなり得るのです。」

僕:「ゴミを活用してというのは、再利用すると言うことでしょうか。いや待てよ、ゴミの活用法っておっしゃいましたね。

どんなものに、ゴミを活用できるのか。もし、そこをみんなで懸命に考えれば、いろんな案が生まれてくるような気がします。」

八幡様:「今日は冴えていますね。そうなんです。

ゴミという存在を、邪魔な存在である。と思いこんでしまえば、それはすぐに邪魔なものになってしまいます。

それは人間でも同じです。」

僕:「人間でも同じ、とは?」

八幡様:「あいつは邪魔だ! となってしまえば、人間の意識の中で即、邪魔者になってしまい、扱いが酷くなっていきます。

扱いが酷くなると、それをしている人の姿を見た人が、同じように、人への扱いを酷くしていってしまいます。

集団は、一斉に人の扱いを酷くし始めると、その存在が『無』になってしまうまで叩きのめしてしまう性格を持っています。それがいじめです。」

僕:「た、たしかに。」

八幡様:「ひとつ、お伝えせねばなりません。ゴミの活用法をお伝えする前に。

この世で邪魔なものなど、ひとつもありません。すべては風景の一部なのです。」

僕:「そうか、そういうことですか・・・。ゴミすらも風景の一部と言う意味が少しわかりました。邪魔なものではないのですね。その存在すら意味がある。

わかりました。ちょっと僕、ゴミを捨てた人の本当の心の中というものを、少し覗いてみたいと思えてきました。」

八幡様:「いいですね。やってみましょう。もしかすると、アニキの心の中で、ハンバーガーショップのゴミを神社に捨てた人を、この世の邪魔者にしてしまうところだったのかもしれません。

ゴミを捨てた人ですら、邪魔者ではないと想像し、考察しましょう。」

僕:「はい。やってみます。おそらく、ゴミが散乱していた理由は、少し匂いの残っていたものを、カラスがついばみ、ビニールを破ったから。

少しでも食べるものが残っていないかと探した結果、あのように汚く広がってしまったのだと思います。」

八幡様:「あの場所には、鳥がいっぱい住んでいますね。」

僕:「そうですね。特にカラスが多いのです。

でも僕はカラスのせいにしている訳ではありません。生命を維持するための嗅覚が、あのゴミを探し当てたことがすごいと思います。

ゴミの中にはカップが2 つあったので、2 人分のゴミがそこにはあったということです。」

八幡様:「ではなぜわざわざ、2 人はそこにそのゴミを持ってきたのでしょうか?」

僕:「もしかすると、あそこは島だし、海沿いで風光明媚な場所でもあるので、2 人で一緒にハイキング気分で食べようと持ち込んだものなのかもしれません。

しかし、そこは観光地として整備されているわけではありませんので、ゴミ箱はありません。出したゴミは持ち帰るのがルールです。そのルールを知らなかったでは、済まされない行為がポイ捨てです。」

八幡様:「しかし、明らかにポイ捨てになってしまっていますが?」

僕:「いや、きっと何か理由があったのだと推察します。」

八幡様:「いいですね、ゴミの状態から、人の気持ちを推察すること。それは、まるで風景を眺めるが如く、自然に、穏やかに、中庸(ちゅうよう)の心で見定めることが肝要です。」

僕:「中庸の心。難しいですが。。。」

八幡様:「どうぞ続けてください。」

中庸の見定め

僕:「その2 人はおそらく、まだ食べていないハンバーガーショップの袋を持ち、長い階段を上がっていったのだと思います。

どこで食べようか、かなり悩んだはずです。

座るところもないし、ゴミを捨てるところもない、しかも、この島を一周するには、かなり時間がかかるし、相当疲れます。

探して探して、探し抜いて、海の見える大きな岩の前にたどり着いたはずです。」

八幡様:「しかし、そこにも座るところは無いように見受けられますが?」

僕:「ちょっとしたテーブルになるような大きさの岩はあります。そこに、ハンバーガーとジュースのカップを置いたのだと思います。」

八幡様:「なるほど。石の上に、ハンバーガーとカップを置いた。つまり彼らにも、それが風景の一部として認識されたと言うことになりますね。」

僕:「はい。もしかすると、その風景を見て、不自然さを感じなかったのかもしれません。

その人たちにとっては、それはまだゴミではなく、自分の胃袋を満たすものであり、喉の渇きを癒すものでもあったのですね。

つまりそれはゴミではなく、人間に必要なエネルギーを有している食材を守ってくれる容器だった。しかしすべてそれらが胃の中に入った後、その容器は二度と使うことのないゴミになりました。」

