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意味不明のゲームを数人に購入させて高みを目指す話①

僕はnoteの記事を探して読むのが結構好きである。この記事を見つけたのは、つい昨日のことだ。

こういう記事を僕が見つけてくると「どうやって見つけてきたの……インターネットストーカー……怖……」みたいな反応をよくされるのだが、noteがおすすめしてくるものを僕はタップしているだけであり、この言われようは全く持って心外だと言わざるを得ない。文句はサジェストの仕組みを考えたインターネットのほうにしてほしい。

話を戻して上の記事を要約すると、

・筆者が長らくやりこんでいるマイナーなゲームがあった
・そのゲームのSwitch版が発売されることになり、あるイベントの一幕でそのゲームをプロゲーマーが遊んで紹介する場面があった
・プロゲーマーの練習もしてきてないだろうプレイをみて大変にがっかりした。プロのゲーマーによって自分の好きなゲームを棄損されたように感じた

ということが書いてある。

これに関して、僕は色々と思うことがあった。僕が以前プロゲーマー的なものだったという立場という経緯があるから、これはどちらの立場にも立って喋ることができる。

筆者への共感

当然、筆者の気持ちはよくわかる。あまりメジャーでないゲームを僕も多くやりこんできた人間だ。そこにメジャーな人間がやってきてイベントが行われ、「ハッパロイドにナチュラルフルーツを食わせるの!?お兄さん本当にこのゲーム遊んできました!?」といった疑問が出てくることは数えきれないほどあった。そのたびもやもやした気持ちになったことを覚えている。

ましてやそれを「プロゲーマー」という大層な肩書をもった人間が遊ぶのだから、そこに期待してしまうのはある種当然のようにも思う。自分が大好きな作品だからこそ、それを公の場で適当やぞんざいに扱われることに、抵抗がある。このゲームは本当はもっと面白いのに、なぜその場で僕たちを代表している人間が、この魅力を伝えられないんだ、伝えてくれないんだ。そう思ってしまうのである。この気持ちは僕には痛いほどわかる。

シーンを追っていればプロゲーマーという肩書の曖昧さはよくわかる。正直誰でも名乗れる問題もあれば、逆に特定団体に公認されていないプロゲーマーがプロゲーマーではないのか、といったような問題もずっと話されてきたからだ。しかしそれはシーンを追っていればという話で、外から見て「プロ」という響きに一定以上の期待を持ってしまうことは、避けられないだろう。

プロゲーマーやその他への共感

実はちょっとインターネットをすると、この筆者が憎悪を向けているプロゲーマーが誰であるかはっきりわかってしまう。好奇心で検索したら、数年前に僕が一緒によくゲームを遊んでいたその人が出てきたのでこれには思わず笑ってしまった。いやしかし、これが仮に僕の友人でなかったとしても、この立場には共感できると言っておこう。

第一に、「プロゲーマー」という表現の問題がある。現代のスポーツに置き換えると、プロの野球選手とプロのサッカー選手をひとくくりにして「プロスポーツ選手」と表現しているのが今の「プロゲーマー」であって、プロのスポーツ選手に対して「プロスポーツ選手ならちゃんとカバディ仕上げてこいや、失望した」という主張は理不尽に聞こえる。プロ野球選手はプロの野球選手であって、プロのカバディ選手ではないからだ。

数十分で終わるイベント出演に対してどれだけ労力を割くかというのも切実な問題だ。見る側からすれば確かに十全な準備ですべての企画に臨んでほしいが、本人としてはその結果で、本業の成績が落ちてしまっては本末転倒である。プロゲーマーとはゲームのプレゼンターではない。基本的には競技者なのだ。

プロの在り方として、本業で結果を残すことこそ重要だという考えは当然ありうる。そんな中「一時間は遊んでそう」と筆者に思われる程度に遊んできているそのプロゲーマーに、僕はむしろ賞賛を送りたいと思った。恐らくは大した出演料ももらえないだろう中で、本業がアップデートが忙しくなる中で、よくこのインディーゲームを練習して向き合っていたと思う。本当に偉い。

