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「かつ、かつと回廊に足音が響き渡る。」

日本語のゆたかさのひとつは、擬音語にあるなと思います。
この「かつ、かつ」という音の持つ硬さ。
回廊、足音、という言葉から、石造りの廊下でしょうか。
そこに「響き渡る」ということは、その足音以外、物音はしないのでしょう。
無人の回廊。
そこを歩く人物と、その音を聞いている誰か。
石は冷たさを、無人の回廊は俗世から切り離された孤独、あるいは隔離というある種の狂気を思い起こさせます。
そして、この音を鳴らす人物が、この音を聞く人物にとって、好意を持つ相手ではないことが伝わってきます。

日向夏著『薬屋のひとりごと3』(主婦の友社、2015)

さて、このプロローグの主体は誰だったかというと、壬氏なわけですが。
1巻、2巻で築き上げてきた「美貌の宦官」というイメージ、そして猫猫の前でだけ見せる謎の執着心。
どちらともかけ離れた印象を与えるのが、このプロローグです。

いやあ、すごいなあ。
だって結局、壬氏は1巻2巻で描かれていた人物とは違うじゃないですか。
それは猫猫が時折感じる違和感であったり、彼視点のモノローグに現れたりとするわけですが、物語としては、3巻はひとつの大きな転換点になります。
その中心にいるのが、この壬氏という人物です。

この作品のすごいところは、他でもいっていますが、伏線の張り方が尋常じゃないところです。
数巻にわたってようやく回収される伏線が、山のようにあることあること。
1巻ごとに出てくる事件はせいぜいひとつふたつですが、その裏に張り巡らされたわずかな違和感、微妙な認識のずれ、そういったものが、ある時突然表に現れて、新たな事件を引き起こす、という仕組みになっています。
それだけ長い間引っ張られる伏線があると、壬氏の件については回収が早い方ですよね。
そうはいっても、彼のわずかな一面でしかないのですが。

猫猫のほうも、花街の薬屋といっておきながら、結構な血筋であることがわかってくるわけで、高貴なお方と下賤の者、という関係性がだんだんずれてくる。
そこに物語の面白さがあります。
そして猫猫も壬氏も、自分で「こう見せている」「こうである」と思っている姿と、周囲の認識が結構ずれている、それも巻を追うごとにそのずれが開いていく、というのも、物語の伏線云々の動きに似ているなぁと思います。

ほんと、薬屋は新刊が出るたびに「えっ!?」ってなって数巻前から読み返すような作品ですよ。
おかげさまで、2023年も2回読み返しました。
これだけ読み返して楽しめる作品というのは、実に貴重ですね。
ありがたやありがたや。

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