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「あなたの意識がこの世界を作っているのです」って、納得いくのかい?

  • 残虐極悪の極地と史上の幸福の極地があって、全体の調和があって、全てある

  • 宇宙の巨大な流れに2元(善悪とか)は飲み込まれる

  • あなたの中にそれがあるから、その残虐性が現実に現れる

  • それに注目するからそれが現実で肥大化するから、良い面だけ注目したらいい

  • あなたの現実世界で起こってなくて、ただ聞いた話だから、私の宇宙では起こってないことだから気にするなとか

  • 死ねば全てを忘れて喜びそのものになるからいい

とか、よく言うじゃないですが、潜在意識とか引き寄せの人って。

納得いかない。

それを子供を失った人に言えるの?
ましてや、残忍に虐待され地獄を見て死んでいったた子供に言えるの?
子供は死んでしまったから、死人の耳の届かないのからいいのかい?

こんな疑問、たくさんの人が持ってて、
昔から色んな宗教で議論されてることなんでしょうけど
でも、真面目にインフルエンサーが答えてるのを耳にしてない。

私怒ってるんです。
「カラマーゾフ兄弟」のイアンや、「夏物語」(川上未映子)の善百合子のように納得いってない。

この世の一番深い暗部に子供の死体が山と積まれ
こどもの流した涙は地殻に染み込み
その涙に全体の調和は値するのかい?

償われるの?
切り裂かれる痛み
乾き飢え
苦しみ
恐怖
絶望

気持ちいいとか快楽を追う人との正反対の極致をを味わって
全体の調和を成り立たせるための人柱になった子供に

どうやって償うの?

生き残ったものが、その迫害者を許すとか、時に耳にする
では死んでしまったものは、許したのかい?
切り裂かれた肉体がくっついて立ち上がり、迫害者と抱き合うのを見たのかい?

子供が人柱となって、全体性だとか調和を成り立たせてる
そんな世界をごめん被りたい
私はそこから降りられるのかい?

犠牲の上に生かされてることを感謝って?
宇宙は全て愛ってほんとに思えるの?
あの苦しみ抜いた子供に愛は与えられたの?

私は怒っている
神に
ドラマの最も辛いシーンをこなす子供を見て、神が楽しむことに
私が神のように、見聞きしたそのドラマに涙してることに
私は神って、こういうことですか?
私は神って、どういうことですか?

私が神なら、般若となり迫害者をその場で焼き殺すし、
菩薩となり特権の至上の愛とやらで傷を癒す

子供は神のように残酷非人間的扱いを受容した
神は意図しないのかな?

大人は意図を持つことができる
大人は自身と世界を作り替えることができる

私の体は楽に向かうようにできている
だから、この他人事である悲しみに飽きる

体にしたがって、気にせず快に突き進め
でも、死人は言っているかもしれない、時々思い出してねと。

自分と世界を変えられると信じてる人が増えるといい
疑問を持ち、意図し、抵抗する人
自分で考える、判断する、行動する人
長いものに巻かれない人

そして、あの人柱を限りなくゼロに近づける
ゼロにならないとわかっていても永遠にその運動を続ける人

私は私の細胞を変えられる
世界を変えられると
自然に信じられている人になりたい

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