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紙切れに詰まった思い出を捨てる

お片づけは書類のフェーズに移りました。
書類、紙もの、本、と、紙製品のものはたくさんありますが、まずは「書類」「紙資料」と呼ばれるものを片づけます。

仕事ではともかく、プライベートではとにかく紙ものの整理が苦手です。
気がつくと、デスクの上も本棚の隙間も、なんだかわからない紙でいっぱいになってしまいます。
紙ものにはいくつか種類があって、ひとつはDMなどの見たらいらなくなるもの、ひとつはお金に関わるもの、ひとつは保証書や説明書など、そしてもうひとつは、勉強で使った資料やノート類です。こういった、部屋中にあふれる紙ものを集めて、大雑把に4つか5つのカテゴリに分けて、そしてガンガン処理していきます。

わたしの部屋には棚2段分くらいの紙ものがあって、それが最終的には棚半分くらいに収まりました。そしてその後には、同じだけの量のクリアファイルやバインダーが残りました。つまり、いらない書類は棚1段分あったということです。
「いらない」の中には、あきらかにいらないものがたくさんありました。
書類が送られてきた時のままにしていた封筒が最たるもので、封筒はとにかくたくさん捨てました。それから、読めないくらい細かい字で書かれた、カードや口座の特約の冊子。これもオンラインで見れるはずなので、いらないものです。さらにはもう5年以上たった給与関連の書類。
こういったものは、考えずに機械的に捨てることができます。

少し悩んだのは、しばらく溜め込んでいた映画や展覧会のチラシです。
チラシというのはよくできていて、見所が一目でわかるし、裏面をみれば重要なポイントが簡潔に抑えられています。とはいえ、これをとっておいても見返すのは大掃除をするときくらいなので、今回は思い切って捨てました。

その中に、「ブランカ・ニエベス」という映画のチラシがありました。
スペイン語で「白雪姫」という名のその映画は、モノクロのサイレント映画で、たしか2013年に日本で公開されていたものです。天才闘牛士の娘が孤児となり、継母に虐め抜かれて逃亡した先で、小人の旅芸人に拾われて、闘牛士として活躍するようになる物語です。
闘牛士となった若い娘の姿があまりにも神々しくて、その写真だけで見るのを決めた映画でした。大体にして、マタドールのあの衣装はそれだけでも大変美しいものですが、それを中性的でどこか悲壮感の漂う人物がまとったら、見たほうはもうどうにかなってしまうほどの衝撃をうけます。マタドールにはそういう魅力があります。
ところがその映画は、出来事も感情もジェットコースターのようで、静かな余韻など感じさせぬ、という意気込みを感じるほど、怒涛の展開なのでした。スペイン映画をスペイン映画と認識して見たのはこれが初めてでしたが、ひたすらに圧倒されました。

と、いうことを、久しぶりにチラシを見て思い出しました。

別に、日頃見返して感慨に耽るわけでもないし、この映画が特別好きだったわけでもありません。だから、このチラシはいまのわたしにとっては「いらないもの」です。
でも、このチラシを捨ててしまったら、もうしみじみと思い出すことはないんだろうな、とも思いました。見るたびに思い出すくらいには、衝撃的な作品で印象に残っているのは確かです。

片づけとは、持ち物を整理して、それにまつわる思いを整理して、いまの自分に必要なものをより分けていく作業です。それに対して否やはありませんし、限られたスペースと増え続けていく「大好きなもの」のことを考えれば、優先度の低いものは順番に捨てていくしかありません。
それは同時に、思い出すきっかけを捨てることでもあります。
「ブランカ・ニエベス」のチラシを、わたしは捨てました。今後、この映画を思い出すことはあるでしょうか。もうないかもしれません。ひょっとしたら、「ものすごい衝撃を受けた作品」として、「切り取られたワンシーンがあまりにも美しい作品」として、思い出すこともあるかもしれません。
思い出す縁がなくなったとき、はじめてその記憶の力が試されるのかもしれません。

ほかに今回捨てたもので大きかったのは、留学中の授業のノートや課題の山です。本のコピーもいろいろととってあって、いずれ読もうとおもっていてもう10年も経ってしまいました。さすがにもういいかな、と思って、思い切って捨てました。
留学関連で残っているものは、製本した修論(一生涯開く予定はありません)と、学位の証書くらいです。これも、まあもういいのかな、と思います。学びというのは、身につけた分が大切なのであって、その過程のメモはいらないのです。それを見返しても、「あの頃はがんばっていたな」という感傷が得られるだけで、新しい学びには、おそらくならないでしょう。なるのかな。わからないけれど。

そんな感じで、紙ものの整理には半日を費やしました。
今回は、手紙やカードなどの「思い出系」の紙ものは除外しましたが、それでも、メモやチラシにでも、存外思い出はつまっているものだな、と改めて実感しました。
願わくは、思い出すきっかけの紙がなくなっても思い出せるほどに、わたしの記憶に刻まれていますように。




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