本稿の狙いは以下を御参照下さい。
松井浩『打撃の神髄 榎本喜八伝』(講談社)
日本プロ野球史上最年少で1,000本安打、1,500本安打、2,000本安打を達成した榎本喜八(1936-2012)。
前回取り上げた長嶋茂雄とは同年生まれ、しかも同じ背番号3をつけた(学年は長嶋が上だがプロ入りは榎本が先)。
王貞治の師として有名な荒川博が王に先立って目をつけ、育てた一番弟子でもある。
ただ榎本は現役時代寡黙なことに加え、パ・リーグ一筋であまり日が当たらず、しかも引退後球界と距離を置いた。
従って沢木耕太郎のノンフィクション短編集『敗れざる者たち』(1979年)の1篇で描かれたり、そこから「Number」誌のインタビューに応じたこと以外は注目を集める機会は殆どなく、一種の「伝説」として語られる存在だった。
そんな榎本の実像に長期間の地道な取材で迫った評伝が本書。
「王より上」の境地に至ったバットマン
簡単に言えば「打撃は好感触が掴みづらく掴んでもまた逃げていく。それを身体の中に収めようとしたひと」を描いた1冊。
それだけだが、1つ1つの項から発せられる「気」がスポーツ選手の評伝としては極めて濃く、厚く(熱く)、重い。
師匠の荒川が、榎本の打撃を語った言葉を読んだだけで想像を超えた領域にクラクラしてくる。
著者の松井は、いわゆる「ゾーンに入った」時の榎本の境地をこう表現する。
王貞治は、ホークス会長となった現在でも折に触れて自軍の打者を激励するが、その時よく言うのが「バットの芯とボールの芯を結べ」。
ともに同じ荒川博を師と仰いだ榎本と王の打撃の本質の共通認識が浮かび上がるし、その荒川が「到達したバッティングの境地でいえば、榎本の方が上」というのだから、榎本の別次元性が分かる。
前述したように打撃は好感触が掴みづらく、掴んでもまた逃げていくもの。
榎本の掴んだ好感触は何とプレー中の捻挫で7試合欠場していた間に逃げていった。
そして次第に見えないものを追い求めて苦しみ、周囲とも溝ができてしまう。
現役晩年のいくつかの振る舞いは「奇行」とされ、今に至るまで虚実取り混ぜて語られる。
確かに西鉄で榎本の現役最終年をともにした若菜嘉晴は、YouTubeでホークスの長谷川勇也の話題が出た際に「打撃の求道者」という文脈で榎本の名前をあげ、「新人でキャンプが同室だった。夜中に突然起きだして声をあげ、バットをブルンブルン振り始めた」と回想していたから、尖った人間だったことは間違いないだろう。
しかし、本書を通読してずっしり残るのは一つのものを極め、掴もうともがく、真摯でちょっともろい人間の姿だった。
こういうひとの姿をセンセーショナリズムに陥らず、シンプルかつ共感に満ちた文章で描いた著者の筆力は素晴らしい。打撃、ひとつの打席、ひとつのスウィングをより真剣に考えたくなる良書。
衣笠祥雄『水は岩をも砕く』(ロング新書)
日本プロ野球記録である2,215試合連続出場を筆頭に通算2,543安打、504本塁打の実績を残し、国民栄誉賞を受賞した「鉄人」衣笠祥雄(1947-2018)。やはり背番号3の内野手(入団当初は捕手で背番号28)で広島カープの永久欠番になっている。
「鉄人」の歩みを通じた生き方エッセイ
本書は引退後約20年経った2008年出版で2012年に新書化された。「編集協力/富永幸二郎」とあるから恐らくこのひとが構成した聞き書きと推測する。
赫々たる実績と題名から堅苦しさや説教風の語り口を想像しそうだが、実際の中身は野球人生を振り返りつつ、生きるヒントを織り交ぜた肩の凝らない内容。ときに鋭い指摘をしながらも終始温かい口調だったありし日の解説が頭に浮かぶ。
「基本を個性的に表現することが、個性である」という項にはこんな言葉が綴られる。
また「頑固にやって結果が出ない方法論」という項では
と語る。一般人のワーキングプロセスの組み立て方の参考になるものだし、昨今の時勢と重ね合わせるのも興味深いだろう。
本の結びでは「思いっきり野球を伝えたい」と次のように綴る。
筆者はかつてNHK-FMに衣笠祥雄が出演するのを偶然耳にした。
ひとから好かれるためのヒントを問うリスナーの質問に
「ひとから好かれようと思う前にまず自分を好きになること。好きでもない自分を他人に好きになれなんて理不尽でしょ?私は自分が好きですよ。そうすれば好きな自分でいられるように自然と努力しますから他人にも好かれるようになるでしょう」
と明快に答えていた。上記の言葉とも一脈通じるものがある。
衣笠祥雄は引退後、コーチや監督に就かなかった。その理由は様々に取りざたされたが、前述のように解説者(主にTBSテレビ)としては好評を博し、亡くなる数日前にも体調不全をおして出演した。この放送をたまたま母と視聴した筆者はあまりに嗄れた声に驚き、どうしてしまったのか心配になった。当然ネット上の話題にも上ったが数日後に逝去が報じられた。自らの言葉を実践し最後まで野球を伝え続けた姿は今なお野球ファンの脳裏に刻まれている。
4回にわたった「プロ野球賢者の書」は一端今回で終了。もちろん「賢者の書」はまだまだたくさんあるので折に触れて紹介するつもり。
※文中敬称略