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「薄墨色の暗がりを背景にして、ほの白い顔が浮かんでくる。」

冒頭文だけ読むと、まるでホラーのようではありますが、歴とした推理小説です。

篠田真由美著『原罪の庭 建築探偵桜井京介の事件簿』(講談社、1997)

建築探偵シリーズのなかでも特にわたしのお気に入り、蒼くんの過去に迫る一作です。
前回建築探偵シリーズで紹介したのは、深春と京介の出会いでしたが、今回は蒼と京助の出会いです。

暗闇に浮かぶ白い顔といえば幽霊ですが、こういう時に浮かんでいる「白い顔」はなぜか「美しい」とか「この世のものとは思えない」という形容詞が付きがちな気がします。
気がするだけですが、「白い顔」が醜悪だったり凡庸な顔だったりすることはない気がします。

で、この顔は、蒼の記憶に残る一番はじめの京介の顔の印象です。
たしかに、彫刻めいた美しさは「白い顔」と呼ぶにふさわしいでしょう。
でもホラーなのは京介の顔ではなくて、今回の事件の現場のほうです。

ホラーとミステリの差は、「恐ろしい状況」を悪霊や呪いのせいにするか、人間のやったことにするか、の違いな気がします。
そして、それを人間がやっているということが、逆に怖いというか、ホラーよりも怖い、ということがあります。

蒼は、幼い頃に凄惨な殺人現場からたった一人救出され、唯一の身寄りである伯母であるかおりと共に住んでいます。
そこに、事件当時のことを取材しているルポライターが訪れるというので、かおりの知り合いの知り合い、ということで京介の恩師の神代先生が付き添いに呼ばれ、そこに京介がくっついていく。
そこで京助と蒼は出会います。

蒼というのは、京介がつけた愛称で、本名は薬師寺香澄。
香澄は事件のあと、ショックで言葉が話せなくなっており、そのせいで香澄の両親が死んだ殺人事件は、迷宮入りしています。
唯一の目撃者である香澄が、なにも話せないからです。

ある意味で面倒ごとを押し付けられた神代は、京介を巻き込んでルポライターの渡部とともに当時の事件の謎に迫ります。
そして、京介に「蒼」と呼ばれた香澄も、京介に懐いて京介と一緒に神代先生の家に転がり込むことになります。

わたしはねえ、おぞましい事件の中で、まるでおままごとのようにのどかなこの3人の同居生活にとても癒されるのですよ。
蒼くんが可愛いのはもちろん、京介が、あの京介が、実に甲斐甲斐しく蒼の面倒を見ているのもいいですし、そこに放浪していた深春も加わって、男ばかりでわちゃわちゃと、暖かい家庭のようなものをつくっていることに、とても心癒されます。
神代先生も京介も、腹に一物二物抱えているので、変わっているとはいえ蒼くんのようなかわいらしい子が、次第に表情を取り戻していくのを見るのは、彼らの癒しにもなっているのだと思います。

一方で、わたしの脳内に強く刻まれているこの作品の場面は、渡部が語る「ありえたかもしれない」殺人事件の現場の様子です。
犯人がどうやって自分の痕跡を消したのか、あるいは、どうやってその凄惨な現場を作り上げたのか。
その可能性の絵が、脳内にこびりついています。
あまりにおぞましく、美しく、無邪気な、その絵が。

既読の作品を読み返す理由はいろいろありますが、これに関していえば、わたしはこの「絵」を見るために読み返すのだと思います。
そしてこれに関しては、散々読み返したせいで、こまかいトリックはともかく、ちゃんと結末が記憶に残っているという、推理小説の中では珍しい作品になります。

とりあえず言えることは、蒼くんはとてもいいので、桜井京介シリーズ、読んでほしいなってことです。
キャラの深層にせまるミステリは、パズラーとはまた別の良さがあります。


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