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向いていなくても対戦ゲームは遊んでいい

異議がある。

この表によると僕は「同レベルマッチングの対人ゲームに向いていない人」だが、これはまったく余計なお世話である。向いていないからなんだ。向いていなくてもそれなりに色んなゲームの大会の成績は残してきたし、向いていなくても楽しんできたし、向いていなくても友人はたくさん出来た。

向いていなくても対戦ゲームは遊んでいい。なんなら楽しいのでやったほうがいい。トップにはなれないかもしれないが、十分に強くもなれる。この指摘はまったく余計なお世話であり、「同レベルマッチングの対人ゲームに向いている人」がより優れた生物かのように書かれているけれども、決してそんなことはない。

勝てない時に人は怒っていい。それは勝ちたいことの裏返しであって、その怒りは対人ゲームに一番必要なものですらある。

負けた試合の何が悪かったかあまり反省しなくてもいい。なんでも反省しすぎて自責の念に駆られて、プレイのモチベーションを下げてしまえば本末転倒だ。反省せずに回数をこなした方がいいこともたくさんある。

勝率50%を嫌っていい。もっと勝ちたいと思っていい。人間は悪い出来事の方が強く印象に残るから、勝率50%はすごく負けこしたたように感じてしまう。それはただの人間の性質であって、個人の性格の問題ではない。当然もっと勝ちたいと願っていい。

自分のキャラが不利な環境を嫌っていい。勝ちたい気持ちと自分のキャラのこだわりは両立していい。勝利を第一としてすべてを選択するのがもっとも正しいとは限らない。自分の好きな戦法やキャラクターで勝ちに行ったっていいし、その不遇な環境を嘆いたっていい。

自分が勝てるゲームをやりたいのは当たり前だ。僕たちは勝ちたいから対人ゲームをやっている。修行したいなら坊主にでもなればいい。

自分が勝てないゲームはやりたくない。どんなに負け試合の経験値が多くたっても、その先に勝利があるから仕方なく反省するだけだ。あくまで勝ちたくて対人ゲームをやっているのは言うまでもない。

勝っても負けても試合の振り返りをせず、雰囲気で遊んでもいい。ストイックに、効率よく、粘り強く、愚痴を吐かず、誰も傷つけず、そんな人間はとても立派だが、それはYoutubeの向こう側だけでいい。僕たちはもっと泥臭い。振り返りは面倒くさいからしなくていい。たまに気が向いたときに少しだけ、振り返るだけで十分だ。

一貫して、対人ゲームで頂点を目指さなければならない、強くならねばならないという価値観に違和感を感じる。頂点を目指すような取り組みをしなければ「向いていない」、そうした取り組みのできる人間が「向いている」。これはおかしい。対人ゲームはその時一瞬の激情を求めてプレイしていい。誰も彼もが競技的に取り組む必要はどこにもなく、競技的に取り組んだからと言って偉いということはない。

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