八幡様:「もし、この人たちが最初から捨てるつもりだったとしたら、その岩の上に置いたままにしてもおかしくありませんよね?」

僕:「はい。ですので、ポイ捨てをするつもりはなかったことになります。そこではゴミを袋に入れて、ひとつにまとめました。

それを持って歩き、暑い日差しの中、ゴミ袋と一緒に神社にお参りしたのです。ただ、神社に入る時は、手に何も持たず、身をきれいにして行かねばなりません。

ゴミは、鳥居の外に置いておくべきだ、と感じたのだと思います。

入り口付近のこの場所に置いておき、参拝が終わった後でゴミを持って帰ることにしました。神社を汚すつもりがなかった証拠としては何もありませんが、きっとそういうことだったのだろうと推測します。」

八幡様:「そのゴミ袋を置いた場所が悪かった、ということですね。

そこは野鳥の島です。ハンバーガーのいい匂いに誘われて、その2 人がお参りをしている間に、鳥がついばみ始めた。

やがてそれは少しずつ移動し、まるで違うところに持っていかれてしまい、ゴミが散乱してしまったのでしょう。

お参りを終えて帰ってきた2 人は、さっき置いたゴミがどこにもないことを知り、もしかして誰かが持って帰ってくれたのではないだろうかと考えました。

それは大変申し訳なかった・・・と思いながら、感謝して、ゴミを持って帰ってくれたであろう人に手を合わせました。」

僕:「そうなりますね。つまり、この話には、憎むべき相手がいません。

もちろん、悪意を持ってポイ捨てをする人も、何も考えずにポイ捨てしてしまう人もこの世の中にはいると思います。

しかし、もしかすると、その悪意すら、何か深い理由があって、ポイ捨てせざるをえない状況になっていたのかもしれないと考えることもできます。」

八幡様:「はい。どこを探してもゴミ箱を設置していなくて、行政への不満が爆発して衝動的に捨ててしまうことも考えられます。

『ゴミが捨ててあった』という最悪の結果だけを見て、誰かのせいにして、プロセスすらデフォルメして『きっと悪意で捨てた!』と否定的に考える事は簡単なのです。

今回のように、ルールが破られていることを目の当たりにし、現場を見ていないにもかかわらず、ゴミを捨てたであろう人のことをさげすみ、怒り、舌打ちをする、アニキの小さな心に、問題提起をさせていただきました。」

僕:「はい。途中で気づきました。ややもすると、この世はそういう小さな怒りの感情で、渦巻いているのかもしれません。

僕だけではなく、多かれ少なかれ、皆が持っているのかもしれませんね。。。」

八幡様:「さて今回のご質問の答えですが、キヨナカさんは既にこうおっしゃっています。」

ゴミを拾うことよりも、捨てないことの方が大切だなと常々思います。

僕:「はい。まったくおっしゃるとおりです。」

八幡様:「ゴミはなぜ出るのか、と申しますと、人の欲求のなれの果てです。

食べたい欲求、服を着たい欲求、車に乗りたい欲求、家に住みたい欲求、細々としたたくさんの欲求の中にまみれて、人は生きています。

なるべくゴミを出さないようにしようと思っていても、どうしても出てしまうものなのです。

大きくても小さくても、使えなくなったものはゴミとして選別されてしまいます。

そこで、ゴミを出さないようにするためには、もちろん企業努力もありますでしょうし、ゴミそのものを活用していく方法もあります。活用するという頭を持って、全員で知恵を絞ってみれば、様々な活用法が生まれてきます。」

