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祖父が認知症だと知った日

21歳になる私は、親族の葬式や介護の片鱗を経験したことがなかった。

山口県の島に住む祖父母とは、5年前に会ったきりだった。私の家族は、両家の祖父母の家に帰ることがかなり少ない。関係が悪いとかではなく、受験やコロナ、帰ろうとするとタイミングがいつも悪く帰れずにいた。今年の夏もそうだった。

今年の2月、突然母から祖父が脳梗塞になったことを告げられた。私は友人と旅行を予定していたが、急遽参加を取りやめ、もしかした時のために家にいた。

祖父は、いつも元気ででも、厳しくて、畑でとれた野菜や釣った魚を送ってくれていた。会う度に可愛がってくれて、お菓子やお小遣いを母に内緒でくれて、それがバレて一緒に怒られたり、トラックの後ろで内緒でメロンサイダーを飲んだ所を母にみつかり一緒に怒られたり、初めての炭酸飲料を教えてくれたのも祖父だった。
中三の受験期に祖父に電話で進学について話したこともあった。
私には、頼りになって尊敬できる大好きなおじいちゃんだった。

脳梗塞のことを知らされた時はとても苦しかった。悲しむ母を見て、私も耐えれなかった。でも、直ぐに手術が決まり、無事成功した。
ほっとしたのもつかの間、その頃から祖父の様子が少しずつ変わりだした。

人は脳の手術をすると人格が変わることがある。
そんな記事を読んだことがあった。
読んだ時はとても他人事のように思ってた。

それが身近になってしまったのだ。

母が母のお姉さんとよく電話するようになった。
祖父に介護が必要になるかもしれない。祖母が心配だと。
常々、母からその状況について聞かされていた。
祖父の現状が、私の知る大好きなおじいちゃんではなかった。

日を追う事に母は泣くことが増えていた。ある夜、勉強をしていた私に突然、「おじいちゃんね、認知症になったかもしれない」と告げられた。
突然の告白だった。
私は上手く飲み込めず、素っ気ない返しをしてしまった。

少し時間を置いて、私は認知症について調べた。とても辛かった。5年も帰れていない後悔と何もしてあげることの出来ない不甲斐なさに涙が止まらなかった。母の方が泣きたいだろうに。
もしかしたら、孫である私のことを覚えていないかもしれない。
そう思ってしまった。

これから、多くの試練が祖父や祖母、母、私たち家族に降り注ぐことになるだろう。
会える、その人がわかる、健康、その事の尊さや安心をこんなにも感じるとは思わなかった。

これから今まで経験しなかったことがきっと待ち受けている。心構えとともに大好きなおじいちゃんに会いに行こうと思う。

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