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奥州三名泉(飯坂・秋保温泉の巻)②

飯坂温泉激熱の洗礼を久しぶりに受け、宿に戻り、一服。食事をしてから、再び夜の飯坂を徘徊します。①はこちら↓

昭和な「福住旅館」

福住旅館、福の住む宿ということで、お風呂も何ともユニークかつ昭和。入れば、同窓会かOB会らしきおじさんグループがワイワイ入ってます、昭和。

「おかめ」の湯は殿方
内風呂は男女ともかなり大きい 「ひょっとこ」の湯が女性 (HPより)

温泉分析表を見れば、「若竹分湯槽」。飯坂温泉は一つのお風呂に一つの源泉というよりは地域ごとにいくつかの源泉をブレンドしているようです。PH8.3のアルカリ性単純泉。

食事は別のお部屋でドーンと すき焼メインに天ぷら、お蕎麦も、ボリューム満点
食べているうちに「釜めし」出来上がり

再び外湯へ

月は満月 寒いですが、外湯巡りにはもってこいの夜

まず目指すは「切湯きりゆ」、その名の通り、切り傷に良さそうな外湯ですが、これが見つからない。月夜の灯りでようやく「切湯」の看板を発見。見れば、道路より下の、摺上川沿い。

これは探さねば、分からない…
こちらの木造小屋は受付 お風呂はさらに下のビルの中、
なかなか、怪しげ
スケルトン的?外湯  寛永元(1624)年発見の飯坂の中でも古い湯
薄めずにようやく入れた! (飯坂温泉HPより)

温泉街をぐるぐる…。

人影まばら「飯坂温泉駅」
摺上川沿いのホテル・旅館は、廃業やリニューアル中が多い
飯坂温泉は住宅地と混在している部分が多い 今宵は、お客さん居るのか…

続いて「仙気の湯」。元和4(1618)年発見というこちらも歴史ある外湯。以前は川下にあったようですが、移設。リュウマチに効くとか。

熱い湯とぬるい湯があって、ぬるい湯はなんとか入れる
なぜか、[ももりん]の石像笑(飯坂温泉HPより)
夜歩ける温泉街はホント少なくなりました…
小さめの露天風呂もあります もう一度、おかめの湯に浸かって、就寝Zzzz

ほろりと涙の芭蕉、「医王寺」

翌日、秋保温泉に向かいますが、その前にもう一つ芭蕉ゆかりの地と、東北本線で途中下車、妻の方の親族と食事のスケジュールを挟んでいます。

向かうは、芭蕉が飯坂の前に立ち寄った場所

医王いおう寺、ここには平安末期、陸奥南部を治めていた佐藤基治もとはると子、継信・忠信の兄弟の菩提寺。義経の従臣として仕えた基治はその子である二人の兄弟を遣わして、義経を護衛。屋島の戦で、義経の身代わりになって継信が、義経の一命を守り、続いて、頼朝に追われた義経を平泉に逃す際に、今度は身代わりになった弟忠信。この二人の子を失った母の嘆きを慰めるため、兄弟のお嫁が夫の甲冑を着て凱旋の様を見せたという話を、芭蕉は聞く。

人の教ゆるにまかせて、泪を落し、又かたはらの古寺に一家の石碑を残す。中にも、二人の嫁がしるし、先哀也まずあはれなり。女なれどもかひがひしき名の世に聞えつる物かなと、袂をぬらしぬ。堕涙だるいの石碑も遠きにあらず。寺に入て茶を乞へば、ここに義経の太刀、弁慶がおいをとどめて什物じふもつ(お宝)とす。
   |笈《おい》も太刀も五月にかざれ帋幟かみのぼり
五月朔日ついたちの事なり。

奥の細道
与謝野蕪村(奥の細道図巻)より

芭蕉、ほろほろと泪を流し、寺にてお茶を頂けば、この寺には、弁慶のおいと義経が使った太刀があるではありませんか!
今も宝物殿にいくつかのお宝があり(撮影禁止)、なんとこの弁慶の笈や弁慶所用の文箱は公開しています。義経の太刀はありませんでした。

弁慶使用と伝えらる笈 (HPより)

悲哀のエピソードに胸打たれながらも、敢えて晴れやかな一句を詠み、この忠臣の話を飾り、称える芭蕉先生なのかな、と解釈しました!
1000年語り継がれ、この先もこの一句と共に語り継がれることでしょう~

