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023_長々し夜

 夜の闇を払うように、シャンデリアが煌めいている。華やかな室内楽に合わせ、眩い明かりの下、仮面を付けた人々が、くるくると輪を描く。異性の手を取る者もいれば、同性の手を取る者もいる。自由な空気が、大広間を覆い尽くしていた。

 目眩めくるめく夜は、まだプレリュードに過ぎない。

 その喧騒から離れた部屋の隅で、アンブローズは、ビロード張りの椅子に腰掛けて、ブランデーのグラスを傾けていた。

「アンブローズ様。あいつらに任せて、本当に大丈夫でしょうか? あの二人、相性が悪すぎはしませんか?」

 黒髪を几帳面に短く揃えた、白面騎士団副団長セドリック・アクロイドは、場に似合わない不安げな声を上げた。

「さてね。だが、任務を疎かにはしないだろう。シルヴェスターも、いい加減エドワード・オルブライトとやりたかったようだしな。」

 アンブローズは、心配性の副官に、空惚けた返事を返した。

 シルヴェスターは、率先して前線に出る好戦的なところは評価できるが、貴族であることを鼻にかけている節がある。

 もう一方の方は、中産階級の出ではあるが、アンブローズに心酔しきっている。汚れ仕事を任せるには、この上ない人材だ。

 内心では団長であるアンブローズさえ軽んじているシルヴェスターからすれば、彼など、不快な羽虫のようなものだろう。

 セドリックの心配にも、一理はある。

「それはそうですが……。しかしながら、アンブローズ様。この任務、成功率は低いのでは?」

「そうだな。私も、完遂出来るとは思っていない。だが、公のご要望だからな。」

 アンブローズは、尚も不安を拭いきれないセドリックに、事もなげに頷いてみせた。

 モントール公とブリッツベルグ皇帝ランプレヒト二世は、義兄弟に当たる。だが、彼らの仲は、決して良好な訳ではない。

 ランプレヒト二世は、あわよくばミーティアをも併合しようと目論んでいる。モントール公に妹を嫁がせたのも、その布石に過ぎない。

 モントール公が妻を受け入れたのは、一定の利があるからだ。

 公爵の意向としては、ランプレヒト二世の野望は、断ち切っておきたい。だからこそ、あえてブリッツベルグを作戦の舞台に選んだのだ。

「急いては事を仕損じると言いますがね。公も、分かっておいででしょうに。」

 セドリックは、呆れたように、深い溜息を零した。 

「何、公には公のお考えがあるのさ。我々一介の騎士には、理解出来ないお考えが、な。」

 アンブローズは、皮肉交じりに口元を歪めた。

 度重なる失敗に、流石に焦れてきたというのもあるのだろう。つまるところ、彼もまた、普通の人間なのだ。

「どうなることやら……。」

「分からないからこそ、楽しいだろう?  成功しても、失敗してもな。」

 アンブローズは、くつくつと喉を鳴らすと、ブランデーを一気に呷った。

 ランプレヒト二世は、今回の道化役だ。彼には、大衆の視線を、一手に集める駒以上の役割はない。 

「アンブローズ様が楽しめているなら、まあ、構いませんがね。俺なんかは、気が気ではないですよ。事が事だけに、最悪こちらに追求が向きかねない。」

 セドリックは、まだ不安げに、緑の瞳を揺らしている。

 彼の懸念も、あながち間違ってはいないだろう。

「シルヴェスターが捕まるとまずいが、あいつなら平気だろう。喋りはしない。私を、愛しているらしいからな。」

 彼はいつも、コリンの事を、いつも恨みがましい目で見ていた。アンブローズが自ら拾ってきたことも、コリンを目にかけていたことも、よほど気に食わなかったのだろう。

「おや、やはりそうでしたか。それで、寵愛を与えてやらんのですか? コリンもいませんし、サウザンクロス侯とも手を切って、今は、決まったお相手もいないでしょう?」

 セドリックは、くすくすと笑い声を上げると、冗談めかして掌を翻した。

「あいつは、飢えているくらいが丁度いいんだ。必死に、私に尽くすからな。」

 彼の愛は、盲目的な狂信に近い。寵愛を受けたいようだが、それがなくても、愛していると豪語するくらいだ。わざわざ、相手にする必要もない。

「アンブローズ様も、酷いお人だ。」

「お前に比べれば可愛いものだろう? 私は、妻を持たないし、いたところで、公に差し出したりはしないからな。」

 女だろうが、男だろうが、移り気な自分は、長続きはしない。コリンだけは例外だったが、彼も、この手にかけてしまった。そんな自分が、家庭を築くなど、万が一にもありえない。

「そこを突かれると痛いですがね。まあ、公にはご満足頂けているようですし、妻も、楽しんでいますから。私よりも、公と寝る方が良いそうですよ。願ったり叶ったりですがね。」

 セドリックは、仮面の下で、緑の瞳を意地悪く歪めた。

 夫婦仲が良くないのは知っていたが、所帯を持つというのも、やはり面倒なものらしい。

「酷い男だ。よく離婚しないものだな。」

 アンブローズは、からかい半分に部下を見上げた。

「お互い、色々と都合が良いんですよ。このままの方が。」

 きっと、世間体、というものもあるだろう。認められているとはいえ、離婚はやはり体裁が悪い。セドリックのように、子供がいれば尚更だろう。

「さて。いよいよ宴も終わりか。」

 アンブローズは、空になったグラスをサイドテーブルに置くと、膝の上で頬杖をついた。

 室内楽の演奏は終わり、仮面をつけた客達は、めいめい歓談に耽っている。

 中には、欲求に耐えきれず、姿をくらました者もいるらしい。踊っていたときよりも、明らかに人数が減っていた。

「長い夜になりそうですね。」

「憂さ晴らしに、お前も混ざってきたらどうだ?」

 嘲笑うように笑声を零したセドリックに、アンブローズは、ちらと視線を送る。

 一夜限りの遊びに興じるのは、彼も嫌いではない。

「いえ、今日はやめておきますよ。仕事もまだ残っておりますし。アンブローズ様は?」

「そうさな。私は、しばらく眺めている。興の乗る相手も、いなさそうだからな。」

 アンブローズは、品を作って相手を探す客達を値踏みしながら、深い溜息を零した。

 いくら仮面越しでも、見慣れてしまえば、その下は透けて見える。楽しめそうな相手が、今日の客人の中にいるとは、到底思えなかった。

「左様で。では、俺は戻りますよ。」

「ああ。」

 アンブローズは、去っていくセドリックの背に、気のない返事を投げた。

 堪え性のない客人達が乱痴気騒ぎを始めるのを横目で見やりながら、アンブローズは、次の盃を重ねる。

 今回の一手は、当たれば大きいが、当たることはないだろう。

 アンブローズの関心は、事の成否にはない。

 女王を狙われて、オルブライト兄弟は、どんな顔をするだろうか。あのウォルター・ボールドウィンは、不測の事態に慌てるだろうか。それとも、この程度は、予測の範疇なのだろうか。

 それを、この目で確かめられないのが残念だ。

 熟成されたブランデーの香りを楽しみながら、アンブローズは、今後に想いを馳せる。

 きっと、近いうちに、彼らと自分が、遊ぶ機会も巡ってくるだろう。

 それまでは、この長い夜に身を委ね、退屈を紛らわすとしよう。

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