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好きなことを続ける体力

 今帰省しています。家族と会うのは一年に3回、お盆、冬休み、ゴールデンウィークのみです。それらはとても貴重な時間ですが、そんな中でも1日に2回時間をもらい、運動するようにしています。

 私は1・2年で日本各地を転々とする転勤屋です。もう5年以上、1人暮らしをしています。なかなか家族に会えないのだから、運動なんてせず家族に全力で向き合ってあげればいいのにという声が聞こえてきそうですが、今この習慣を変えるつもりはありません。

 その理由ですが、今年のはじめ、正月が終わって仕事をしに東京に戻った時、人生ではじめて鬱になってしまったからです。軽度ですが、3日くらい仕事に行くのが嫌になり、仮病でお休みしました。

 なぜ4日目に仕事に復帰できたかというと、職場から「Chom(筆者)が風邪で出勤するのが難しそうなら、自宅にパソコンを持っていくよ。」と連絡を受けたためです。

 職場の仕事は属人的ですので、私でないと対応できない案件があります。ですので、その電話をよこしてくれた同僚の判断は間違いではありません。しかし、パソコンを家に持ってきてもらうのはさすがにキツいので、嫌々出勤したわけですが、出勤後しばらくたまったメールを処理している間、その日のうちに鬱が治ってしまいました。

 そんな簡単に治る鬱を、はたして鬱といっていいのか分かりません。でも、確かにあの時、何もやる気が起きず、ひたすらベットに横たわってYoutubeをみていました。精神的にキツい3日間でした。

 それから、なぜそんな状態に陥ったのか振り返ってみて、1つの仮説にたどり着きました。職場がハードなので、休みの間の穏やかな日々から、ハードな日々に移行するまでの気持ちの整理が上手くつかなかったのだと思います。

 温かくて気持ちいいお風呂から、冷水をはったお風呂に移るのが嫌だという気持ちに似ています。エアコンの聞いた快適な部屋から極寒の地へ、あるいは熱気でむせ返るようなジャングルへといった心持ちでしょうか。

 私が休みの間にも運動を続けているのは、休みの間の穏やかな状態から、ハードな職場への橋渡しをスムーズに行うためです。簡単に言えば、普段からちょこちょこ負荷をかけておけば、負荷のかかる環境にもすぐに馴染めるだろうというものです。

 職場のお仕事は完全なオフィスワーカーなので、別に運動するわけではないのですが、人の頭というのは案外ダマせるもので、運動の負荷も、仕事の負荷も、広く負荷という意味では同じように扱ってしまうようです。

 今のところこの作戦は当たっており、休暇をだらだら過ごすよりも、少しだけスパイスといいますか、負荷をかけておけば、仕事に戻るときの鬱鬱とした気持ちはかなり軽減されることがわかりました。

 加齢とともに、およそあらゆることに体力が必要という事実がよくわかります。好きなことですらも、体力が必要です。例えば私は、小学校の頃からかなりのゲーマーでしたが、夜通しゲームをするような体力は、今は失っています。

 映画を観る、本を読むといった営みも同じで、120分の物語をぶっ続けで鑑賞する、あるいは180ページの小説をぶっ続けで読むというのも、実は随分と体力を消費します。昔できたことが、いつの間にかできなくなってしまったということは、30代になると決して珍しくありません。

 昔大好きだったことでも、多くは社会人となり仕事にかかりきりになっている間に、それすらも負荷に感じるようになってしまい、多くの人が、好きだった習慣を手放してしまうようになるのだと思います。

 自分は仕事だけではなくて、好きなこともこれからずっと続けていきたいと思っています。毎日少しずつでもいいので、好きなことを続けるための体力を養っていきたいと思っています。実はこのノートも、そういった動機ではじめていたりします。


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