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「フロドは、目が覚めて気がつくと、ベッドに寝ていました。」

映画を見た勢いで、『指輪物語』をさくさくと進めていきたいと思います(思ってるだけ)。
今回も,英国トリビュートの一環でイギリスの作品です。

J.R.R.トールキン著、瀬田貞二/田中明子訳『指輪物語 旅の仲間(下)』(評論社、2002)

調べてみたら,原書”The Lord of the Rings; the Fellowship of the Ring”が出版されたのが1954年でした。
もうすぐ70年になるんですね……

本当は一冊巻のものを日本の出版の都合で上下巻に分けているので、下巻を1冊として扱うのには、多少の抵抗がありました。
『高慢と偏見』なんかは上下合わせて紹介してしまいましたし。
とはいえ、上下巻ではっきりと違うのは、下巻になるとついに「旅の仲間」が結成され、フロドの指輪所持者としての運命が決定的になるところでしょうか。

上巻ではホビットたちは導き手もなく森を彷徨い、偶然行き合ったエルフやホビット、トムに助けられて、ようやく本来の守護者であるガンダルフの代わりとなる馳夫さんに出会います。

ちょっとだけ翻訳の話

ちょと翻訳の話をしますね(本当にちょっとか?)。
わたし、この「馳夫」という訳が大好きなんですよ。
英語のStriderというのは、”stride”「大股で歩く」という言葉に人を表す-erを付けたわけですが、このことからこの名前が、彼の本名ではなく勝手に付けられたあだ名だということがわかります。
ホビットたちにも、その意味はわかることでしょう。

固有名詞の訳語というのは、翻訳家泣かせであることがほとんどです。
大抵のフィクションの登場人物は、その人となりを表す要素を含んでいて、その言語話者であれば説明されるまでもなく、意味がわかるようになっています。

月野うさぎとかね。
セーラームーンになるの納得するでしょ?
え?例えが古い?
竈門炭治郎ならわかる?
火属性だと思うじゃん、水属性でみんなはじめ驚いたでしょ?
日属性だったけど。
これ、日本語なら意味があるし納得するしギミックになるのですが、流石に英語訳にしても意味に寄せて名前を翻訳することは、まずしないでしょう。

メインを張る人物の本名は仕方がないと思いますが、「馳夫さん」は本名ではなく、素朴な田舎の人たちが付けたあだ名です。
それは誰にでもわかりやすい、意味のある言葉です。
だからこそ、瀬田氏は「馳夫」と訳したのであろうし、この後もこういった「ホビットにはっきりと意味のわかる名前」は日本語に極力訳す方針をとっています。
この辺りは、トールキン教授が「西境の赤表紙本を英語に訳す際に、共通語で意味のわかるものは極力英語で意味の通る言葉に訳し換えた」というスタンスを踏襲しているともいえます。

何が言いたいかっていうと、「野伏の馳夫さん」はいいぞってことですね。
何度でも言いますが。
ついでにいうと「緑葉のレゴラス」も好きです。
いいよね。

閑話休題。

フロドの運命と意志

フロドは、会議でこそ「自分が指輪を持っていきます」と発言しましたが、それはかれの意志でしょうか。

「フロドは気がつくと」

かれは自ら道を選択しているというより、気がついたらそのように運命づけられているように思います。
ガンダルフが語って聞かせたように、「そういう運命だった」と受け入れて「それではどうするか」を考えたほうがいい、と。

フロドだけではありません。
ある意味で、「自分自身の意志で」指輪破棄の旅に参加したのは、3人のホビットたちだけかもしれません。
ガンダルフは、サウロンを滅ぼすために中つ国にやってきた魔法使の一人ですし、アラゴルンの将来は指輪破棄の成功如何にかかっていました。
レゴラス、ギムリ、ボロミアも、本人の意志はあるにしろ、助言を求めにきた会議で決定した事項に従ったにすぎません。
結局のところ、自由意志でついてきた3人のホビットの行動が、旅の仲間たちの行く末に大きく影響しました。

下巻の見どころといえばさ

下巻はとにかく大好きなシーンがたくさんあります。

カラズラスの大雪山で一行が難航しているときに、エルフの特性として雪に沈まないレゴラスが「太陽を見つけに行ってきますね」といってさっさと下山の道を探しにいってしまうところとか。
それだけ身軽なら、ホビッツ運んでくれてもいいのに、ホビッツを運ぶのはアラゴルンとボロミアの役目なんですよね、なぜか。
大きい人ふたり、とにかく面倒見がいい。

モリアの坑道のマザルブルの間で、「今や彼ら来れり!」「我ら出づること能わず!」と叫んで戦いに臨むところ。
これ、映画で見た気がしてたんですが、映画ではカットされているんですね。
かっこいいのに。
モリアで言えば、かつて栄えたドワーフの大王国を取り戻そうとしたバーリンと、バーリンとビルボの友情、そしてバーリンとの再会を楽しみにし、その死を目の当たりにしたギムリの心情も、読んでいて切なくなります。

そしてなんといったって、VSバルログですよ。
あのエルフのレゴラスでさえ「バルログが来た!」と叫んで武器を取り落とすほど狼狽する太古の悪。
勝ち目はないと知りながら、ひとりで対峙するガンダルフ。
「ここは通さんぞ!」
については別の機会に萌がたるとして、とにかく最高のシーンです。
崖落ちシーンというのはこういうところで使うべきであって、旅のリーダーであったガンダルフがこんな序盤で脱落するとは、誰が想像したでしょうか。

そしてロリアンでの束の間の休息ですが、ここでレゴラスとギムリの間に急速に友情が育まれるのがいいですよね。
ガラドリエルの奥方には、それだけのカリスマ性と力があるのです。
ガラドリエルの奥方の水鏡で、サムはホビット庄をおそう恐るべき未来を垣間見ますが、それでもフロドの旦那についていくのだ、と決意を新たにするのも見どころです。

さらにボロミアの死ですよ。
ボロミアは基本的にいい人なのに、名誉と祖国を守りたいという思いによって指輪の誘惑に負けてしまいました。
指輪を求めるのは、悪事のためではないのです。
善良な人たちはみな、善良な目的のためにこそ指輪を使いたいと思う。
そこでどれだけ身の程を知っているか,というのが分かれ目になるのだと思います。

フロドの目覚め

「旅の仲間」の最後、フロドはついに「目覚め」ます。
これまでは指輪に導かれるまま、ガンダルフやアラゴルンのような庇護者の指示に従って旅をしてきたフロドが、ついに自らの意思で、滅びへの道を選びとります。
この選択について来れるのは、「フロドについていく」と決意しなおしたサムのみでした。

しかし、メリーとピピンが攫われることがなければ、指輪の仲間はここで解散していたでしょう。
指輪とは関係なく、ゴンドールに向かっていたかもしれません。
メリーとピピンを救う、仲間を助ける、という目的のもと、アラゴルン、レゴラス、ギムリは再度結束を固めます。
そして、自由意志で旅に参加したふたりのホビットが、指輪に運命づけられた人々の行く末を変えていくのです。

ひとの意志とはなんなのか、運命とはなんなのか。
それはガンダルフのいう通り、賢者でも見通すことのできない事柄なのでしょう。


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