活用法を考える

僕:「あー、そうでした。活用法を出してみようというところから、かなり脱線してしまいました。」

八幡様:「ゴミを出すことによって、この地球が荒れ放題になってしまう。さらに、若者たちにゴミを道端に捨てさせないようにしよう。と考えた人は、すでに、様々な活用法でゴミを生かすことを考え、実行しています。」

僕:「最近はリサイクルなんかも、かなり発達していますよね。」

八幡様:「はい。これは大変有効なゴミ活用法のひとつと言えます。

まず、ゴミを再生可能な材料に分解していき、それを溶かせるチップとして工場に出荷して、また新しい製品を作る方法です。

今はプラスチックや紙製品が主なリサイクルになっていますね。他にも、全国のクリーンセンターのように、捨てられたゴミを燃やしてできる熱や電力で、新しいエネルギーを使った施設を作る方法があります。

さらに、生ごみですね。有機廃棄物と言いますが、それを分解して、堆肥を作ることができます。食品廃棄物や、植物の廃棄物を再利用して土壌改良材として活用しています。」

僕:「あ、テレビでそういうの見ました。」

八幡様:「再生ではなく、再利用をする場合もありますね。使い捨ての瓶やカップや、樹脂を使った容器や袋などを洗浄して再利用するのです。

他にも、金属も資源の一つですね。特に電子ゴミからの貴金属回収は、最近では相当な量が出ています。」

僕:「電子ゴミ?」

八幡様:「電子機器やPCからの金や銀や銅プラチナなどを回収します。これにより資源を回収、再利用し、深刻な電子ゴミの廃棄物処理の問題を少なくしています。

そしてこれからの動きとして、アップサイクルがあります。ゴミを溶かしたり、解いたり、細かく切断することにより、全く別の、高い価値のある製品に変身させてしまいます。

布廃材を使って、画材にアップサイクルしたり、建築廃材を使って、家具やカトラリーを作ることができます。」

僕:「めっちゃ詳しい。。。つまり、ゴミを捨ててしまうことより、ゴミを使って循環させることが大事なのですね?」

八幡様:「そうです。キヨナカさんのおっしゃる、拾うことより、捨てない知恵と勇気。と同じく、捨てることより、ゴミを殺さない知恵と勇気です。」

僕:「そうか! ゴミを邪魔者にするのではなく、ゴミを生かすってことですね!?」

八幡様:「そうです。ゴミは、もともと邪魔な存在ではありません。汚く見えますが、人間が便利に移動させることができるように作られた愛の結晶ですから。使ったら、ポイ。では愛が無さすぎます。

しかし、現代ではゴミとして捨てなくては、あっという間にゴミ屋敷になっていってしまいます。」

僕:「はい。そこは悩みの種です。」

八幡様:「ちなみに昔の豆腐屋さんは、お客自身が鍋やボウルを家から持って出て、購入しておりました。

さらにもっと昔は、麻で編んだ繊維でくるんだり、陶器の器を使ったり、藁で編んだものを使ったり、鮑の貝を合わせて使っていたり、近代では風呂敷が使われていたりました。」

僕:「あ! 風呂敷! いいじゃないですか!」

八幡様:「そうですね。皆さんがエコバッグをよく使っているかというとそうではなく、いまだに買い物袋はビニール袋を使っている方がいらっしゃいます。

あれは便利で、あるとそれをそのままゴミ袋に使えたり、仕分けをするために使えたり、保管しておいていざという時の緊急バッグにもなり得ます。その便利さを捨てることができるかどうかが鍵になるかもしれませんね。」

