順番について

 ご飯を食べられるようにするには、水の中にお米を入れて、その水を沸かさないといけない。そしてそれを口に放り込む。その逆ではダメである。生米を口に放り込んで、お湯を飲んでも、ご飯にならない。──この面白くもなんともない説明が好きだった。
 これで言いたいのは、物事には順序が大事だ、ということなのである。
 高校生の頃、将来の夢は「離婚すること」などと吹聴していた。長じてどうなったかは措くとして、離婚するためには結婚しなければいけない。その逆はあり得ない。順序が大事である。

 ところで、先日、自分の子ども(中学生)が出演している芝居を観た。男と女の二人芝居で、過去をもった二人が夜更けに逃亡してきて、壁を越えようとするが、その壁は越えられず、結局二人は朝に死ぬ、というストーリーである。

 そのなかに「ラビアンローズ」が挿入歌で出てきた。
 当然のことなのだが、「バラ色の人生」などは存在しない。
 人生は〈バラ色でない〉ということを知っているから、「バラ色の人生」という歌に意味がある。
 つまり、人生はバラ色かと思ったら、そうではなくて、そして「人生はバラ色ではない」という知恵を得ることができて、そして「ラビアンローズ♪」が歌われる。サッチモのすこしユーモラスなこの歌の悲しさは、単純な悲しみではなくて、その悲しみが、知恵に昇華して自分に貼り付いちゃってるところが哀しいわけである。
 ここにも順序がある。

 ちなみに、芝居は、まだ女と男を知らない若い人たちが演じたわけで、それはそれでよかったのかも(ここには「処女の女優は娼婦の芝居ができるか?童貞の男優は女を知っているフリができるか」という大問題があるが、ここでは措く)。
 ところで問題は、順番が大事だ、ということである。この「順番」ってなんだろう。
 この順番のことを「物語」というのではないだろうか。アリストテレスは「物語」を2種類に分けた。単純な物語と複雑な物語である。単純な物語とは、いわゆる継起的に、つまり順番に出来事が生ずる話である。「夜が来て、朝が来る。」「王様が死んで、それから王妃が死んだ」というヤツだ。それに対して、複雑な物語は、因果関係がある話。「王様が死に、そして悲しみのゆえに王妃が死んだ」というヤツだ。前と後の出来事が原因と結果でつながっている。

 さて、それでは人生は単純な物語だろうか、それとも複雑な物語だろうか。おそらく、こういうとき「正解」は〈両方〉だ、というのが大人の答えである。でも、べつに大人の答えは、ここではいらない。

 もし、人生を「単純な物語」だとしてみる。「朝が来て、夜が来る。」「生まれて、年くって、死ぬ。」(「酒飲んで、酔っ払う」もこっちかな?)この場合、ポイントは、自分がどこに位置しているかだろう。
 自分は、人生の突端にいる。椎名林檎が歌うように、今は、次の瞬間にはもう古いのだ。今がいちばん新しい。そして、自分はこの人生の、防波堤の先っちょみたいなところにいる。
 ただし、やっかいなこともある。それはこの考え方だと終わりというものに立ち会えない。死は終わりだが、死んでしまっては、突端に立てない。そしてそうだとすると、自分の人生が俯瞰できないことになる。「オレの人生は……」と語れない。語ったとたんに古くなる。

 では人生は、もう一方の、複雑な物語なのか。こっちのヤツのポイントは、因果関係の設定、というところにあるだろう。「フラれて悲しみのゆえに、酒を飲んだ。」とするなら、その〈ゆえに〉を設定したのは自分であるけれど、それは人生の突端にいる自分とは違うだろう。こっちは、人生を俯瞰しているとまでは言えないが、すくなくとも生きている今の座席に座っているのではない。

 さて。話を戻そう。
 「人生はバラ色さぁ♪」と歌える人生は、単純な物語か、それとも複雑な物語だろうか。
 この歌が、ユーモラスに、滑稽に響くためには、順番が肝心である。
 順番を違(たが)えたら哀しみはやってこない。しかし、哀しむことができるためには知恵が必要だ。その知恵を得るには、人生の突端からいったん降りてみなければならない。
 うーん。答えは、やっぱり〈両方〉だった。

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