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「サムは、やっとの思いで地面から体を起こしました。」

「鷲たちが来るぞう!」

という希望の声で終わった『王の帰還(上)』から一転、下巻はまだ危険の最中にあるフロドとサムからはじまります。
『二つの塔』のラストでシェロブに刺され、オークに連れ去られてしまったフロドと、フロドから一時的に指輪とガラドリエルの玻璃瓶を預かったサムの、モルドールへの潜入からです。

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J.R.R.トールキン著、瀬田貞二・田中明子訳『指輪物語 王の帰還(下)』(評論社、1996)

役割

物語の人物には、それぞれ役割があります。
フロドの役割は、指輪を滅びの亀裂に投げ込み、指輪をこの世から葬り去ることでした。
ガンダルフは、この第三紀を通してずっと、サウロンを滅することを役割として動いてきました。
アラゴルンは王国の復興と王位の継承のために、ガンダルフと共に歩んできました。
メリーとピピンには、それぞれが予想していなかった形で、この指輪戦争に貢献し、そして何よりも、エルロンドが予見したとおり、「故郷でこそその力が求められている」のでした。
レゴラスとギムリは、種族の代表と種族を超えた友情、そして新しく興る人間の世でどのような役割を持っていたのか,わたしには定かではありません。

そしてサムは、いっときは「会議で定められたように、指輪所持者がしくじった場合には、代わりにその役目を引き継ぐ」のだと考えました。
しかしそれは違いました。
サムの役割は最初から最後まで、物語の最後の最後の一瞬前まで、ずっと「フロドの旦那のお側にはべり、旦那のお世話をする」ことでした。
サム自身が改めてそれに気がつき、そしてそのように決意をしなおしました。

最後のひと丁場

読み返してみて、サムによるフロドの救出と滅びの山までの行程が、思った以上に短いことに驚きました。
もっともっと、長く辛い時間を歩いてきたように感じていたのに、滅びの亀裂に至るまでの時間は、下巻のほんの三分の一程度なのです。
それでも、時間は過ぎてゆきました。
何日も何日もかかりました。

この「何日も何日も歩く」という感覚を、わたしは体感として知りません。
いずれぜひ、徒歩の旅をしてみたいと願ってやまないのですが、日本でそれが可能なのは熊野のお遍歴くらいなことを思うと、ちょっと宗教上の理由で…… となってしまいます。
狙っているのは、スペインにあるサンディアゴの巡礼路ですが、はたして次に渡西できるのはいつになることやら、そもそも2週間以上の休みが取れるのかどうか、まったく見込みがありません。
もうお遍歴でもいいかなあ?

閑話休題。

そして物語は、いよいよ滅びの亀裂にいたります。

物語の中にいるということ

サムは自分達が、いずれ物語の主人公として炉端で語られる日が来るのだろうか、と夢想します。
フロドはそんなサムの素朴で、しかし汚れのない願いに微笑みますが、かれ自身はこの指輪棄却の旅の本当の主人公として、そんな未来を思い描くことができません。
かれがなし得なければ、物語は語られることがないからです。

そしてフロドが滅びの亀裂に辿り着いたとき、かれは物語に語られるイシルドゥアと同じ過ちを犯します。
「指輪はわたしのものだ」
と宣言してしまうのです。

フロドの胸中には、一体どんな夢想が広がっていたのでしょうか。
サムは指輪を所持している間、自分が指輪王になったら、荒廃したモルドールの国土を美しい庭と果樹園で埋め尽くし、そして世界中を緑と花と木々で覆われる土地にすることを考えました。
ここがサムのサムたる所以で、かれの望みとは整えられた美しい庭と、美味しい実をつける木々だけだったのです。
フロドは一体、指輪王として何を望んだのでしょうか。
かれが最後に成し遂げたとおり、ホビット庄の平和な暮らしでしょうか。

ともかく、フロドは指輪の所有権を主張し、そしてゴクリによって、旅の目的は達成されました。

滅びの山での最後のひととき、サムはフロドに語ります。

「おらたちはまたなんちゅう話の中にはいっちまったこってしょうね、フロドの旦那? だれかがこの話をするところを聞けたらなあ!『さて、いよいよ九本指のフロドと滅びの指輪の物語の始まり』なんちゅうふうにいうんでしょうかね、旦那? するとみんなしーんと静まりかえっちまうでしょうよ。ちょうど裂け谷で片手のベレンと大宝玉の話を聞いた時、おらたちがそうだったように。聞けたらなあ! そしておらたちの出て来るところが終わった後は話はどうなるんだろうなあ。」(p.109-110)

そしてサムの願いは、アラゴルンが王位に就くと同時に叶うのでした。

指輪所持者の旅立ち

滅びの指輪の所持者となった者のなかで、自らの意思で指輪を手放すことができたのは、ビルボとサムだけでした。
ふたりとも外圧の助けが必要でしたが、少なくとも進んでそれを手放したのです。
その意味で、ビルボの正統な後継者はサムだったのでしょう。
安穏とした生活を送っていると思われていたフロドは、結局指輪から受けた傷に耐えきれず、エルフの指輪所持者たちと共に遥か西の土地、エルフの故郷を目指して船出します。

これが「西」なのが、なんだか「イギリス作品だなあ」と思います。
日本の作品だったら、「東」に向かうと思うのです。
なぜなら太平洋があるから。
イギリスの東には、大陸があります。
彼らはより開けた海へ、西の海へと去っていくのです。

わたしはこの最後の別れの部分が大好きで仕方がありません。
サムがようやく「帰っただよ」ということで、物語はようやく幕を閉じるのです。

『指輪物語』はこうしてサムを最後の語り手として幕を閉じます。
しかし、一時とはいえ指輪所持者であったサムもまた、最期には自分で船をこしらえて、西の地へ向かって船出をします。
指輪所持者たちはみな、西の方へと、エルフの故郷へと旅立っていくのです。
一体そこには何があるのでしょうか。

灰色の雨の帷がすっかり銀色のガラスに変わり、またそれも巻き上がって、かれは白い岸辺と、その先にはるかに続く緑の地を、たちまち昇る朝日の下に見たのでした。(p. 262)

フロドが船の上から見た光景は、映画ではガンダルフが死を怖がるピピンに語る言葉となっています。
死は新たな旅立ちの節目にすぎない、といって、この光景を語るのです。

エルフの故郷とは、命あるものにとっては死後の国なのでしょうか。
それとも平和な余生を過ごして死に至る、安楽の地なのでしょうか。
そのことは物語では語られません。

最後に

トールキンがあとがきで書いているように、この物語は中つ国の最盛期を語るのではなく、最盛期を過ぎた国々の衰退を描いています。
物語はひとつの大団円を迎えますが、そこには拭いきれない損失が伴います。
エルフたちはこのまま衰退していき、あるいは西へと去っていきます。
一番の功労者であるはずのフロドとガンダルフが、守り抜いた土地から旅立たなければなりません。

船を見送る3人の旅人たちの背中は、その美しいまでの哀しさを表しています。
これがあってこそ、『指輪物語』は美しい物語として、読者の心に美しい傷をつける物語として、ずっと人のこころに残っているのだと思います。

華々しい戦いや、名誉ある行動よりも、この最後の場面に至るまでの道のりにこそ、価値があると思わせてくれる。
これはそんな稀有な物語のひとつです。


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