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GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏物語  『光る君へ』22

松原客館、中が騒がしい。 扉を開けて、為時名乗り。
白い鸚鵡のカット。
朱 仁聡( ジュレンソン様 )と、通事の 三国若麻呂。     -宋人の来日、996年。
「船が壊れの上陸。」「前の国司に修理をたのんだ。」と為時とやり取り。 宋の言葉話せる為時…まひろ、宣隆から聞いた話とおり。
為時の心配に、通事・若麻呂の答えるに「宋人は、唐代とは違って戦を嫌う。」「船の漕ぎ手以外は、商人です。」と言うが…表情、微妙。
まひろと浜辺にきて乙丸「海というものは近江の湖と同じように見えます。」って、ここは「本」というか、現場…なんか…おかしい。
目の前に寄せる「波」が見えてないのか! いくら大きくても対岸の山影が見える琵琶湖、こんなに寄せて来る「波」も無い。「潮(風)のにおい」も。「水平線」も見えてるのに。
まして「初めて見た」「海というもの」なんだけど、感動とか…無いのかな。-気持ち的に「想像していたのより大した(違う)こと無かった」のだろうか、乙丸の思い描き…もっと大きかったとか?
というか、映像との解離、(「台詞」)なんとかしなきゃ、現場で。
松下洸平の「宋の若人」来ている。
「ご機嫌よろしう。」手を胸に(私は)「マーヒーロ」って名乗るまひろ。彼、枝を拾い砂浜に「周明」と書く。「しゅうめい」と読むまひろに「ヂョウメン」と。
また!地面に文字を書いての名乗り。「サブロー」との出会いとのリフレイン。
まひろ、早速、漢文で「朱仁聡のこと」聞いている。
タイミング悪く(良く?)呼び出された周明、「ザイチェン」と去る。
客館で『目録』に目を通している為時。に耳にした言葉を尋ね聞いて「またあおう」だと知るまひろ。
ジュレンソン殿からのお誘い。宋人主催の「宴」。
演奏の楽器、…「方響」の一種なのか緑の半透明な薄板を枠に吊り張り並べた打楽器。大きな「笙」とで始まる。
の部屋-朝廷が建てている「客館」の柱間の「カーテン」がまったくおかしい。
平安時代「軟障」という垂れ幕=「壁代」の一種で間仕切をしていたが、いくら唐土風に…であってもこの、今日のカーテンの仕様の「襞取り」は…無いだろう。
宋の国の料理。「羊肉」…まま「スペアリブ」。の形が「羊」って分かりやすいしね。 食べられない為時…(肉で戸惑うより、猪や鳥の肉はあったから、羊の「匂い」でだろう。) 最上位の歓待という話にまひろ機転で口に。(リブでなく、小さな角切り…を。)
宴への贈詩、為時の「漢詩」すばらしい!と友好的な一席。
ひとり外に出るまひろ。周明居る。「羊はあんまり。」も言いながら「謝謝。」酔いの回った父と部屋に。「再会」とまひろ。
越前『国府』。
越前介・源光雅、大掾・大野国勝、「いかにも…」な俳優配役。
ところで、国司-従五位の袍の色目が…ローズ色すぎ。少しだが「朱」が足りぬ。
(それなりに数が必要な「官服」の「赤」は、高価な「紅花」では染めない。主に「蘇芳」で染められたかと。「茜」もあったらだろうが、共に「朱」色とか「茶」色味を含む「赤」。為時の着用の赤は、青みを帯びた=「紅」に見える。)
為時、仕事始め、「船の修理は?」「仔細知らせよ。」と。今までの-自分たちのやり方=やりたい放題…が出来なくなるな…と、
「そのような事、国司様がわざわざ…。我々がこちらでよしなに。」と介と掾。
「左大臣様から宋人のことは任されて参った。」…世渡り下手な為時、「自分が任された」と言うより「左大臣様からの通達」として言えば(まだ)良かっただろうに。(虎の威を借る狐…も嫌なのでしょう。)
まひろの部屋、都の(自分らよりも)上位貴族の部屋の設え、一気にハイクラスに。
机にあるのは、藍の「打雲」入りの越前和紙…。
光雅、袋の金を持って来て、為時に「仕事は、越前の者にお任せください。」「国司様は、懐をおこやしになって。」と。を「愚弄」と怒る-生真面目 為時。
翌日から ( クダラナイ…) 訴えの者の行列。(それ…掾とかの仕事だよ。)
為時の横で書記官は居眠りしてる。
「いやがらせ」と父娘。
先が思いやられる…為時に、
「お考えとおりの政を。」「私がお側に居りますから。」と。
宋のジュレンソン「朝廷に献上品」の取り次ぎ願い。「客館待遇への礼。」と。
安請け合い出来ない為時に、
「なぜ困る?」と。「左大臣様にお伺い…」と応える為時、ストレスで…か、腹痛?
