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GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏物語  『光る君へ』25

越前の冬、雪のなか、
簑を着けて、為時とまひろ、村の紙の漉き場に。 今に続く『越前和紙』は平安時代から特産品であった。
「税」として寄せられた「紙包み」の山。中身確認…にか、包みを開いた大判の紙。
「一枚いただいて…」とまひろ。 そりゃ ( 換金、私腹 のためでなく) 素晴らしい 「紙」 に「 書きたい」から。
朝廷への 税 なのだから「ダメ」という 為時。 にしても数量が ( 都に納めるのより) 300 枚 多く来ている。多い分を返すと言うが、納めた側は「これまでとおりで良いのです。」と。
生真面目 為時「搾取はならぬと聞かせる。」と 正義を言うが。(四年任期の一時の 国司さまには…)「どうぞ今のままにしておいてくださりませ。」と。風習というか慣例、出来てしまっている社会…は易々とは変えられない。
まひろには、宣孝 からの「妻になれ」手紙が頻繁に来る。
一瞬 都。道長も同じ夜空を見上げている。下半分の半月。
✳『NHKオンデマンド』とかいつでも、何度でも見られる契約すれば良いのですが、この「大河について…」は、日曜日の6時~の『BS』と8時~の『3』チャンネル本放送で視聴して書いています。でも、この頃、書いていて再確認が必要な事多くて…( いろいろ起きすぎ…) 土曜日1時~の再放送も見て( 可能なかぎり確認して) のアップ。よって→一週間後の投稿に。 『you tube 』で「解説」とか「まとめ」とか、いや『note』でもいろいろ掲げておられる方々の、デマンドなのか録画を見てなのか、NHKの出版物やら総動員の「記事」とは比べられない出来、ヌカリあるし上がりかと思います。

