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69年 田原米子さんメディアに初登場

小田急新宿駅で飛び込み自殺を図り、いのちはとりとめたものの、左足のひざと、右足首、左手は付け根から、そして右手も親指、人差し指、中指の3本を除いては失ってしまった女子高生(1955年)。
田原米子さんは、人生問題に悩み(生きている意味が分からず)、母親の死をきっかけに電車に飛び込んだのだった。

信じがたいことだが、入院中にキリストを信じ、「まだ3本も指が残っている」と感謝する生き方になり、自分の人生を他の人々のために使うことを決心した。

NHK「こころの時代」で気さくな口調で話している米子さんの言っていることによると、初めて「祈った」時に、自分で思いもしなかった大きな変化をもたらされたのだった。人を励ます生き様を明るく力強く語る声に圧倒される。

*NHKラジオ「こころの時代」田原米子さんへのインタビュー「神に生かされて」(聞き手・金光寿郎さん)<ラジオ深夜便で再放送>
https://www.youtube.com/watch?v=PhQm0ft1N9U

後に書籍『生きるってすばらしい―田原米子--愛と奇跡と感動の生命賛歌』(講談社、1982)や、映画化もされ、その生き様を通して、多くの人々を励まし、またキリストの救いに導いた彼女だが、米子さんのことを最初に全国に報じたのはこのクリスチャン新聞記事であろう。

沖縄本土復帰が3年後に迫る1969年、米子さんの連れ合いである田原昭肥さん(首里福音教会牧師、全国家庭文書伝道協会=EHC=沖縄事務所主事)が東京のクリスチャン新聞を訪れた際に、本土との関係における沖縄の痛みや願いについて語ったことをクリスチャン新聞が1面トップの記事とし、その同じ号の5面に、米子さんの記事が載っている。

この記事を通して、広く米子さんのことが知られるようになったのである。
クリスチャン新聞が担ってきた役割として、これまで知られていないがクリスチャンで「こんな人がいる」「こんな企てが始まっている」ということをいち早く伝えることがあったと思う。
それに他のメディアが追従するかたちで周知されていくというパターンが、少なくとも、インターネットの時代以前にはあったと思う(米子さんの場合、講談社、NHKにまで至った)。

このクリスチャン新聞記事では米子さんは、EHCの働きによって戸別配布された伝道文書(トラクト)を読んで、応答の手紙を書いてきた人々の、沖縄の窓口となり、彼らと文通して人生相談に乗り、キリストの救いに導く働きをしていることが記事になっている。

記事の中に、娘と共に米子さんの姿が捉えられている。その左に載っているのはトラクトを読んで、キリストを信じる決心をした少女からの葉書。
――わたしは「世界をつくったのはだれ」をよんでイエスさまにしたがうけっ心をしました。それは、イエスさまが、わたしたちのかわりに十字架につけられたからです。それはイエスさまがどれだけわたしたちをあいしていたかがわかるからです。(沖縄・国頭郡神本部村、A.T.ちゃん)

その後米子さんは全国を駆け回って、イエス様のことを伝えるようになる。
クリ時旅人こと私も、中学生の頃、米子さんを主人公としたドキュメンタリー伝道映画を観た記憶がある。

そんな米子さんもすでに、2005年天に召された。

*NHKラジオ「こころの時代」田原米子さんへのインタビュー「神に生かされて」(聞き手・金光寿郎さん)
https://www.youtube.com/watch?v=PhQm0ft1N9U

クリスチャン新聞1969年11月23日号5面


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