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父の入院

父が入院していた関係で、しばらくバタバタしていた。

退院したので、こうしてnoteに戻ってきたけれど。

書く事は癒しなのねぇ、、、と書く事に時間が取れない日々を過ごして改めて思った。

家族が入院しているというのは、それだけで削られてしまう。

私のように、「最愛の父」とは呼べないような間柄だったとしてもだ。

病院からいつ呼び出しを食らうかわからないので眠りは浅くなるし、なんやかんやと雑用が多くて台所に立てないので買い食いが増える。

すると肌はあっという間に荒れて、お腹がしくしく痛むようになる。

それでも日々すべき事をやめるわけにはいかない。

入院したのがもし母だったら、その上に「母にもしもの事があったらどうしよう」が加わるのだ。

ある意味、深い事を考えずに淡々とすべき事ができるというのは恵まれていた。

入院生活も2日目になれば、風呂に入れなくて頭が痒くなってくるだろうと思えば、頭を拭けるような専用のシートを持って行く。

暇を持て余すようになってきたかなと思えば、本を差し入れる。

こういう事は、もしもの事があったら・・・などとムダな事を考えていては思いつかない事のような気がする。

相手が大事であればあるほど、なにもできないのが人間のめんどくさいところ。

皮肉なことに、そこまで親しくないほうが、「気が利くな」などと言われるような動きができる。

ボロボロに疲れて、真っ暗な中を病院から帰る時、ファミレスに寄ってごはんを食べてから銭湯に行くのがなんと楽しかったことか。

病院のロビーで冷え切った体を、銭湯の熱い湯で温めることで、毎日を乗り切ってきた。

少々贅沢だけれど、ローソンで買う無印のスポーツタオルの使い心地が素晴らしい事も知った。

父が大好きでないからこそ味わえた、いい事と辛い事。

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