「清濁併せ呑む」宣孝の申し出は本気だと為時も思い「都に帰って確かめてみよ。」と。同時に「おまえの事は慈しむであろうが、他の女ごも同様に…なので、傷付かぬよう心しておけよ。」と心配もはっきりと話す-親子の信頼関係良くて、良い。
湖…を渡って舟で帰る。「私は誰を思って都に帰るのだろう。」って  まひろ。
あ、周明洸平、あれだけ…で終わりか? !
最後、松原客館、これからどうなるのか…なというシーンで、ジュレンソンに「心の中の…」と、(本人も気付いていない…) まひろへの恋心を指された周明。どうする。
史実では、近々、宋人は、博多に移される事になるが、その時とか( きっと) 後にまだ登場…あるのだろう…と思われる 周明 (の存在し方) ですが、このままでの退場だったら「ネット」で湧いて来て、沸いている「国際ロマン詐欺」とか言われてたのが、「回数不満詐欺」と言われる事になるかもしれない。
都『土御門邸』、道長の子どもたち。娘 息子 娘、倫子との団欒。
まひろ、都の家に帰着。「誰?」ってイトの「好い人」フクマルも居て。二人して「お荷物お荷物。」って、「誰がお荷物なんだ!」と言うことでは無い…か。いや、まひろが「帰ってこなきゃ良かったかしら」と言っていた。
「この驚きは上から三っつ目くらいかしら。」ともまひろ。…サブローが道長だった事が筆頭か。 宣孝の妻となる(自分…という)ことが次点かな。
舟の上のカットで、まひろの前に大きく顔が映っていた民の女…が、「乙丸も…」って!乙丸が 越前で出会って結ばれた妻 キヌだった。
「みんな幸せになってもらいたい。」というまひろの家での 宣孝 持参の酒での宴。
宣孝が詠う。史実-記録では『石清水八幡宮』での舞の奉納とか、こういう「朗詠」もこなした人だったのだろう。
国司赴任中の 主の 娘と 息子(…は、姫とぼっちゃま) と、親戚筋で 夫君となる 山城守と、家司も兼任の ぼっちゃまの 乳母とその彼氏、と姫付の下男夫婦が、分け隔てなく盛り上がってるこの家は心優しい人たちで、平和でとても良いですね。  宣孝の謳う歌詞や仕草で、もしかして…と弟君、やっとここで「お姉ちゃんまさかおっちゃんと?」!と気付く。(という演出かと。) 
『源氏物語』(からの引用…)久々の登場。
少しシチュエーションは違うが、「藤裏葉」帖で、弁少将(かっての頭中将の次男-高砂うたいし…とも呼ばれた二郎君)が、姉が夕霧に盗られる…と言うように、夕霧の許婚の宴で、催馬楽の『葦垣』を謳う。と言う場面がある。 宴席の歌(の選曲)で、メッセージを送る、気持ちを表すことは、和歌のやり取り同様に当時の告白の機会、とか伝達の手段だったからでしょう。
宮中。(御簾の中に帝…いたのか…。) 安倍晴明「まことめでたき限り」と、新年をコトホギ。しかし道長、違う…と直感して、下がった 晴明に人払いまでして「まことは」を聞く。これから「凶事が続く」と予言。「地震か?疫病、火事か、日蝕、大嵐か。」と並べると「全て」との答。「帝のオコナイのせい。」対処は「お宝をお使いくださいませ。」とだけ言う 晴明。『職御曹司』に帝。清少納言も控えている。「華やかな場をつくろう。」と言う帝に「私と脩子(ナガコ)の側に居てくださるだけで。」と定子。「二人で失った時をとり戻そう。」「伊周も戻って来た」と言う帝に「兄までがここに出入りすれば、内裏の者に何を言われるか。」とまた宮中を追い出される畏れを言う定子。
キスでおしきるな!帝。
仕事に身の入らない帝、(の一例としての、)雨季を前に急がねばならない「鴨川」の堤の修繕、勅令がおりない。道長が行成に奏上し工作のお許しをとせっつく。
処へやって来た隆家は自信満々「かいかぶりかお試しを。叔父上のお役人たちます。」と道長にすり寄って来ている。
帝に影響力のある女院に言ってもらおう…と行成。土御門邸に行くが…女院は病臥していて。仕方なく夜、職御曹司に行成。「無礼であるぞ!」と怒る帝。(板挟みの)行成くん…かわいそう。
太宰府から戻った伊周、帝からの許を得て( フツーに) 定子の所に。清少納言が定子のために書いているものを「これを書写して広めよう。」「ここに皆が集まれば華やぐ。」「隆盛とりもどせる。」と、また家の 興隆を目論み「次を書け。」と清少納言に。
帝と妃に、公暁代表…実資「非難すべし。」と『小右記』から。
大雨で『鴨川』堤大きく崩れ氾濫。=晴明の予言とおりの災い。の始まり。
公暁たち ( 道長の対応に不満ある者もあって、)「帝にご進言を。」と右大臣に。そこでは「応、応」と言ってた右大臣、左大臣に物申しに来たが何も言えずに帰る。
職御曹司。公任 笛を吹いている。帝前。伊周もさぶらっている。
✳ 定子の座り位置、訂正されてる。帝の 右 ( 画面では左 ) に。…コレって…各回の「演出家」に由ることなのかも…とも。考証重視の演出家と ビジュアル優先の演出家と…。(そう、いつからか「大河」一年通して一人の演出でではなく、複数人での持ち回り演出。(で、ある種の責任回避…いや、) 出来(不出来)の平均化を図っている。みたい。) 今回の演出家は、中島由貴氏。
で、公任と清少納言の歌のやりとりを回陳。公任の「少し春あるここちこそすれ」という書き付けに、清少納言が「そら寒み花に紛がへて散る雪に」と「上の句」を付けたと。文化サロン再開…。一条帝「南秦の雪」か。と知的遊技大好きな帝、満足満足。伊周「ココで公任どのの歌の会を。」と。
そこに、道長来る。気まずい二人。…いや、皆さん。道長は、彼らのお集まりにドウコウって表情は出さず、(気まずそうな帝…)「おかみにお願い。」と辞意を。
「一昨日の雨で堤が切れ被害が」「前以ての申し出にも関わらず」「帝、宮中でのお勤め-ご覧なく。」致し方なく「お許しなきまま、修繕にいたりましたが、勅許なく動くことに迷いがあって間に合わず。民の命を救えなかった。」今回の大事に。私はこれ以上無理。「辞職したい。」と。
「朕が悪い。赦せ左大臣。」と帝は言うが、(オコナイを改める風は見えず) 「辞表は行成に提出してある。」と出ていく。-史実でも道長は、三度提出。受け取らない一条帝。

