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ぼくのなかの日本(第43回、衆目環視)

衆目環視

中学2年生の最後の月、3年生が燃え尽き、ただ卒業式という掃除の日を待つだけの存在になった頃、生徒会の選挙が再び行われようとしていた。

1年生の時から会長の座を狙っていた親友の前ちゃんは、当然出馬した。すでに1年間の生徒会役員のキャリアを持つ彼は、先生からの信頼も篤く、会長の最有力候補と目されていた。対抗馬には他クラスの女子がいるが、残念ながら、ここ数日間何度も思い出そうと頑張ってみたが、名前の一文字どころか、一つの音さえ思い出せない。前ちゃんが会長に当選したこと以外で覚えているのはただ一つ、自分がこれまでの人生で、一番緊張し、一番周りが見えなくなっていたということだ。

なぜなら、ぼくは選挙の1ヶ月前に選挙管理委員長に任命され、選挙事務の統括、選挙当日の司会を担当することになり、そして誰が当選するかにかかわらず、会長の就任挨拶と同じ場で、選挙管理委員長の就任挨拶をしなければならないからである。

「選挙管理委員長」と書くと偉そうに聞こえるが、何のことはない、あの学校の選挙管理委員は手を上げれば誰でもなることができ、ぼくがそれを志願したのは、前ちゃんに勧められたからだ。委員長になったのも活躍したからではない。開票作業と立候補者のポスターに違反がないかをチェックする以外に仕事がなく、あまりのつまらなさに他の2年生が全員途中でやめた。まさか委員をやめることができると思わなかったぼくは、バカ正直に残り続け、選挙の時点で唯一の2年生であった。つまり、ぼくを委員長にする以外になかったのである。

ただ委員長をするだけならまだいい、選挙の事務は1年と一緒にやれば大して忙しくない。当日の司会も定型文の原稿があるから読めばいい。しかし、みんなの前で就任挨拶なんて聞いてない。たしか去年はなかったはずなのにーーそのことを先生に確認すると、体育担当で体操のお兄さんのように爽やかな先生は白い歯を見せて言った。「うん、なかったよ。今年から追加。だから参考にできる原稿はない。頑張ってね。」

無責任にもほどがある、こっちは外国人だぞ。自分で演説の原稿を書けというのか。ん?待てよ、参考にできる原稿がないということは、もしかしたら去年にないだけじゃなく、学校始まって以来初となる選挙管理委員長のあいさつなのか?ぼくが史上初なのか?ぼくの原稿が後輩の参考として使われるようになるのか?!

真偽を確かめていないが、ともかくぼくはそう結論付けた。その瞬間からもうなにも手につかなくなった。期末試験もあるというのに、勉強しようとすると頭に浮かぶのは原稿のことばかり。マンガを読んでも集中できず、ああコナンが転校してきて誰か死んでくれれば、選挙どころじゃなくなるのになどと不穏なことばかり考えていた。だが、コナンくんは小学生で新一は高校生、どう転んでも中学生である自分と同じ学校になれるはずがない。したがって、殺人事件の起きない平和な学校は、淡々と時間を刻み、一歩一歩、本番の日へと向かっていった。

仕方ない、とりあえず書いてみるしかないと心を決めたのは、立候補者の演説会が行われ、即日に投票を行った後だった。この後に票の集計に入り、次の週に会長と各役員の当選者、そしてぼくのあいさつが予定されている。つまり、もう後に引けなくなって、ぼくはようやく書き始めたのである。

書くことは自体はすぐに終わったが、我ながらこんなに日本語が下手だったのかと落ち込む出来だ。本番前日にはリハーサルがある、これをその場で読み先生に聞かれるのかと思うと、久しぶりに不登校になりたい気分であった。これではいけないと、学校でも教室の辞書を独占して原稿の修正に没頭する、しかし伝えたいことがなにもないのだから、当然言葉が出てこない。文法ミスを直した以外に、何の改善も見られなかった。

極度の緊張はほかの授業にまで響いた。音楽の期末テストは実技試験があり、数週間かけて一人ひとりが授業中に1分ほど先生の伴奏に合わせて歌うテストが行われた。ぼくは丁度原稿どっぷり状態のときにテストを受けることになり、先生に呼ばれみんなの前に立つと、勝手知ったるクラスなのに、なぜかここが体育館で自分は委員長としてあいさつをしようとしている気分になり、先生が伴奏を始めたことさえ耳に入らなかった。「どうしたの?歌って?」の声でようやく我に返り、なんとか震える声で歌い終わったが、唇は多分目に見えるくらい震えていた。先生は不思議そうに頭をかしげた。

「どうしたの今日は?いつもは結構うまいじゃない?緊張した?」
「はい、世紀末が来たくらい緊張しました。」

どっと吹き出すクラス。何言ってんのこの子の表情の先生。先生、たぶんぼくの頭の中のイメージを知ったらもっとショックだろう。ぼくの言う世紀末は、『北斗の拳』の様子だったんだから。

持つべきは親友である。前ちゃんだけは、ぼくの緊張の原因を察知し、そして「元はと言えばオレが誘ったから」と、手伝いを申し出てくれた。原型を留めぬ原稿を渡すと、前ちゃんこと会長様は一読して顔をしかめ、無遠慮にぼくをこき下ろした。

