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神の創ったこの世界は、/『チ。ー地球の運動についてー』

他人に本を薦めることは難しく、同時に自分も、人に薦められたとしてもその本を手に取ることは稀です。その稀な機会は、本を薦めている相手の文章が好きであったり、その人の読書癖を好ましく思っているときにのみ、やってきます。
そしてその稀な機会を得た本が、今回紹介する漫画、『チ。ー地球の運動についてー』です。

このタイトルだけで、もう物語の主題はわかったでしょう。
これは、「地動説」の物語です。
わたしは科学については浅学でして、地動説といえばコペルニクスの名前しかわかりません。
そして地動説が、宗教的な理由から受け入れられなかったことや、その説を唱えた人は処刑されたであろうことも、薄ぼんやりとしかわかりません。
そんな僅かな知識だけを携えて、「とある人が薦めていた」という理由だけで、この漫画を手に取りました。

「科学と宗教」という言葉を聞いて、どういう印象を受けるでしょうか。
対立候項でしょうか。相対的なものでしょうか。どちらも曖昧なもの、あるいは相容れない別個の存在。片方は物理を支配し、もう片方は精神を支配するものでしょうか。
それとも、特定の人が熱狂的に信奉するという点において、科学も宗教も、ファンタジーでしょうか。
わたしの身近にはクリスチャンが多く、あまりこのフレーズをセットで聞くことはありません。なので、実は現代の日本あるいは世界で「科学と宗教」がどうみなされているのか、ピンと来ていません。
なんとなくの肌感覚では、「科学は客観的に証明できる法則」「宗教は曖昧で主観的な思い込み」と見做されている気がします。

個人的にはどうかというと、少なくともキリスト教においては、科学は神の存在を理解するための学問だと思っています。

『チ。』の主人公は、コペルニクスではありません。
物語は、天文の研究で異端に踏み込んだ罪人と、聡明な少年の出会いから始まります。
少年は大学で神学を学ぶことを期待され、それが人生楽勝コースだと知っていて、その道を進もうとしています。ところが、更生した(ふりの)異端者と出会って、「地動説」と出会います。
聡い少年は、その説が天動説よりも「美しい」ことを理解してしまいます。
異端者が再度捕まって処刑され、すべての記録を託された少年は、その美しい理論を捨てることができませんでした。出世コースに乗って神学を学び、権力をつけてから地動説に戻ってこよう、と計画したにも関わらず、少年の研究は見つかり、異端審問にかけられます。
いつものように口先だけ言うことをきいて、さっさと釈放されようと思っていた少年は、天を巡る星の美しさを否定できませんでした。彼は地動説を支持したまま、異端として処刑されます。

しかし少年は言うのです。

「あなた方が相手にしているのは僕じゃない。
異端者でもない。
ある種の想像力であり
好奇心であり
逸脱で他者で外部で……
畢竟、それは知性だ。」
(『チ。』第1集 p. 136)

少年は死に、物語は続きます。
この物語の主人公は、少年でも、少年を捕らえた異端審問官でもなく、「知性」、地球の運動について真理を探究し続ける、知性の営みだからです。

物語において「C教」、すなわちキリスト教は、地動説を唱える人を異端として処刑する、いわば敵役として登場します。神学が学問の最高であり、教会の教えることに権威があり、世界はそのように理解されています。人々は神を信じ、天国を信じ、この世の営みは罪深く汚れていると考えています。
そんな世界で天文の勉強に情熱を注ぐことは、天体の観測に人生を賭けることは、異端と見做されても仕方がないことです。
では、物語に登場する「異端者」たちが、カルトだったのかといえば、あるいは悪魔崇拝、あるいは異教徒だったのかといえば、そんなことはありません。

あるひとは修道士、あるひとは神学者、あるひとは天国を求める一般人。
彼らを動かしていたのは、「神が創った世界を知りたい」という欲求でした。

神が創った世界は、合理的で美しいはずだ。
この地球が穢れていて、希望は天界にしかないなど、あり得るだろうか。地球でさえも、神が創られたのに。
非合理的な、複雑な説明しかできないのなら、それは人間の知性が神を理解できていないからだ。
神が設計を間違えたり、辻褄を合わせるために矛盾した法則を使うはずがない。
神が創られた世界は、シンプルで、合理的で、そして美しいはずだ。

時代によって「異端」とされた人たちは、切実に神を求め、神の完璧さを信じた人たちでした。


そして現代。
いまや地動説は当然の事実として存在し、かつて天動説を支持して地動説を迫害した人たちのことを、嘲笑います。

科学と宗教は、対立項でも敵対者でもない、とわたしは思います。
よく「創造論」の駆逐者として挙げられる「進化論」のダーウィンも、神学的関心から生物の研究をはじめました。ダーウィンにとって生命の起源を探ることは、神を探ることと同義だったのです。
もちろん、現代の科学者でなんらかの信仰を持っていない人も多くいるでしょう。それでも、科学の営みは、神の創った世界の中で何ができるのか、人類が挑戦を繰り返していくことのように思えます。

昔はレゴの例えがよく使われましたが、今はマインクラフトですかね。
どちらも限られた道具と素材で、制約のある中で、ありとあらゆるものを作り出せるゲームです。
この世界は神が創った完璧なマイクラの世界で、科学者は最先端をゆく有名実況者ではないでしょうか。神版マイクラのすごいところは、バグもないしパッチも必要ないし、ある日新要素が追加されていたと思ったら、実は発見されていなかっただけで初めから存在していたデータだった、ということが至るところで起こるところでしょう。

神が創った世界は、美しい。
この素朴な感動を感じるために、命をかけ、汚名を被って死んでいった人たちがいる。

神の美しさを証明するために命を落とす人がいない世界は、いつか訪れるのでしょうか。
神の美しさを求める人を殺すのが、神の名を掲げる人でなくなる日は、やってくるのでしょうか。


『チ。ー地球の運動についてー』第3集は2021年3月30日発売です。
まだまだ簡単に追いつけるので、今のうちに第1集と第2集をどうぞ。

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