僕:「考えてみます。ゴミを減らすために、ビニール袋を使わないこと。

さらに、今使っているエコバッグを風呂敷に変える理由。

『日本の文化リバイバル』をテーマにして繊維業界に光を当てるのはどうでしょう?」

八幡様:「いいですね。続けてください。」

僕:「これは昔の着物の再利用にも繋がっていけます。

布の温もり、手触り、使いやすさ。洗濯して何度でも使える気軽さ。他の人とは違うファッションで、勝負。風呂敷でおしゃれって、素敵です。」

八幡様:「しかし、やはり巷ではエコバッグが主流ですが?」

僕:「はい。僕も10 個くらい持ってます。でももうありふれていて、大量に作られていますのでやはり安っぽいし、同じようなデザインが多くて、個性が少なく思います。

もちろん、エコバッグも良いのですが、そろそろ新しく「風呂敷族」も世の中にフィーチャーされても面白いと思います。

『古い』が『新しい』世の中になっていく気がしてきました。時代は繰り返します。

そうだ。まず僕が作ってみようかしら。」

八幡様:「アニキが、作りますか?」

風呂敷プロジェクト

僕:「はい。作ります。一度作って、使ってみて、そこからですね。

買い物するときにビニールの買い物袋を欲しがってしまう僕みたいな人に、あえて提案いたします。

たとえば風呂敷に直接ゴミを入れても、さっと洗えれば衛生的にも問題ないと思います。仕分けをしたり、緊急バッグにする場合も、実は風呂敷で対応できます。むしろ可愛くって、しかも便利です。」

八幡様:「実に面白いですね。しかし風呂敷の素晴らしさは、数年に一度、全国的にもお得情報として出回りますが、なかなか定着しません。」

僕:「たしかに。それはなぜでしょう?」

八幡様:「日本人の性格があります。化学薬品がたくさん入っている食材はとてつもなく安いですが、危険の少ないオーガニック食材はその3 倍以上値段が張ります。ほとんどの方が、安さを選択します。」

僕:「ああ、分かります。たとえ体に悪いと知っていても・・・。」

八幡様:「安い方が良いと判断してしまうのです。だって、みんなが買ってるから、みんな一緒だから大丈夫。という根拠があるからです。」

僕:「みんなで食べれば・・・ですか。」

八幡様:「さらにその根底に流れている問題として、所得の低さもあります。

たとえば風呂敷一枚が、良いもので5,000 円するとします。

一方、ビニール袋は5,000 円で1,000 枚買えます。

風呂敷で一年に1,000 回も買い物はしません。

つまり、損をしてる感覚になります。ビニール袋の方が、得な感じがするのです。しかし、風呂敷はおそらく50 年は持ちます。好きなデザインのバリエーションを揃えていくだけで、買い物も楽しくなってきます。

そう考えると、断然お得です。」

僕:「50年! そんなに保つのですね? たしかに、僕のおばあちゃんが作ってくれた風呂敷は今でも残ってます。」

八幡様:「丈夫で、優しいのが風呂敷です。」

僕:「なるほど。風呂敷を選ぶ方がお得ですよ。こんなメリットがありますよ! と言えなければ、僕がそれを作ったとしても、買ってくださる人は存在しないということですね?」