「慣れぬ土地で…。」とジュレンソン「宋の医師を」と呼ばれて来たのは「周明」だった。
例の…まひろ(トキメキ)の音楽-ポロポロポ、ポロポロポ…。
「鍼」治療。突かれてサカリ猫の様な声をあげた為時。「良くなったやもしれぬ。」周明の見立-診察は「心、張り詰め、頭凝る」=ストレスと。
の成り行きで、為時「献納」の仲介(をせざるを得なかったのでしょう)。
で、都、「宮中」に届いた
鸚鵡と羊、見ている実資と、公任。
越前国司館、ジュレンソンが「献納」出来た礼に来ている。-「筆談」。=一人で。
まひろが「通事は?」と尋ねたタイミングで、大掾国勝が「若麻呂が殺された」と「ジュレンソンが犯人だ」と、捕まえて行く。
「間違えであれば、国と国の問題に…」と、また心痛の為時。父に成り代わり-まひろ→「左府殿」道長に手紙。-「国司印」押された書状。
「陣定」でも、「この件、わが国の法で異国人裁けるのか。」といろいろザワザワ。の中「だよね。」「だよね。」は道綱。
高松屋敷、明子に道長「おまえの父も左大臣であったな。」 失脚させられた父の恨みを持って妻となった明子が「この頃兄には左大臣は勤まらぬと思うようになりました。」「あなた様以外誰も務まりませぬ。」「私は変わったのでございます。仇の殿をこころより好きになった。もくろみ違い。」と。
「もくろみ通りであったら、俺は生きてはおらなんだな。」と道長。に、「明子なしにはききられぬと言わせてみせます。」と。乗り添って来る。
別の日、公任、道長に「伊周戻って来たと。」
髙階屋敷に公任、捕縛に。
伊周「ここまできたのに」( 命の瀬戸際の母 貴子 に )会わせてくれ」と哀願。公任「別れを告げてまいれ」のところに清少納言。「今、み隠れに。」と。
庭を突っ切る伊周、放免、階はのぼらせない。
後日、髙階屋敷、喪服の道長、定子にお悔やみに。
「左大臣さま近くへ来てくださいませんか。」と、姿を見せようとする定子に驚く清少納言。
対面して「懐妊」知らせる。「帝の御子をこの先どう育てて行けばよいのか…。どうかこの子をあなたの力で守ってください。」「わたしはどうなっても良い。」と。
道長から「まもなくお誕生。」と聞いて一条帝、「今から行く」と、「宮中に戻す」と、言うのを止められ、「生涯会えぬのか…」と落胆。「勅命に背いて、出家された以上、宮中にはもうお戻し出来ない。」のが世の決まり。「遠くからお見守り頂くことしか出来ません。」
一方、越前国府、「越前のことは越前で」と左大臣からの返答。
さて~というところへ周明、「話がある!」「ジュさまは通事を殺していない。」と日本語で! 
で、→次週につづく。と。
ドラマ、ドラマで、「『源氏物語』からの…」とか、余裕無し。
『日記』からの「越前への旅」の行程や様子再現あり。
の中で取り上げられた歌
「知りならむ 行き来にならす 塩津山 世にふる道は からきものぞと」
「塩」津山からの「辛き」…って、シャレてる。「まひろさま、言葉遊びがお上手」は、前回、清少納言が言ってた。
けれど、歌意は、式部の乗った輿を担ぐ下人たちの「いつ通っても難儀な山道だ」との愚痴を聞いての(下人たちへの呼び掛けとも取れる)歌で、微妙に…
(有名な、一条帝が皇子誕生を喜んで彰子の見舞いに来られた時の、水平を保って階を昇った「鳳輦」の駕與丁=担ぎ手の、譽れのための下級の者の苦悩を見取って、書き残す(「水鳥の足掻き」に繋がってゆく…) のに「先だって」のこの歌…。) 考えさせられる歌(の視点なの)です。

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