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赤い星は如何にして昇ったか――知られざる毛沢東の初期イメージ

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石川禎浩
臨川書店2016

この本を開いたとき、ぼくは「毛沢東が表舞台に登場したとき、世間が彼をどう見ていたのか」を書くものだと思い込んでいたが、冒頭に登場するのはタイトル画像の毛沢東と似ても似つかない太っちょの謎の中国人の写真であった。1936年の日本の官報に掲載されたこの写真の人物は「毛沢東」として紹介されているが、どう見ても本人ではない。こうして謎を投げかけてきた本書は、半分以上の紙幅をこの写真に割いていく。当時の毛沢東の本当の写真はどのようなものか、朱徳や周恩来など他の大物の写真はどうか、太っちょの写真の主は誰で、なぜ間違った写真が使われたのかなどなど、本当に「画像」という意味での「イメージ」を描いているのである。

そんなものを考えてなんの意味があると侮ることなかれ、今でこそ世界中の教科書に登場する程の有名人である毛沢東だが、当時は本人の写真を入手するのにも苦労するほどだったことがこの本からわかる。1936年といえば、共産党はすでに長征を終え延安に落ち着いており、国民党にともに抗日するよう呼びかけると同時に、天下取りのための力を蓄えていた頃だ。やがて共産党のトップに上り詰める毛沢東が中国の将来を担うことを見通せなくても、中国の政治に多大な影響を与えることは間違いない。それなのに、なぜか日本は彼の容貌さえ把握していなかったのである。

そのことを「所詮その程度の中国理解だった」と断じるのは簡単だ。実際そうだったのかもしれない。しかし、日本の情報収集力は、満洲の地理に関する情報を戦後になっても中国がそのまま使っていたことを考えれば、そうたやすく侮っていいものではない。それなら、なぜ毛沢東の写真は間違っていたか。ここから、石川禎浩氏による推理小説さながらの証拠収集と推理が展開され、最後にはきちんと説得力のある結論に辿り着き、読者はこれで一件落着と言えるほどスッキリする。

スッキリはするが、正直それだけだ。むしろ学術書の性格から考えれば、読者の思考を刺激するための問題提起こそが大事であり、謎が全て解けてスッキリしたのだとすれば、扱う問題が浅すぎるか、結論を急いでしまいミスを犯しているかである。まさか日本の人文学の重鎮である京大人文研の先生がそんな愚を犯すはずはないだろうと思い、さらにページをめくると、やはりそうだ。毛沢東の写真の件に紙幅を割きすぎた感は否めないが、アメリカのジャーナリスト、エドガー・スノー氏が延安に潜入し、共産党の上層部を取材した渾身のルポ『中国の赤い星』の成立と各国での出版の経緯も、もう一つのメインテーマとして後半に据えられていた。前者の「写真=イメージ」と後者の「世間が眺めた毛沢東のイメージ」の二本立てだったのである。

上述のように中国共産党に関する確かな情報の入手にも苦労していた時代に、毛沢東、周恩来たちから直接話を聞き、生い立ちから未来への信念までを描いた『中国の赤い星』は、文字通り世界を震撼させた著作となった。そこで石川は、同書がアメリカを中心とする英語圏だけでなく、中国、日本、ソ連でどのような目線で読まれ、そしてどのような思惑で各国言語バージョンが刊行された(または刊行されなかった)かをつぶさに描き出した。すなわち、毛沢東のイメージ形成に大きく寄与した本の受容史を理解することで、当時の世界がどのように毛沢東と中国共産党を見ていたのかを明らかにしようとしたのである。

ここにきて、本書の意義がようやく明らかになる。今や『中国の赤い星』は、日中どちらでも読まれなくなっているが、当時は中国人、中国ウォッチャー、研究者、そして各国の政府首脳が多大な関心を寄せていたのである。なぜ当時は広く読まれ今は無視されるのか。本の内容が古びたからなのか、中国を眺める視点が変わったからなのか。本気で「革命」を起こそうとする反乱軍時代の中国共産党と、既得権益にまみれた腐敗政権の現在とがあまりに違いすぎているからなのか。いずれにしても、本書は読者に当時の毛沢東と中国共産党のイメージをつきつけ、読者一人ひとりに今現在持つイメージとの対決を迫るものである。その対決はまた、毛沢東の写真さえ容易に手に入らなかった時代に、中国に関心を寄せる世界中の人々が一度経験したことである。

この対決に臆せず臨むことで、前回前々回で紹介した銭理群の著書が残した課題に一つの答えを出せるようになる。「中国はこのまま毛沢東文化の陰で生き続けるしかないのか。世界は毛沢東文化に染まった中国を相手にし続けるしかないのか」。そうではない、中国は過去にさかのぼって毛沢東文化の根源を究明、批判、反省そして揚棄をすることで新しい時代に向かって歩むことができるし、世界はそれぞれの距離感から毛沢東と中国共産党を思考すればいいのである。今の中国は毛沢東が作り上げた文化にどっぷりと浸かっている国だ。その意味において、毛沢東について思考することは現代中国を理解するための前提だと言うべきであり、銭理群と石川はともにそのための作業をしたことになる。毛沢東時代のなかで青春時代を送り、今も中国に生きる銭理群氏は、身を切られるような痛みを伴う思考で、毛沢東の行動、著作、発言などを読み込んだ。彼は真正面からこの課題に取り組んだのだと言えよう。一方の石川は、中国人のような切実感を持てないことを受け入れつつ、外国人ならではの視線を反映した毛沢東のイメージ形成という課題を選んだ。彼は周辺から毛沢東理解の重要なピースを補完したのである。そしてぼくは、微力ながら読書を通して中国を少しでも理解できるようになり、未来への見通しを持てるようになりたいと密かに願っている一人である。

もちろん、毛沢東の影響力が絶大とはいえ、中華人民共和国は彼一人が作り上げたものではない。今の中国の状態の遠因を毛沢東一人に帰結させるのも短絡的だ。そこで次回は、新中国を作り上げたもうひとりの立役者・周恩来の伝記を読んでみたい。

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