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旅の恥はかき捨て

イタリアはトリノという街に勉強半分遊び半分といった旅に来ている。
今日は最終日。明日は空港に向かって、これを書いている明日のこの時間にはきっと飛行機に乗って空の上だ。日本に戻る。

たびは ついに おわりを むかえる

今年に入って二度目の旅だった。一度目は春、パリに行った。
一人で海外に行くのは初めての経験で、どうしたらいいのかわからないことも多くて、100パーセント楽しめたわけではなかった。
むしろ、不安と挫折の方が多い旅だったと思う。

パリは巨大で、華やかで、そして人に溢れる凄い街だった。
一方で、冷たく、薄汚く、まさに人間が集積した街だった。

地下鉄ではみんながイヤホンをして、なんだか怖い顔をして、全員が個人主義を貫いているようだった。自分にも自然と閉塞感が湧いた。

これがパリだ。お前がパリに合わせるのだ。そう言っているようだった。

今回訪れたトリノという街では、パリとは全く違う印象を受けた。
常に太陽の光が降り注ぐ地中海に面した気候がそうさせるのか、人々は不思議と温かく感じる。

移動は地下鉄ではなく、路面電車(トラム)で行った。
トラムでは、よく人と目が合った。

毎朝、トラムに乗って中心街にある文書館まで行くのが習慣であったが、早起きは眠いので大きなあくびをした。すると、目の前の強面の黒人は手でスヤスヤと眠るポーズを取って、こちらをからかってきた。「ああ、眠いよ」と辿々しいイタリア語で返す。カカカ笑う彼。

パリの地下鉄と同じく、肌が白い人たちは体感で全体の2割程度。
自分が宿にとったアパートがあるのはトリノ北側にある郊外、きっと移民たちの暮らす地区だ。けれど、不思議とみんな顔つきが優しい。

乳母車を押す母親がいれば、みんなで降車ボタンを押し、道を開ける。
トラムは太陽の元で、不思議な連帯感を醸し出していた。

凄く印象深かったのは、トリノのリソルジメント博物館。
"Risorgimento"というのは、「再興」を意味する単語。だけれど、イタリアでリソルジメントと言ったら、「イタリア統一」を指す。イタリア人にとって統一は「取り戻して復活すること」を指すのだ。

それが博物館になっている。そこで展開されるのはまさに、「イタリア統一の物語」。歴史はイタリア語で"storia"。まさに「お話」だ。

主人公は二人。北から統一を目指し、トリノを中心に大きな影響力を持っていたサルデーニャ王国の宰相カミッロ・カヴール。そして、南イタリアの人たちを率いて統一を目指す赤シャツ隊の隊長ガリバルディ。

自分の専門分野でもないので、高校の頃の世界史の授業を思い出しながら、博物館を巡っていく。二人の主人公が北と南から統一を目指して戦い、邂逅して手を取り合うことで統一に向かっていく。

まあ、これが歴史的に正しい説明なのかは置いといて。
歴史は「お話」。語り方で全てが決まる。
この博物館が語っているのは、「イタリアは一つになったのだ」という「お話」なのだ。

日本は島国で、ずーっと一つとも言い難いけど、こういう博物館は作られない。だからなんだか、凄く不思議な空間だった。「国民国家」ができていく。この「お話」が持つ高揚感と煌めき。最後の展示室に鳴り響くイタリア国歌。ガリバルディの肖像画が持っているのは、イタリア国旗。

歴史はこうやって語られるのだ。
カヴールとガリバルディは手を取り合ったのだ。
イタリアは一枚岩になったのだ。
イタリアの人たちは「イタリア人」になったのだ。

本当かな?
疑いながら考える時、自分はとても歴史を感じている。
調べてみたらどうなるだろう。この「お話」は誰に向けて、何を伝えたいのだろう。何を根拠にしているのだろう。

思考の中に耽溺し、歴史の海を泳ぐ。
リソルジメント博物館の展示はとても豊かな時間をくれた。


歴史の話から、もう少し旅の話に戻そうと思う。

フランス語の"r"の発音は「ハヒフヘホ」に似ているが、これがなかなか難しい。パリにいて、Bonjour以外に"r"が通じた記憶がない。もっと練習しなくちゃなぁと打ちひしがれたのを覚えている。今もあまり自信はない。

言葉が通じることは、「自分がここにいる」という勇気を人に与えるのかもしれない。もし、自分が言語にハンデを背負っていて、上手く話せなかったならば、どれほど疎外感を感じることだろう。
どれほど孤独感を感じることだろう。

相手の話を聞くことは、相手の話していることを理解することは、誰かの命を救うことなのかもしれない。

イタリア語の"r"の発音はいわゆる「巻き舌」というやつで、「ッル」みたいな音になる。イタリア語の授業だと、いつも恥ずかしくて、控えめに発音するが、今回の旅では思い切って発音してみることにした。

旅の恥はかき捨て。どうせなら、「俺はここにいるんだ」ということを示したかった。

多分、Buon giornoぐらいしか正確には通じなかったと思う。
でも、前とは違って、「自分はここにいる」と感じることが多かった。
通じなくても、落ち着いて、英単語を思い浮かべた。辿々しいイタリア語を支えるように英語は自分を助けてくれた。

英語で要件を述べたら、Thank youとは言わない。白々しく、Grazie!と言う。うん、多分ギリ、イタリア語になったな!

トリノの街は表情が豊かだった。なんだか凄く、可愛い奴だった。

やっぱり物価は高いけど、パリほどではないし、今回はかなり自炊していたから、費用もそこそこに外国での生活力も少しだけついた気がする。

楽しかった。今回の旅は、胸を張って言うことができる。
勿論、挫折もあったし、これから勉強しなくちゃいけないなと思うこともうーんとあった。だけど、トリノという街は確実に、自分を受け入れてくれたと思えた。凄く嬉しい。

最終日、通い詰めた文書館の職員の兄ちゃんに「俺日本帰るわ!」と話しかけてみた。毎朝、彼が用意してくれた箱から古文書を漁るのが日課だった。

彼は「欲しかった文書は全部集まったか?」と聞いてくれた。
うーん。まだまだ沢山あるから、今度また来て漁ることにする。しばらく面倒見てくれてありがとう!うーむ。全部はイタリア語で返せなさそうだ。仕方ない、頼んだぞ。英語。

彼は英語に切り替わった東洋人の姿を微笑ましそうに見ながら、そうかそう
かと頷いて、イタリア語で何やらベラベラと喋り始めた。

ネイティブがノリノリで話すとマジ聞き取れん。苦笑いでいると、彼は続けた。"Good luck with your research. See you. Next time."

自分は白々しく"Grazie! Arrivederci!"と返した。

英語を勉強していて、心底よかったなと感じた。
イタリア語を勉強し始めて一年半ぐらいが経つ。まだまだ先は長い。
話したかった、伝えたかった事柄はリストにして、イタリア語の先生に教えてもらうことにする。次にまた来るとき、もっともっともっと「俺はここにいる。ここで生きているんだ。」と感じられるように。

勿論。Bonjour以外も通じるように、フランス語も練習しなくちゃね。

今日は最終日。明日は空港に向かって、これを書いている明日のこの時間にはきっと飛行機に乗って空の上だ。日本に戻る。

たびは ついに おわりを むかえる
ケツイが みなぎった





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