見過ごせない「Racing on」の劣化【材料が集まらないなら休刊を】

1986年に創刊された自動車レース雑誌「Racing on」(SAN-EI)は毎号テーマ特集を設け、丁寧な取材に基づく骨太な誌面構成でモータースポーツファンをひきつけてきた。

しかし創刊500号を迎えて以降、誌面の質の低下が表面化している。まず当事者への取材がろくにできておらず、始めに設定した結論に合う傍証を並べるケースが目立つ。次にライターや編集者の質が低下していて「てにをは」のミス、不自然な構成の文章が多い。

具体例をあげれば昨年初頭に刊行したNo.504からその傾向が出てきた。この号のテーマ特集は1989年~1993年のいわばNA回帰期のF1でホンダとルノーのエンジンウォーズを中心に据えたもの。

だが「ホンダが時代遅れのエンジンを作ってルノーに負けた」という結論を先に出してそれに合う材料を寄せ集めた拙い作り。
実際にはホンダがシャシーのパッケージングに配慮したエンジンを作ったのに対してマクラーレンが「ホンダのエンジンなら載せれば勝てる」とエアロダイナミクスやメカニカルグリップを軽視したシャシー開発を続けた。
一方のウィリアムズは1990年半ばにニューウェイを迎えてエアロダイナミクスが進化し、その後のハイテクデバイスの熟成、さらにルノーやエルフとのコミュニケーションの深まりでパフォーマンスが劇的に向上、総合戦闘力でマクラーレン・ホンダを凌駕した。
つまり、主にマクラーレン側の責任に帰するホンダとの連携不足が敗因であり、ホンダのみに押し付ける性質のものではない。
もう一歩踏み込めば第四期で再度マクラーレンと組んだ時の失敗の原因とされたコミュニケーション不足は、既に第二期の段階から生じていたわけで、ある意味失敗は当然だった。歴史を振り返るならこういう視点で現代に照射させないと意味がない。
また当事者の証言集めが少なく薄い。特にマクラーレン、ホンダの関係者はほぼゼロ。ロン・デニスやニール・オートレイには伝がない上、ホンダ第二期に関わったひとのなかに現在の第四期のリーダー格が複数いるのでやりづらかったのだろうが、ならば厚みのある取材が積み重なるまで刊行は控えるのが妥当だろう。

この傾向はどんどん酷くなり、近刊のNo.513「マクラーレンとウィリアムズ」ではパトリック・ヘッドとナイジェル・マンセルからしか新たな証言を得られない状態で構成している。

「出版不況」「活字離れ」と言われて久しいが以前書いたように書物への関心は根強い。単に作り手の質が低下して顧客に逃げられているだけ。「Racing on」のような高級誌でこれではお先真っ暗。

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