「おまえ、日本語こんなに下手だったの?なんだこれ?小学生だぞ。」
「しょうがないだろ!みんなの前で講演する原稿なんて書いたことないよ!」
「しょうがねえなあ、オレが直してやるよ。今日夕方までに渡す。終わったら電話するから、うち来て。」

前ちゃんは約束通り、夕方にぼくを呼び出した。彼が手渡してくれたのは、A4の紙1枚に綺麗に印刷された活字の原稿であった。「おまえの意図を損なわない程度に、もっと日本語らしい文章にしたから」と前ちゃん。いや損なっても全然いいからと、ありがたく拝領するぼく。会長と選挙管理委員長が、こんなズブズブの関係になってもいいものかと懸念されるが、そんなことを気にする余裕はぼくにはない。とにかくこれで原稿は問題なし!あとは、みんなの前でとちらずにできるかどうか……

それを試すチャンスは、リハーサルの一回しかない。立候補者の紹介は定型文だからそつなくこなしたが、問題は自分のあいさつだ。原稿を胸ポケットから取り出し、舞台のそでから真ん中の演壇に進み、自己紹介してから読み始めた瞬間、ぼくは異変に気付いた。口が、止まらないのである。十数年後に「寿限無」や「外郎売」をやることになるぼくだが、まさしくそれを予言するかのように、矢も盾もたまらぬ速さで舌が上下左右に不規則運動を繰り返し、人間が読んでいるのか壊れたラジカセが再生しているのかわからない状態であった。そうして、1ページの原稿は一瞬で終わり、ぼくは足早に舞台のそでに戻ると、体操のお兄さん先生がしかめっ面で近づいてきた。

「おまえ、息継ぎしたか?早すぎるんだよ。そんなんじゃだれも聞き取れないぞ。」
「はい、すみません。」
「普段しゃべるときのようにやればいいんだよ。本番は気をつけろよ。」

何の意味もないアドバイスである。普段と同じようにできないから困っているんだ。同じくリハーサルに臨んでいた前ちゃんにヘルプの視線を送るが、あっちも自分のことで精一杯のようである。明日はどうなるのか、学校史上初だぞ、ぼくがぶち壊してもいいものか……

その日の夜はテレビよりも原稿のことが気になり、晩御飯を食べ終わるとすぐに部屋にこもった。「あれ?今日は野球を見ないの?」と訝しがる母、「大事なことがあるんだ、それどころじゃない!」と言うと、母は思い出したように、こういった。

「そうか、本番は明日だったね。久しぶりにみんなの前でしゃべるんだね。子供の頃、あんたよくおばあちゃんに来客の前で詩を暗誦させられたでしょ?しかも失敗したときに大泣きしたよね。あっはっは。」

たしかにそうだった。子供の頃の失敗談として、あまり思い出さないようにしていたが、たしかに5才くらいの頃に、おばあちゃん家のリビングで踏み台に立たされ、李白の詩を暗誦するように言われたことがある。しかし、部屋中知らない顔の大人ばかりの雰囲気に完全に飲み込まれ、一言も発することができなかったぼくは、ワーッと泣き出してしまったのである。ああ、母さん、失敗を思い出させるなよ、なんて母親だ、だからあんた無神経だって言われるんだよ……

「でも、おばあちゃん優しかったよね、いつもは厳しいのに、失敗したあんたを叱ったりしなかったし、むしろ喜んでたよ。お客さんもみんな大笑いしてたし、あれで良かったんじゃない?」

おばあちゃんが喜んでた?お客さんも笑ってた?どれも初耳だ。そういえば、こないだテレビで子供の可愛い映像の特集をやってた時、泣いている映像が結構あった、子供は泣いたほうが可愛いのか……だからって、5歳のときはあれでよくても、中2で壇上で泣いたら大惨事以外の何物でもない。あれでよかった、中2のあれでよかったはなんだ、今のぼくにとってのあれでよかったはなんだ……

次の日、寝不足で隈ができた状態で学校に着いたぼくは、教室にカバンを置くと、すぐに体育館に向かった。本番の演説に臨む面々を定型文で紹介し、大トリの会長の前に、壇上に上がり、やはり早口で原稿をさっさと読み終えた。リハーサルが2倍速だとすれば、本番は1.5倍速くらいである。体操のお兄さん先生は「あちゃー」という顔、前ちゃんも終わったあとに、「おまえ、やっぱり早いんだよ。たぶんみんな聞き取れなかったぞ。」と顔をしかめて言ってきた。しかし、もはや昨日のぼくではない、全く動じずに、ぼくはこう答えた。

「いや、あれでいいんだよ。今日はあれで良かったんだよ。」
「なんで?」
「今日の主役はおまえだ。ぼくがなにを喋ろうと、誰も気にしない。むしろ、誰も聞きとれないくらいがいいかもしれない。だから、あれでいいんだ。」
「おまえ、そこまで考えてわざとやったのか?」驚く前ちゃん。ぼくは畏怖の表情を浮かべる親友の疑念を打ち消した。
「いや、緊張して早口になったのは本当だ。ぼくはただ、その失敗をなんとも思わないで済む方法を、見つけただけだよ、昨夜にようやくな。」

そして、その方法は、少なくとも衆目環視のなかで話すことにおいては、今日になっても、まだ有効のままだ。

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