嚙み合わない出演依頼をするな、という主張はもっとものように思えるが、一体だれを出演させればそのゲームのPRに役に立ったかという話はある。マイナーなゲームほど現実には限られた予算があり、出来ることはそう多くない。むしろ遊んでもらえるだけありがたい、というのが正直なところだろう。夢も希望もないことを言えば、自治体と広告代理店が"いい感じにやる"イベントにおいて、コアなゲームプレイヤーの気持ちが汲まれることはほとんどない。

筆者は自分が嫌な気持ちになったことの犯人捜しをしているが、現実の社会では自明な犯人がいることはそう多くない。むしろ誰も悪くないことがたくさんある。この件が果たしてそうかは僕にはわからないし、実際にはとんでもない悪人が私腹を肥やしているのかもしれないが、仮にそうだとしても、僕たちができることは、前を向くことでしかないのではないか。怨嗟を垂れ流す気持ちはわかる。愚痴を言いたくなるのも仕方がないと思う。しかし本当に重要なのは、そのあとどうするか、ではないか。

僕はこの筆者とプロゲーマーの両方に共感した結果、自分でできることは何か考えて、一つの結論に思い当たる。つまり、この筆者の書いた記事とそのプロゲーマーがイベントに出演したことで、ゲームの売り上げが増え、プレイヤーが増えればいいわけである。そうなれば、筆者がその熱量を表現したからこそプレイヤーが増えたことになり、プロゲーマーが登壇してその知名度(実際たまたま知り合いだったし)が生かされたからこそ、プレイヤーが増えたことになるのではないか。

今まで散々名前を伏せてきたマイナーなゲームだが、タイトルは『Nyaaaanvy(以下、『ニャンビー』)』という。ここで僕が取った行動は、筆者のブログのURLを張って熱量を感じ取ってもらったうえで、僕が無茶苦茶な言葉を沿えて、身近な人間に『ニャンビー』を買わせることだった。

ニャンビーを研究する上で、オリンピアンとして国を背負ってシンガポールまでクソゲーをやりにいった男に声をかけない道理はない。この後「初音ミクとフィットネスする予定だったのになぜおれはニャンビーをやっているのか」とずっと怒っていたが無視した
URLを送ったらいきなり文中に書かれていないプロゲーミングチームの名前を返してきたのでこいつは終わってると思った
JeSU公認プロゲーマーの肩書を持った人間にもプロゲーマーとしての責任を問うたところ、既に購入した画面と「@4人集める必要がありますよね?」と逆に圧をかけてきた。これがプロゲーマーか。
普段DMしない人間から「ニャンビー(意味不明のゲーム)やりたいですよね?」と突然送られてくる現象は呪いの手紙に近い何かであり、冷静に考えると恐怖だが、なんだかんだみんな買ってくれるので優しい
 このDiscordの挨拶アイコンが出ていることとやりとりから察して欲しいのだが、はじめてDMを送る人間にも「ニャンビーを遊びたいのは人類として必然」というトーンで話しかけることでゲームを購入させた

早速5人に購入させた。誇って欲しい。これは僕だけの力ではない。筆者の熱量がまずあり、僕がそれに共感したからこそである。筆者の熱量が、僕と、この5人を動かしたのである。イベントに登壇したプロゲーマーの知名度があり、僕が「こいつより『ニャンビー』やりこんだら面白いな」と思ったからこそ、この行動を実行した。すべてに意味はあったのだ。

遊ぼうじゃないか。『ニャンビー』。

この話は次回に続きます。


対戦相手が欲しい人は僕が相手します。誰でも可。XのDMか、普段の配信かなんかで声かけてください。Switch版とのクロスプレイ可能なのでSwitch版でもいいのが嬉しいですね。1000円。ゲームについては次回記事で触れますが、買ってすぐの状態でもとりあえず対戦になるうえ、やればちゃんと味はします。どうぞよろしく。

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