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一日一歩♪ の、心持ち



〈葉きり蟻の行進〉に勇気をもらう

令和元年だからもう4年になる。その立春に100歳で没された画家 堀文子さんの追悼展で、柔らかで素朴な緑の色合いに一目惚れで手に入れた絵葉書。以来、リビングの壁に。まったく見飽きない。

絵のタイトルは『葉きり蟻の行進』、82歳の時の作品というから驚く・・・何て初々しさ! 展示区画《新しい場所、新しい人と出会って、いつも子供みたいにびっくりしていたい》に、この絵は有った。

その時その時をどう生きているか、その痕跡を絵に表すので、一貫した画風が私にはないのだ。結果として画風が様々に変わって見えても、それらはすべて私自身なのである。

堀 文子

無数に連なる葉きり蟻の運ぶ葉っぱ一枚一枚の色・大きさ・形の多様なこと!どの一枚もが、愛おしくなる。そしてその連なりは「自然な」曲線を成しながら、キャンバス上方の高みへ確実に向かう。それは恐らく、文子の生き様そのもの。人生の歩み半ばの私に、静かに、しかし力強いエールを送ってくれる絵

ピアノ🎹のお稽古 〜 今はシューベルト〜

高校の頃まで習っていたピアノ、永いブランクを経て再開し、早や10年余。毎日、夕飯を終えてから小一時間の練習。

子どもの頃に弾きたいと憧れた、耳慣れた華やかな有名楽曲への思い…それはピアノを再開してから、変貌した。ショパンも、ひとえに美しくロマンチックな作曲家というイメージはとうに払拭され、ここ数年は、この作曲家の膨大なピアノ曲の中から比較的マイナーな作品に取り組んで来た。

そして目下、私は、シューベルトのあるソナタに魅了されている。

一音一音に感情が込められるショパンとは異なり、シューベルトは正確な音の粒の連なりでもって、胸に迫ってくる。突出すること無く丁寧に刻み続けられるべき音符群(その様に弾くのは、実はとても難しい)が、結果、静かな大河の様に力を持つ。

https://youtu.be/SM_Gf2WRbko

刻まれる音の粒は、人生の一刻一刻の大切さを思わせる。

音符が雪崩の様に「転がる」ことなく、また凸凹しないように粒を揃えて弾く為には、とても地道なお稽古が求められる。決して一足飛びにはいかない。

だけど、シューベルトのピアノ曲、練習は、なぜか楽しい!

地道な練習中、その時間に身を委ねている感覚、安心感があって、なぜだか心地が良い。確かに前を向いて進めていると、信じることができる・・・そんな感覚。
先のWBC開催中のヌードバー選手のペッパーミル・パフォーマンスの“肝”に通じるような・・・。

書いてみて、わかる。

僕が言う「書く」は、あらかじめ頭の中にあるものを文字化することではありません。それはメモでしかない。書いてみて初めて、何を考えているか、自分が何者かを知る行為。わからないから、書く。

若松 英輔(朝日新聞 2017年11月4日記事 “フロントランナー”より)

どんな日も、向き合うと必ず心を穏やかに、そして前向きにしてくれる〈葉きり蟻の行進〉と〈ピアノのお稽古〉。二つを結んで書いてみた。

腑に落ちた。  


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