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ぼくのなかの日本(第31回、色づく世界)

色づく世界

子供の頃からスポーツを見るのが大好きなぼくだが、体育は小1からずっと苦手だった。足遅い、体硬い、反応鈍い、そして泳げない、四拍子揃った状態である。それと同じように、美術展は古代の書画から意味不明なモダンアートまで、すべて大好きだが、科目としての美術は、体育以上に苦手だった。その原因は体育と同じく、体が言うことを聞かないからである。頭の中で思い描いたものがあっても、いざ描く算段になると思い通りに手を動かせず、直線を書けば波線になり、色を塗れば枠をはみ出る。ペーパークラフト、折り紙、プラモも同様に苦労したから、もはや手の施しようがない。

しかし、あくまで個人的な意見だが、ぼくの芸術的センスは決して悪くはない。手先の不器用さも並みはずれているわけではない、さもなければ料理を得意とするわけがないのである。したがって、美術が苦手なのは、多分に中国時代の小学校の先生のせいである。最初の授業からヒステリックな調子だったあのババアは、三原色の試し塗りの授業で枠から色をはみ出させてしまったぼくをつるし上げ、「こんなこともうまくできないの?」と失敗作をクラス中に見せて回った。あのときはまだ小2だったが、一生許せないと心に誓った人生初の相手でもある。

そんなトラウマがあるため、美術の授業がいやでたまらなかった。日本でも同様で、「どうせうまくできっこない」と最初から投げやりにやっていた。しかも当時はどこかの雑誌で、「直線をまっすぐ書けないやつは性格も曲がっている」と書いてあるのを読み、「そうか、なら絵が下手なのは仕方ない」と開き直るに至った。

中学校でも状況は変わらず、最初のデッサンの練習から自分でも目を覆いたくなる出来だった。それでも一応先生にチェックしてもらわなければいけない。渋々定年直前の老婦人先生に提出すると、彼女は鎖のついた眼鏡をはずし、目を細めてじっくり観察した。あの表情は、すでに亡くなったぼくのおばあちゃんが、手編みのセーターの出来具合をチェックするのと酷似していた。思わずドキッとしてしまい、その上「うまく描けてますね!」とお褒めの言葉までもらったとなれば、一瞬で先生の虜になったのは言うまでもない。

ぼくの作品でクラス全員を確認し終えた先生は、みんなの手を止め、眼鏡をかけ直し、立ち上がって総評をした。

「皆さんの作品を見せてもらいました。皆さんのなかには、絵が大好きな人もいれば、大嫌いな人もいます。でも、全員うまく描けています。おそらく私の中学校のときよりもうまいでしょう。実は私、中学校の時点では、絵が苦手で、美術の授業が大嫌いでした。先生が課題を出したときは、メチャクチャに書き、構図もなにもありませんでした。それを提出して、怒られるのを待っていたら、なんと先生が私の作品を教室に掲げ、これが手本だとみんなに見せたのです。あのとき、先生はこう言いました。『絵はメチャクチャだ、でも、この色使いは天才にしかできない』、と。それ以降、私は絵が大好きになりました。だからみなさん、遠慮せずに、何でも描いてみてください、皆さんだって、きっと天才ですから。」

感動的なお話だが、直線もうまく書けない性格の曲がったぼくは、「よっしゃ、頑張るぞ!」ではなく、「なるほど、それじゃ自分も色の方に才能があるのかも」ととんでもない勘違いをした。しかし、根が素直すぎるのか、下手な下絵に色付けするときは、いつも先生や教科書のお手本のモノマネに終始してしまい、自分の判断でゼロから色を構想したことは一度もない。結局、才能の有無を検証するチャンスさえないまま、一学期目が終わってしまったのである。

学校のことなどほとんど思い出すこともない夏休みを挟み、美術の先生の名言もどこかに忘れてしまったころ、各クラスが秋の運動会に備えて、応援旗を制作する行事が始まった。一人ひとりが色なしのデザイン案を出し、投票で1つを選出してから、再びその案に一人ひとりが色付け案を出し、再度投票で決めるという手間のかかるものである。選ばれた色なし案は、ヨーロッパの王家の紋章のようなものを左右2つに割り、真ん中の空白にペンとナイフを交差させ、その下に「1-2」とクラスの番号を小さくあしらったものである。作品も投票も無記名なため、誰が描いたのかは不明だが、あまりのかっこよさに半分以上の票を集めて選ばれたのはたしかだ。そして、色付け案は、紋章の左右をそれぞれ濃いめの赤と青に塗り、ペンとナイフの持ち手は赤と黄色のストライプ、ペン先と刃は銀色、少しでも金属の質感を出そうと、色鉛筆で苦労して何層にも塗り重ねてあった。

