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#ちょろけんの映画 政治と大衆―キャプラ『スミス都へ行く』を観る―

(ヘッダー画像はWikipediaより引用しました)

民主主義とは『スミス都へ行く』のことだ

 「民主主義とは何か?」―この問いに、映画好きとしては『スミス都へ行く』のことだと答えたい。この作品は、一人の青年が大義のために闘う姿を通じて、民主主義の理念を高らかに賛美するものだ。
 誰でも子供の頃に一度は政治に憤ったことはあるだろうが、大人になるといつしか政治の冷たさ、身勝手さ、理不尽さに慣れてしまうものだ、「政治はそういうものだ、仕方ない」と。この作品は、汚い現実に慣れた私たちの肩をつかみ、民主国家の市民として政治を担うよう強く訴えかける。これを観れば必ず選挙に行きたくなるだろう。

政治を見る子供たち

「生命、自由および幸福の追求」「人民の、人民による、人民のための政府」―読んだり聞いたりしても難しいこれらの理念が、『スミス都へ行く』では主人公のスミス青年のうちに示されている。彼はボーイスカウトの隊長で、正義感にあふれる愛国者だ。
 そんな青年が上院議員となって、故郷から首都へ向かうが、汽車から降りてまず向かったのは事務所でもホテルでもなくて、バスだ。彼はバスで首都の偉大なる記念碑を一巡する。連邦議会議事堂やリンカーン記念堂を眺め恍惚として、アーリントン墓地に眠る戦士たちを悼む。建国の父たち、自由の闘士たちへの思いがよく表れている。
 スミスを青二才だと新聞記者たちは笑うが、故郷のボーイスカウトの子供たちや、議事堂の小使を務める子供たちは、熱心なスミス支持者となる。こんな子供たちの瞳に向かって「政治とはそういうものだ、仕方ない」とはとても言えない。子供であっても、いやむしろ子供ほど、政治をよく理解している―キャプラの思いはそうだったのかもしれない。

リンカーン記念堂という神殿

 作中では、リンカーン記念堂が2回登場する。最初は、上京したスミスが首都を巡礼する際にリンカーン記念堂に立ち寄り、そして次には、金権政治家ペインと悪徳新聞王テイラーとの策略に打ち負かされ、絶望したスミスがおぼつかない足取りでリンカーン記念堂に向かう。
 田舎出の素朴な青年として、スミスはリンカーンと重なるように描かれている。その彼が、人生の転機に、偉大な大統領と対面する。リンカーン―いや、正確にいえばリンカーン像は、スミスを歓迎し、叱り、励ます。スミスはリンカーン像と対面することで政治の正道を歩むエネルギーを得るのだが、観客の私たちもまたスクリーン越しにリンカーン像と対面し、その力強い顔によって自分たちの民主主義者としての生き方を反省せずにはいられないだろう。

私たちはサンダースだ

 スミスの秘書・サンダース嬢は、政治の汚い現実に慣れてしまって、理想を振り回すスミス議員は青二才の夢想家だと思っている。政治に夢も希望も抱いていない彼女は、私たちを鏡に映した姿にほかならない。主人公はスミスだが、この作品を観る時には、サンダースが再び人間的な立場へ戻るところにも注目してほしい。

スミスとポピュリズム

 『スミス都へ行く』は1939年製作の作品で、世界恐慌の後、ルーズヴェルト大統領が大衆の声を代弁してアメリカの再建に邁進していた時期の、アメリカ社会の雰囲気を映し出しているように感じられる。言い換えれば、名もなき大衆が政治を動かしていくのだという考え方が、この作品の通奏低音をなしている。
 スミスが政治生命をかけて闘うのは、自分を信じてくれる大衆がいるからであり、そしてボーイスカウトや小使、新聞配達員や靴磨きの子供たちに明るい将来を与えるためである。スミスという一議員に大衆の意思が凝縮され、その力が腐敗した政治に向かって放たれる。悪は倒れ、大衆の意思が勝利するのだ。

 しかし、映画の中で大衆の意思が力をもつのは、裏を返せば現実にはそれだけ政治が大衆から離れてしまっているからではないか。政治機構が人間の手に負えない代物へと巨大化し、政治機構という舞台と一票を投ずる観客との距離が離れてしまったがために、舞台と観客とを結びつける絆として政治的ヒーローが求められるということだ。
 ルーズヴェルト大統領も、スミス議員も、政治的ヒーローだ。また、ペイン議員も、その支持者にとっては政治的ヒーローだ。新聞やラジオから毎日「ペインはすばらしい!」と聞かされていれば、誰でもペイン支持者になるだろう。私たちの現前にも、ポピュリズムの荒波が打ち寄せている。80年後のアメリカでポピュリズム的大統領が誕生するとは、スミスは想像もしなかったろう。

「誰かが聞いてくれる……」 

 "Somebody listens to me……"とクライマックスでスミスはつぶやく。大衆からのブーイングに自分の声がかき消されそうになりながらも、なお民主主義の理念のために闘おうとする。スミスが呼びかけたのは、あなたではないか。政治に失望してはならないのだ。


参考文献

『ゲティスバーグ演説』アメリカンセンターJAPAN(https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2390/#jplist)参照2023-8-25
井上篤夫『素晴らしき哉、フランク・キャプラ』集英社、2011
宇野重規『民主主義とは何か』講談社、2020
北野圭介『新版 ハリウッド100年史講義』平凡社、2017
小山太一「フランク・キャプラの人民喜劇における顔の変容」『れにくさ』no.5、pp232-249
斎藤英二「リンカーン記念堂を神話化する―フランク・キャプラとマリアン・アンダーソン」『明治大学教養論集』no.410、pp49-64
猿谷要『物語 アメリカの歴史』中央公論新社、1991
髙木八尺、末延三次、宮沢俊義編『人権宣言集』岩波書店、1957
なかざわひでゆき『民主主義と愛国精神の原点とあり方を問う、2018年の今だからこそ見直すべき傑作「スミス都へ行く」』ザ・シネマ(https://www.thecinema.jp/article/691?gclid=EAIaIQobChMIpoKR4KH1gAMVgRJ7Bx2SIwYGEAMYASAAEgKO7fD_BwE#)参照2023-8-25



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