「12月1日 …… たぶん、来る年もくる年も同じ向きに進むことに、いいかげんうんざりした時計の針が、突然、逆さに回り始めたのだ……」
毎年12月を過ぎると、「あ! あの本を読むつもりだったのに忘れてた!」となる本があります。
かれこれ20年以上。
…… え? 20年?
やばくない? そんなに時間経ってた??
ヨースタイン・ゴルデル著、池田香代子訳『アドヴェント・カレンダー 24日間の不思議な旅』(NHK出版、1996)
経ってましたね。
これ、出版されてすぐに買いましたもん、たぶん。
アドヴェントカレンダー
今年はうっかり買いそびれてしまいました。
12月1日から24日まで、1日ずつ扉を開けてクリスマスを待つ、西洋の伝統です。
昔は紙の扉をひらくと、その下に絵が描かれているものがオーソドックスでしたが、今は毎日チョコレートやおもちゃが出てきたり、コスメブランドが独自に出して、毎日そのブランドのミニサイズコスメが出てくるような豪華なものまで、さまざまです。
わたしはというと、オーソドックスな紙のだけのが好きです。
毎日チョコを食べるのはちょっと…… というのと、コスメなどは気に入らないのが入っていると興醒めだしなあ、というのがありまして。
主人公のヨアキムは、古本屋で見つけた古いアドヴェントカレンダーを買ってもらいます。
12月1日、ベッドの上で1日目の扉を開くと、そこから折り畳まれた小さな紙が入っていました。
そしてそこには、物語が書かれていたのです。
「待って、待って,子羊ちゃん!」
この言葉は、わたしがこの作品の中で一番よく覚えているものです。
お母さんとデパートにクリスマスの買い物に来たエリザベートは、退屈で飽き飽きしていたところに、小さな子羊のぬいぐるみが駆け抜けていくのを目にします。
「待って、待って、子羊ちゃん!」
エリザベートは思わず子羊を追いかけます。
そこから、彼女は子羊と共に時間を遡り、途中で天使や賢者、異国の王と出逢いながら、イエスの生まれる馬小屋へ、ユダヤのベツレヘムに向けて、時間と場所を移動する旅に出ることになります。
さて、その内容はというと、わたしは全くというほど覚えていません。
各時代の、さまざまな国の神学者や聖者との問答を繰り返し、段々とベツレヘに近づいて行ったのだと思うのですが、いかんせん、哲学、進学的な問答は覚えているのが難しくてですね…… いま読めば、少しはわかるでしょうか。
現実と虚構の境目
これはゴルデルの作品の特徴ですが、現実のヨアキムの物語と、紙の中のエリザベートの物語は、次第に接点を持っていくようになります。
はじめはカレンダーの中の紙のことを秘密にしていたヨアキムですが、かれがあまりに突飛な、少年としては小難しいことを急に言うようになったので、いぶかしがった両親がカレンダーの秘密に気がつくのです。
そして3人は、一緒に毎日の物語を心待ちにするようになります。
一方で、何十年か前に、デパートで行方不明になったエリザベートという少女が実際にいたことがわかります。
はたして現実の行方不明の少女エリザベートは、紙の物語に描かれたエリザベートなのでしょうか。
すでに本棚本で紹介している『ソフィーの世界』にしろ『カード・ミステリー』にしろ、物語中の物語が、物語自体に大きな影響を与えていきます。
ゴルデルはこう言う作品を描くのが得意なんでしょうね。
わたしはいつも、読んでいて頭が混乱してしまって、「今はいつの時代の物語だっけ?」と度々確認してしまいます。
うんざりするような毎日の中で
わたしたちは多かれ少なかれ、うんざりするような繰り返しの時を刻んでいます。
わたしたちでさえ、たまに刺激がほしいと思うのですから、何十年も動き続ける時計が、突然逆さに回転しはじめても、おかしくはないのかもしれません。
そんなことがあっては困りますけどね。
当たり前のことが覆される、当然だと思っていたことが,改めて脚光を浴びる。
それがこの作品であると思います。
毎年毎年、世界各地で繰り返されるクリスマスの物語。
宿が取れなくて立ち往生するヨセフとマリア。
救い主に会うために旅立つ異国の賢者たち。
天使の大群に腰を抜かし、羊をほっぽり出して駆けつける羊飼いたち。
姿を変え、形を変え、けれども脈々と紡がれる物語と、そんな物語を発端としながらも、全く形を変えてしまったアドヴェントカレンダーたち。
当たり前が当たり前でないことを、当然だと思っていたことの意味に気がつくきっかけを、与えてくれるのがこの作品のような気がします。
さて、わたしは次いつになったら、この作品を12月に読み返せるようになるでしょうか。
来年こそ、がんばってみようかな。
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