これだけはっきりと覚えているのは、その色付け案がほかでもなく、ぼくの描いたものだからである。担任が「色はこれに決定しました!」と発表した時、クラス全員が納得し拍手するなか、ぼくも釣られて拍手したものの、頭の中では美術の先生の言葉がリフレインしていて、担任がなにを言っているのか全く耳に入ってこなかった。ただ一言聞こえたのは、「それじゃ、来週から旗に色付けする作業を放課後を行うけど、やりたい人!」であり、ぼくは迷わず手を挙げた。

何の部活にも入っていなかったぼくは、次の週に旗が届いたその日の放課後に、空き教室で机をくっつけて大きな台にし、色付け作業を始めた。男子はぼく以外に、竹中くん1名しかいない。竹中くんは1年後に「もののけ姫」が上映されると、狂ったようにヒロインであるサンの似顔絵を毎日書き続け、「オレはサンと結婚する!」と宣言したことで伝説になったが、この時点ではまだ単なる絵のうまい漫画オタクであり、彼が来たことに拒否反応を示す女子はいなかった。そして女子はというと、誠に奇跡というしかなく、あの頃ぼくが気になっていた田ノ内さんと、その友人2名が来ていたのである。

誓ってもいいが、先生が色塗りの人を募集していたとき、ぼくは興奮して他に誰が手を挙げたのかを見ていなく、ただ単に自分の作品だからと名乗り出たまでだ。まさか田ノ内も来るとは、もしかしたらデザイン案は彼女が出したものなのか?そうなれば期せずして「二人の作品」が出来上がることになるーーなどと気色悪いことを考えていると、田ノ内さんは「このデザイン、綺麗だね、誰が描いたの?」でぼくの妄想をいとも簡単に打ち破った。

その場の全員が否定したため、今も作者不明である。しかし色の作者はここにいる、田ノ内、おまえの目の前にいる。さあ、「色もきれいだね、誰が描いたの?」と聞いてくれ、そうすればぼくは人生一番のドヤ顔で「ぼくだよ」と答えるだろう。そのとき彼女はどんな反応を見せるか、竹中はどんなオーバーリアクションを見せるのかーー再度気色悪い妄想にふけっていると、女子の誰かが「時間ないから早く始めよ」と場の雰囲気をぶち壊し、田ノ内さんも「そうだね」と早速作業に取り掛かり始めた。

振り上げた拳の行き場に困るぼく。それならこのたまったパトスを色塗り作業にぶつけていくしかない。ここは原作者の腕を見せなくては。絵筆にたっぷりと絵の具を浸し、意気盛んに筆を進め、あまりの興奮に「竹中、なにやってんの、手伝ってよ」と、他人に命令までし始めてしまう。しかし竹中くんは冷静だ、「いや、そこ、色違うぞ。」

「ホントだ!」「ちょっとなにやってんのよ!きれいな色が台無しじゃない!」「早くやめて、あたし直すから!」騒ぎ出す女子に、ぼくは為す術もなく端っこへと追いやられ、竹中くんがやれやれと肩をすくめる。でもいま確か「きれいな色」って聞こえた、あれは田ノ内の声だ、もうどうでもいい、これでご飯三杯は食える。そう思ってぼくのミスの後始末をする女子たちを眺め、終始ニヤニヤしていたのは言うまでもない。

30分くらい過ぎたのだろうか。田ノ内さんたち3人は、「気をつけてね、ミスしたら許さないから」と言い残し、バスケ部に行くために教室を後にした。女性陣がいなくなると、ぼくと竹中という野郎同士の不毛な作業になるのだが、ぼくはなおもあれこれ考えていた。なるほど、最初に時間がないと言ったのはこういうことだったのか、しかし部活で忙しいのに、貴重な時間を割いてまで絵塗りがしたいとは、そんなにこの作品が気に入ったのか、そうかそうかーーまたもや自分の世界に入るぼくを、竹中は見かねて言った。

「おまえ、田ノ内がお気に入りだろう?」
「えっ?は?いや、ちげーよ!」
「そうか?でもミスするし、ずっと上の空だし、彼女と話す時微妙に顔赤いし。」
「……」
「まあ、オレにはどうでもいいけど、狙ってるの田ノ内じゃねえから。」
「は?おまえ誰か狙ってんの?」
「田ノ内と一緒にいる飯島さん、超可愛いと思わない?オレ入学の日に彼女が窓辺で光に照らされて髪をなびかせるのを見て一目惚れしたんだ!だからこの作業志願したんだよ。なあ、オレの手伝いをしてくれよ、オレも手伝うから。」
「お、おう!」

なにをどう手伝うのかよくわからない、色づきはじめて気色悪い男子二名の作業が、延々と続いた。

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