大きな杉の並ぶ参道の右に本堂
本堂には継信・忠信兄弟の二人の妻の甲冑姿の人形(写真両脇)
本堂脇には芭蕉の句碑

先ほどの参道を奥に行けば、佐藤一族のお墓があります。

二人の兄弟の墓石は風化してボロボロ どんな形の墓石だったのか…、歴史を感じます

芭蕉の一句の深みを感じることが出来る経緯の地、是非訪ねてみてください~

藤田駅元縫製ほうせい工場のレストラン

福島駅に再び戻り、親族と食事に向かいます。お勧めのレストランがあるということで、東北本線を北に向かい、途中下車、藤田駅に降り立ちます。

駅舎はモダン、跨線橋は昔のまま
駅から歩いて1分 手前の階段の看板は、「放課後塾」

レストランはこちらのリノベーションした「Co-learning Space アカリ」の中にあります。
内部はオープンスーペースにTrattoria da Martino(イタリアン)、共有ラウンジ、奥は地場のものを売るお店でした。

土曜の午後、あれよあれよという間に、レストランは満席
地元の野菜を使ったサラダバー このサラダバーだけでも満足!

妻方の親族、夫妻で、震災をきっかけに、こちらに移住してきたとのことで、そんな経緯や今取り組んでいる阿武隈山地での農場の話などしながら、楽しいひと時。次来るときには、阿武隈高原、伺います!

メインディッシュは肉料理やパスタをそれぞれ頼みました こちらは↑ブロッコリーのパスタ
デザートがまた甘さ控えめで美味しい! 真ん中の名前忘れました アイスはピスタチオのアイス

こんなインキュベーションセンターのような場所があるのは希望的で、バーベキュー出来るヒロバやシェアオフィスもあります。ここに住んでいたら、必ず活用しているだろうなと。

再び鈍行列車の旅は続く

短い時間でしたが、名残惜しく別れを告げて、再び、東北本線で仙台に向かいます。

東北本線、白石から仙台へ

「藤田」から次の「貝田」までは25‰の急勾配、一気に見晴らしが良くなり、福島盆地を一望できます。

昨日今日と安達太良山は雲の中ですが、ここの眺めは一つの見どころ

東北本線は東海道線に続くほど歴史があり、元々は日本鉄道という私鉄からスタート。国が買収、複線化までは時間がかかり、東海道線にはあまり見られない上りと下りの微妙なルートの違いがみられます。

上り線と近づいたり、離れたり…

白石市に入り、東北本線と新幹線はクロスして、北側に「白石駅」、南に新幹線「白石蔵王駅」となります。

左の車窓は蔵王の山 雪が降ってます

蔵王を見ながら、白石川が接近してきて、東白石駅はは川べりの駅。

こんなに川が近い駅も珍しいのでは 
大きな白鳥が数羽休んでます 

岩沼で、日暮里から分かれてきた常磐線が合流、仙台へ。

着きました仙台! もう二十年ぶり

御用達の湯「秋保温泉」

秋保温泉、こちら歴史はあれど、正直あまり知らない東北以南の方には、あまり知られていないのではないかと。

 秋保温泉の歴史は古く、古墳時代(531〜570年)の頃には、第29第欽明天皇秋保の湯で皮膚病の一種を癒やしたと伝えられ、このとき「名取の御湯」の称号を賜ったとされます。
 以後、秋保温泉は皇室の御料温泉の一つとして位置づけられ、別所温泉(信濃御湯)、野沢温泉(犬養御湯)と共に「日本三御湯」と称されるようになりました。「名取の御湯」は、「拾遺集」、「大和物語」などにも詠われています。伊達政宗公も秋保の湯を愛し、伊達家の入湯場として代々大切に守られてきました。

秋保温泉旅館組合HPより 抜粋

ということで、欽明天皇の皮膚病を癒すために、わざわざお湯を京都に運ばせて沐浴もくよくしたという…。

仙台駅からはほぼ直通のバスで、1時間弱。比較的平坦な道のりで、いつのまにか温泉場に着き、各ホテル・旅館の前のバス停を巡回します。

本日お世話になる「蘭亭」 巨大看板
何やらかなり巨大な雰囲気 「伊東に来るならハトヤ」的な宿は久しぶり
こちら↑「蘭亭」 周りを見渡せば、他の旅館・ホテルもかなり大規模
入口のロビーも広くて開放的!
部屋は7階 きわめて居心地良し 秋保温泉の半分は見渡せます
こんな感じの里山的景観と共に、秋保温泉があります

ということで、鄙びた温泉場&宿・外湯好きにとっては、久方ぶりの豪華な感じで、妻子は大喜び。一人では来ないであろう宿と秋保温泉を楽しんでみます。本日はこの辺りで…。 (つづく)

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