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「彼が帰ってきたーだが、アドルフ・ヒトラーが現代によみがえって、いったい何ができるのか?」

私を一番驚かせたのは、おそらくドイツの国民だ。(p.11)

小説自体は、一人称の独白からはじまる。
にもかかわらずー 一人称では語り手=主人公の素性は逆にわかりにくい ー読者は最初から、“私”がアドルフ・ヒトラーだと知っている。
それはタイトルに引用した前書き、「本書について」と題した作者の断り書きで「この小説が一体なんなのか」を明示しているからでもあり、何よりも本書のタイトルと表紙イラストが、“彼”を指し示しているからだ。

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ティムール・ヴェルメシュ著, 森内薫訳『帰ってきたヒトラー(上)(下)』(河出書房新社, 2016年)

日本語ではわかりやすく『帰ってきたヒトラー』とされているが、ドイツ語では「彼が帰ってきた」という意味らしい。
その文字は、特徴的な七三分けの前髪の下、ちょび髭のように配置されている。
これだけでドイツ語圏の人には、「ヒトラーもの」というのが明らかなのだ。
本とはどこがはじまりなのか、考えさせられる。

第二次世界大戦を、ナチス・ドイツを、ヒトラーを題材にした作品は、小説も映画もマンガも、たくさん存在する。
ヒトラーはかつて残虐な悪役として、次第にその人間らしい一面を映画などでは描かれるようになってきたけれど、やはり一種のタブーではあって、歴史上の存在として以上に描くことは、なんとなく避けられているのではないかと思う。英雄視もできない。かといって、過剰に悪役演出をして、結果として戦後ドイツの努力を嘲笑することがあってはならない。おそらくそんなところだと思う。

「帰ってきたヒトラー」という映画のポスターをはじめて目にしたとき、「マジか」と思ったのはそういう、史実と娯楽と現実の区切りが難しいテーマだと思ったからだ。
ところがよく見ると、原作はドイツ語の小説で、ドイツ人の作家が書いているという。
興味を持った。
ドイツが「ヒトラー」という自身の負の遺産について、しかもそれをコメディとしてどう描くのか。

本を買って早速読みはじめた。
すぐに引き込まれた。

タイムスリップものにありがちのドタバタ感。
時代が変わったことを理解しているのかいないのか、理不尽で間抜けなことを言うヒトラー。
彼をただの芸人だと思って連れ回し、自身のキャリアアップを狙うテレビ局の人間。
時代背景を知っていようといまいと、成り立たない会話はコメディとして見ていておもしろい。

そう、おもしろいのである。

子どもの反抗期のようなネオ・ナチ集団をだらしなさを一刀両断にし、環境問題だ福祉問題だとふらふらナヨナヨした政治家の不足をあげつらい、難民問題や外交問題にするどく切り込んでいく。
それを、ヒトラーの格好をしたおじさんが、映画でよく見るようなヒトラーの演説口調でやってのける。

大変おもしろいのである。

民衆は熱狂し、テレビ局は喜び,ゆくゆくは政界進出か、と大いに盛り上がる。

ヒトラーのカリスマ性は、時代に関係なく有効なのだ。
そして、本人は当時も現代も、なにも変わっていないのだ。

そういうことを考えながら読むとき、この抱腹絶倒のコメディ小説は、なんとも皮肉で真っ黒なジョークで埋め尽くされている。
悪いのはヒトラーだろうか。
それとも、ヒトラーの演説に熱狂した民衆だろうか。
民衆の無知を責められるだろうか。
政治家は、テレビ局は、識者は、なぜ止めないのだろうか。
本当に、ヒトラーは悪い人なのだろうか。

こういう小説は恐ろしい。
「ヒトラーものだろ」と一線を引いて読みはじめても、読者はどうしても主人公に寄り添って読み進めることになる。
気がつくと、いつのまにか主人公サイドに取り込まれてしまう。
そのことに何度もハッとし、恐ろしさに身震いし、そしてまた真っ黒なジョークに笑いながら読み進めるのだ。

これよりもわかりやすくドギツい作品に、『時計仕掛けのオレンジ』がある。
映画はカルト的な人気をもつが、それよりも原作の小説を読んでほしい。
最低な悪人の主人公に肩入れし、主人公を更生しようとする社会を敵視する自分が、そこにはいるのである。

小説を読み終わったあと、映画「帰ってきたヒトラー」も見た。
小説とは多少筋書きやラストが違っていたけれど、「ヒトラーの見た目」を存分に使い切った、すばらしい作品だった。
過去のヒトラー映画の名シーンのパロディも多く、そう言う意味でも楽しめる。
印象的だったのは、一般の人たちの反応だ。
ヒトラーが街中を歩くようなシーンでは、あえて「映画の撮影」とは言わずに撮影をしていたらしい。
不謹慎だと怒る人、ふざけるなと叫ぶ人、写真とって!と近寄ってくる人、面白がって笑う人。
すべて、撮影当時のドイツ人や、ドイツの旅行者の生の反応だ。

ヒトラーが現代に蘇ったら、自分はどちらの立場にいるだろうか。
馬鹿なことはやめろ、と怒鳴るだろうか。
やばい、本物そっくりじゃん、と写真をとってSNSにアップするだろうか。

彼がそのままの思考で蘇ったら、現代社会は、はたして彼を止められるだろうか。




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