八幡様:「そうです。アニキはどうやって庶民の皆様を味方につけますか?」

僕:「使っていただくのが一番です。」

八幡様:「その通りです。」

僕:「プレゼントします!」

八幡様:「ダメです。」

僕:「ええ!?」

八幡様:「安易です。アニキの悪い癖です。タダで差し上げることで生まれるのは、商品の価値の減少です。

消費者はもちろん嬉しいと思うでしょうが、それはやがて価値が薄くなって使わなくなり、本当の幸せを得られないまま、捨ててしまいます。無料ではダメです。」

僕:「では、僕が今まで買いためた人形用の布を使って、オリジナル風呂敷を作ります。それを、皆様にお届けいたします。代金は、5,000円いただきます!」

八幡様:「手作りの風呂敷ですね。デザインはどうしますか?」

僕:「布が色々ですので、全部同じにはなりませんが、きっと可愛くなります。僕が心を込めて縫います。」

八幡様:「少し時間がかかりそうですね。」

僕:「そうですね。すみません。完成してお送りするまで、かなり時間がかかると思います。それでもいいよって思った方は、遠慮なくどうぞ。

型紙を作って、どんどん切っておいて、一気に縫っていきますので!」

八幡様:「風呂敷の使い方自体を知らない方も多いと思いますが?」

僕:「であれば、風呂敷の使い方講座も僕なりに制作して、ご覧いただきます。

もちろん、僕が作ったものを買わなくてもお店で購入してくださってもいいですし、お家にある風呂敷を引っ張り出してきてもいいです。

エコバッグやビニール袋からの脱却をしていく面白さを体感してみていただきたいと思います。」

八幡様:「アニキが作った風呂敷を、捨てる人がいると思いますか?」

僕:「はい。もちろん、縫製がへたっぴで、心がこもってなかったら、捨てられてしまうと思います。そうならないように頑張ります!」

八幡様:「人の愛情が見える商品は、捨てづらくなっていきます。

ですので、結論は、捨てられないほどの素敵なデザイン。人の思いを入れ込んだパッケージデザインを、企業または提供する側が考えること。

もう一つ付け加えると、ゴミとして捨てやすいパッケージを考え出すのも大切です。

ゴミなのにそれが再活用できる形状に変化したり、ゴミそのものが芸術作品になったり、ゴミなのに頬擦りしたくなるくらい愛らしい存在になったりと、工夫していけばゴミは増えても、風景の一部として愛されていきます。」

僕:「ゴミに頬ずり! それは素晴らしい!」

八幡様:「となるように、これからますます、人間の知恵の出しどころが増えていくのではないでしょうか。」

僕:「本当ですね。捨てる人を悪くいう前に、そうなってしまったプロセスに思いを馳せること。

そして、そうせざるを得なかった理由を推察し、ゴミがよく捨てられてしまう場所の環境を整えたり、そもそものパッケージデザインや、機能性のあるデザインができているかどうかを考え直すこと。

あとは何より、手作りの商品をあえて増やし、捨てにくくする方法も必要であることがわかりました。

いやあ八幡様、今日も勉強になりました。キヨナカさん。社会派なご質問を、ありがとうございました!

皆様。もしよろしければ、これから作る風呂敷を応募してくださいませ!」

受注生産!

八幡様:「受注生産で、商品の価値は 5,000 円と決めずにやりましょう。」

僕:「え? どういうことでしょう。」

八幡様:「みなさんに価値を決めていただくのです。しかし、最低価格だけは設定しておきます。一枚2,000 円です。

そうすれば、アニキはじめスタッフの人件費、制作費、梱包代、配送代、消費税はかろうじてですが保てます。」

僕:「はい。でも、残りの額はどうなりますか?」

八幡様:「このnoteには、気に入ったら『サポート機能』があります。風呂敷をお求め頂いた方は、その機能を使ってアニキに自由にチップを払う、という方式にするのはいかがでしょうか?」

僕:「なるほど! 僕も異存はありません。受注生産ですと、無駄がありませんし、目標も立てやすいです!

では、ご注文フォームを作り、ご希望の方は、お名前とご連絡先を書いていただくようにすればよろしいでしょうか?」

八幡様:「そうしていただきましょう。」

僕:「ご興味のある方、よろしくお願いいたします。お支払いは代引きでやることにします。発送前にメールはいたします!」


八幡様:「心を込めて手作りするものは、顔が見えますし、心が宿ります。それをおいそれとは捨てられないのが人間の素敵なところです。

長く使っていただけるように、良い布で、丈夫に、しかも使いやすく作りましょう。久々のミシンの登場ですね。」

僕:「はい、人形を作る時にしか使っておりませんでしたので、ワクワクします!」

おわりに

キヨナカさん、いかがだったでしょうか?

今回のご質問のおかげで、ゴミ問題に深く触れられ、風呂敷制作の話にまで発展しました。ありがとうございました!

埃をかぶって、いずれ捨てられる運命にあった僕の小さなミシンも、これで活用できますし、使わなくなった布たちも今、大喜びしています。

まずは作ってみますね。(でもお時間はいただきます。気長にお待ちください)

おかげさまで、また新しいチャレンジができます。ありがとうございます。

それではまた次回、元気にお愛しましょう♡

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