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小学校卒業と娘を通して学んだこと

3月20日、小学校の卒業式。

思えばこの6年間、いろいろなことがあった。

子どもたちの世界も、なんていろいろなことがあるものなんだろう。まさに社会の縮図。

だから逃げても逃げても、環境は違えど、きっと同じ体験が舞い込んでくるものなんだと思う。

子ども時代の負の出来事からの学びというのは、大人になる前に、そして、親が見守れる間に起こるべくして起こるものなのかもしれない。大人になってから、そして、ひとりっきりになってから学ぶより、ずっと楽なのかもしれない。

でも、大変だったね。偉かったねって言いたい。


小学校一年生のとき

ひらがなもまるっきり教えてこなかったので、国語の教科書を一生懸命丸暗記して、字を読んでいるふりしてたね。頑張らせちゃってごめんなさい。

今の時代から逸脱した幼児教育に憧れてしまった私の責任です。本当にごめんなさい。

ベテランの担任の先生で、本当によかった。親子共々、救われました。ありがとうございます。



小学校二年生のとき

生まれて初めての男の先生で緊張してたね。でも頼れるようになって、そして、信頼できるようになって、一緒に遊んでもらえてよかったね。

でもまだまだ子ども世界は狭くて、いつも同じお友達と一緒にいたね。

そして、アトピーで手がザラザラしてて、手を繋ぎたくないと言われ、ずっと傷ついてしまっていたね。

でもあのとき頑張って体質改善したおかげで、今があるんだと思う。風邪だって、一晩で治っちゃうくらいパワフルになってきたもんね。



小学校三年生のとき

手作り好きの先生に出会えてよかったね。何もないところから何かを作る、という楽しさを教わったね。

まぁ、ちょっと雑だったけど・・・というか、未だに君は雑だけど、ま、それもいっか。でもいつか、人のペースに合わせたり、慌ててしまうのではなく、自分のペースでじっくりと丁寧に何事に向かい合ってほしいって思ってます。



小学校四年生のとき

だんだんと学校の話が減り、お友達の話のほうが多くなってきた時期。女の子は、目端がきいてて怖いよ(笑)。

交換日記を始めて、初めて人間関係の難しさを肌で感じた時期でもある。

友達だと思っていたのに悪口を言われたり、いいときだけ言い寄られたり、いいように利用されたり、そんなことを体験し始めたとき。

きっと今までもそういう体験はあったのだろうけど、初めて気づいた時期なんだと思う。人との距離感を学んでいたのかもしれないね。

傷つけちゃったことも、傷ついたことも多かったと思う。だから、よくお腹痛くなってたね。

それも防衛本能なんだと思う。仮病じゃないよ。そういうときは休んでいい。体も心も温めようね。



小学校五年生のとき

クラスが荒れたね。学級崩壊とまではいかないけど、喧嘩やいじめが多かったね。

いじめってなんだろうね。

きっと全員がいじめを体験してる。大小はあるけど。

みんなと平等に接するのは、とても難しいこと。大人だってできない。でも、その人のことをよく知らないから「変」「嫌い」って思っていることも多いよね。そういうときは、その人自身と話さなくちゃいけないよね。悪口言う前に。

自分が嫌だと思うことを人にしない、と言うのは容易いけど、自分の傷ついた心を置き去りにしてもいけないって思うよ、ほんと。

自分だけが我慢する必要も、いい子ぶる必要もない。だけど、人も我慢させちゃったらいけないよね。

そしてこの時期、大人をクールに見定める能力がつく。

先生も親も、どこか冷ややかな目で観察される。

大人の嘘、偽善、欠点なんて、すぐに見破られる。

だから、大人も下手なことを言わない。たとえ子どもでも誠実に、そして嘘のない付き合いをしなくてはいけないと、大人も学ばされる時期。



そして最終学年、小学校六年生のとき

側湾症と診断され、治療の開始。あれから毎日ストレッチを続けてるね。まだ先は長そうだけど、頑張ってる。

そして、お友達に姿勢のことを指摘されても平常心、偉い!

でもこれで分かったと思う。自分のことを大切にしてくれる友達と、そうでない友達の違いが。辛かっただろうけど、これからはちゃんと人を選んでほしいな。そしてそれと同時に、信頼するという力も必要になってくるんだと思う。一緒に適度に力を抜きながら頑張っていこうか。

そして、ゆるゆるでなんでも許してくれる先生との出会い。

きっと今の時代、間違っても、できなくても許してくれる、そんな先生が必要になってるんだと思う。

世の中、ストレス多すぎ。

でも、オアシスみたいなクラスでよかったよ。

これもなんでも許してくれる先生のおかげだね。みんながどんどん優しい顔になっていくのを見れて、なんだか安心しました。



この6年を通して、正義とは何なのか、そして、そこで傷ついてしまった心を癒すものは何なのかを、考えさせられたように思います。

人の体の欠点、性格の難点、どうしてもできないこと、人と違うこと、そんなことを指摘するのは誰でもできる。でも、それが「正義」として映ることもたくさんある。

でも、でも、そこを指摘されて傷つくことってたくさんある。いや、指摘されることで、全てが傷ついてしまうのではないだろうか。

じゃあ、どうする?

そこを癒すものは、「許し」しかない。みんなで愛そう!と言えるほど、私もまだ成長していない。だから、それを子どもたちに強制できない。

でも、「許す」ということは、成長していない私であってもできることなのかもしれない。成長中の子どもたちでさえも。

欠点を許す。人と違うことを許す。できないことを許す。他者に対して、そして、自分自身に対しても。

すると、いつしか「許し合う」という愛が生まれているのかもしれない。

できなくっていい。欠点なんてたくさんあってもいい。お互い様だもん。そんな許し合う関係が築けたらいいよね。どんな人とも。

子どもの世界だけでなく、家族という小さな世界、学校という世界、そして、大人の世界でさえ、欠点ばかり挙げ連ねて正論で相手をねじ伏せてくる。勝ったつもりになれるのかもしれないけど、どれだけの人たちを傷つけてしまっているのだろう。その傷ついて置き去りにしてしまった心たちのほうが気になる。

ちょっとのことでいいから、許せないものなのだろうか・・・

そんなことを、子どもの世界を垣間見ながら学んだ日々でした。

私も少しは成長できただろうか。





ゆるゆるで優しい世界をつくりたい。


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