というクダリ、導入の「再び」の定子サロン…の話しとして引かれた「少し春ある心地」の話しは『枕草子』百六段「二月つごもり頃に」に書かれてある出来事。ですが、それによると
「2月も終わりのある日」で始まるこのお話し、場所は「黒戸」に公任宰相殿の使いが来て…と。「黒戸」は『清涼殿』北側にある出入口で、はてさて…。となると…、定子が清涼殿を追い出される前の話ではなかったかな…と。
道長が訪ねて来たのは「夏」の雨による鴨川氾濫のことで、…台風でなく梅雨での 被害だとしても、( いずれも旧暦の ) 二月の歌のやり取り…夏=五月頃?に…とは「少し無理ある心地こそすれ」。 年が違う…、季違い、場違いすぎるかなとおもう。
為時家、出水のあと片付け。
まひろの「よくつくすのね。」にイトさん「何でも言うことをきく。そこが良いので。」「歌、見目、富、おもしろさ、(なんか)より、言うことをきく人が愛おしい。」と。まひろに「正直、本音で考えてみたら」ってことかな。ついでに…乙丸から、自分が食べていた雲丹を採っていたのがキヌと聞いて驚くまひろ。
宮中。右衛門権佐 兼 山城守となった宣孝、左大臣道長に目通り。…山城守は…鴨川の氾濫も関わりあり。…ながら、その事は両人(=台本が)スルー。
任官のお礼。と言いつつ、本題は「(親戚の)為時の娘も夫を迎えることに。」「そらが、私なのでございます。」と自ら報告に。の内には「私は知っている、あなた達の関係も」があっての事か。……嫌なやつ。
「それはなにより。」と明るく道長。
為時家に、ご機嫌の宣孝「左大臣に挨拶してきた。」「おまえを妻にしたと申し上げてきた。」とまひろに。「なんなんですか!そのいやらしい物言いは。」と憤慨のまひろ。 シャーシャーと宣孝「おまえが好きだからだ。」と。
先を越された…というか、宣孝のことを「どう」道長に伝えるか…しっかり考えてなかったかな…考えあぐねていたまひろ、自分が外されている思わぬ展開に困惑。「もう本当に、これでお別れなんだ…。」…現実への悲しみ…とかもいっぺんに来て…。ここのカットの長さ…とても…良かった。
「また叱られてしまった。」って去っていく宣孝のキャラクター、「台本」の「越前秘密訪問」とかが無いと…「なぜ」が解けない紫式部の結婚の経歴。いや、謎は「解けてない」ですが「ドラマ」としては、なんとか説明に漕ぎ着けたかな ( ネット上では、反感、意見、少なからず…ながら。)。
✳ また、少し戻って、この宣孝の報告の訪問の時、まひろが縁側で読んでいたのは
「白居易」の『新楽府 其五十. 采詩官』曰く「君耳唯聞堂上言 君眼不見門前琴…」=天子よ、耳を塞がず民の真意を聞いて欲しい、目を瞑らず現実を見て欲しい」と、まるで道長の今の思いを(…偶然)まひろ、( 心で通じていて…) なぞっている様な演出…です。
に対しての宣孝…「いやら物言い」と口を突いてしまいますね。
さて、まひろ、いよいよ腹をくくらねば。です。
左大臣道長も「今夜は」宮中から帰らない。
ため息。「なんであんなヤツ…」なのでしょう(か)。柄本道長、悲しそうさが…うまい!
後日、まひろへ、左大臣からの贈り物。百舌彦が「こたびはおめでとうございます。」と。二人、改まって礼。「水干」じゃない百舌彦に「えらくなたのね。」とまひろ。を言うには、衣…もう少しイイ「狩衣」を!⇐お祝いの進上なのだし。左大臣家からの使者なのに。
(敢えてか…という深読みも。)
まひろに渡された文は「あの人の字ではない、」。
まひろ、筆をとる。「竜胆」に結び文。→乙丸に届けさせる。…「リンドウ」は、秋の花でも晩秋の花、良いのかなー。
(バカな「花言葉」の引用…ネットのどなたかしてそうです。「洒落」は多用の平安時代…でも、今出回っている「花言葉」はさすがに無いです。)
夜、分わきまえた-三本の棒を組んだ台の灯火。  宣孝来る。
「私は不実な女でごさいますが。それてもよろしゅうごさいますか。」とまひろ。  宣孝「わたしも不実だ。あいこである。」と。
まひろ、「まことに。」と。

翌日は「日蝕」。   で、「つづく」に。

「画像」の『竜胆』-リンドウは、
12Cのもの。 優美です。
「大河」の花係さんは、本当に残念な仕事が多いです。 当時、野山に咲いていた「リンドウ」は、茎が細く、しなやかで、ドラマのの様な「棒」みたいなのは…。何より花が「開いていない!」 晩秋の野原で、大小10裂=飾り付き「星形」の花が、空を映すような青色で咲いている-美しい花。なのですが、近代の栽培品種の「口を開かない」(仏花資材的な…) (安物…)リンドウを持ってきてしまう…なんて。 ここ10年くらいは「エゾリンドウ系」の「星形に開く」品種が出回っていて人気。無くはないのに。という事でダメ出しになります。 知識が無い? 調べない? 金が無い? やる気が無い? ぜーんぶ纏めて「まこごろ」が無いだけ って事ですかね。

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