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【まとめ】ミステリーの書き方 野沢尚編

登場人物に厚みを持たせる方法

小説を書くときに、一人称にするか、三人称にするかはいつも悩ましい。

一人称であれば、物事を主観的に書ける。
主人公に寄り添うような視点になるので、より没入感がある。
一方で主人公が関わっていないことは描くことができないため、複数の場面が同時に進行するような構成にはしづらい。

三人称は客観的にも、一人称寄りの視点にもできる便利な方法だ。
極めれば司馬遼太郎みたいに「この後、この人物はこんな結末をたどることになる」みたいな神の視点で語ることもできる。

作家は、登場人物の視点を通じて世界を描いていくわけだが、一人称に寄り添いすぎると、日常の場面を描写するのがすごく難しくなってしまう。

たとえば最寄り駅から自宅に帰るとき、どれほどの人が周りの風景を意識しているだろうか。

徒歩何分かかるのか、どんな飲食店があるのか、人通りは……なんて、いつも気にしてはいないだろう。だが、そこまでリアルにしてしまうと、小説として成立しなくなってしまう。

その解決法が面白かったので紹介したい。
「ミステリーの書き方」より、野沢尚のテクニック。

「日常」に「非日常」を潜ませることで、やっと「日常」を描くことができる

たとえば見慣れた自室を描くのなら、ドアを開けたらむっとした空気が立ち込めていた、など、いつもと違う様子を出してやればいい。

個人的には、とくに物語の冒頭において、「日常」に「非日常」を忍ばせるテクニックが大事だと思う。

物語とは基本的に、日常→非日常→日常という構造で成り立っている。最初の日常をおもしろくするためには、すでに非日常的なことが起こっている方が良いのだ。

そのテクニックが存分に発揮されている一例が「涼宮ハルヒ」だろう。

主人公のキョンが通う学校はなんてことない普通の高校だが、ハルヒという一風変わった女の子が、これまた変わった自己紹介をすることで、非日常へと変わっていく。

ともすれば日常が続きかねない学校生活に、キャラクターの設定をいかして非日常をこれでもかと詰め込んでくる。

それこそが物語の基本であり、腕の見せ所だと思う。

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