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自由帳6頁目「男らしさ」

皆さんに問いたい。
「そんなに外に出たい?」

その全てを、コロナのせいに出来た。
私は元来、家に居るのが好きだ。
コロナの前から
巣ごもり生活のノウハウを
熟知している。
外に出てはいけない。
仕事が無くて当たり前。
ずっと家に居れば良い。
思えばそれは自分にとって
理想の生活でもあったのかもしれない。
ただ一つ、無収入であること以外は…。

6月になり、寄席が再開した。
私も自分が出演する一門の寄席や
落語会が戻りつつある。
喜ぶべき事だ。が、
感染リスクという部分では
個人的には不安しかない。
だがそれと興行再開とを
天秤にかけた結果、業界的に
リスタートすべきとしたなら、
出来る限り気を付けつつ
高座を勤めるべきと思う事にした。

そう決めたからには行くしかない。
しかないけどそれには色々
準備が要る。
6月は衣替えのタイミング。
夏の着物をタンスから
引っぱり出さねばならない。
それは大した手間ではない。
他に仕事に必要な道具は殆ど無い。
もっと必要なものがある。

散髪をせねばならない!
稽古…?ああ、うん…まあ…

散髪をせねばならないのだ。
3月以降、まるで切ってなかった。
行きつけの床屋は
電車に乗らないと行けない。
当然、緊急事態宣言下で
して良い事ではない。
ましてやお金も無い。
人に会う予定も無い。
よって髪を切る必要も無かった。

私の髪はくせがひどく、
つむじも4つあるらしい。
そして毛量が多い。
ちょっと放置するだけで
地方の無人駅の周りに広がる
すすきだらけの藪みたいになる。
マメに切らないといけない。
こんな私でも一応、人前に出る稼業。
今までずっと気を遣ってきたつもりだ。

3週間切らないとひどく憂鬱になる。
意外と楽しい巣ごもり生活の中、
頭髪だけは気持ちを暗くさせた。

神聖な高座、
ボサボサに荒れ果てた髪では臨めない。
だがまだ電車に乗るのは怖い。
行きつけの床屋は実に遠い。

妻の助言で、
自転車で行ける距離の
床屋さんに繰り出してみた。
神田にある有名店らしい。
予約の電話をする時点で
口から臓物が出そうになった。
巣ごもり気質の私は
ひどく人見知りだ。
喉に臓器を戻しつつ
どうにか予約をした。

当日、行ってみて足がすくんだ。
店員さんが全員タトゥーをしている。
人の趣味をとやかく言う気は無い。
誰しも個性は尊重されるべきである。
だから私のタトゥー恐怖症も
尊重して頂きたい。
正直、予約をぶっちぎって
逃げ出そうかと思った。
入った瞬間、肩を組まれて
奥の誰にも見られない
部屋に連行されて、
とんでもない髪型にされた挙句
ひどく法外なお代を
要求されるかもしれない。

だが、逃げたら最後、
私の電話番号から辿られ
自宅にタトゥーガイが
来るかもしれない。

迷いに迷った末、
普通の予約客の感じで入店した。
普通の予約客の感じってのが
何なのかよくわからないけど。

中に入ると
ほのかなシェービングフォームの香り。
換気をしているためか、
凄く良い風が流れている。
活発な店員さん達。
心地よさげな顔のお客さん。

すぐに私の席に案内される。
私を担当してくれる方が
そっとやって来た。
皮膚におけるタトゥー支配率が
50%超えてんじゃないか?
しかもマスクしてるから
お声が聴きとりにくい。
でも聴き返したら
ハサミを喉元につきつけて
「あ?」とか言われるかもしれない。

慎重に丁寧に、粗相のないよう
自分の髪の悩みと髪型の希望を
伝えてみた。
「くせ毛で量が多いので
整えやすい短い髪型が良いですぅ…」
かなり漠然とした注文だ。
ファッション情報に疎い私は
こういう髪型で、とか
なんとかカットが良いですとか
具体的な注文が出来ない。

担当の方は満面の笑みと共に
早速切り出した。
その仕事の速いこと…。
一流の彫刻家は
石を見ただけで
どう彫るか見えるらしい。
それと同じなんだろうか。
とにかく速い。
しかも他のお客さんと談笑したり
店員さんに指示を出したり
一応私にもお話して下さったり
しながらである。
今まで経験したどの床屋さんより
速かった気がする。

切り終わって鏡で確認した後
「切るの、速いですね」と
臓器を喉に押し戻しながら
言ってみた。
「ありがとうございます!」
屈託のない笑顔と答え。
「何でそんなに迷わず
切れるんですか?」
と問うたら間髪入れず
「迷うと遅くなりますからね」
その答えにも迷いが無い。

その後、ワックスよりジェルの方が
私の髪質と好みには合っている事、
水で薄めて使うとより良い事など
凄く丁寧に教えて頂いた。

シャンプーもこの方がしてくれたが、
武骨な手でガシガシ洗われた。
もちろん痛くない。
むしろこれくらいが良い。

豪快さと繊細さが
見事に同居した仕事ぶりだった。
そして、「男らしい」と思った。
タトゥー見ただけで
引き返そうとする奴は
男らしくない。
というかその後の妄想
失礼過ぎるだろ。

気持ちいい時間を過ごせた。
そして何より、
髪が生き返った。
こんなに清々しい気持ちになったのは
いつ以来だろう。
私のボンヤリした希望を
きっちり具現化して頂いた。
正にプロの仕事だ。

またあの人に切ってもらおう。
通う内に、男らしさが
自分にも身につくかもしれない。
そして、
あの店で切ってもらった後に
冒頭の質問をもしされたら、
きっと迷いなく答えられると思う。

「うん、外に出たい」


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