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ヒーロー見参!

好きな漫画は何か、と問われると、いつも『ピンポン』の名前を挙げてしまう。

あの漫画には、ライバル関係の尊さが詰まっている。

人は一人では生きられない。
スマイルの抱える思いは、そんな綺麗事で表すには勿体無いほどに深い孤独であるが、『ピンポン』という作品に松本大洋が込めた何よりも普遍的なテーマを象徴しているように思われる。

それをヒーローに例えるというのも、なんとも松本大洋らしい。

ライバルとはヒーローなのだ。
誰かが自分の前に立って、サーブを打ち返してくれることで、人間は救われる。そして、ヒーローは自分を颯爽と追い抜いて、今度は彼が自分にとってのヒーロー(つまりはライバル)を探すのだ。

研究なんかをやっていると、自ずとぶち当たるのは「蛸壺化」の問題である。自分が研究している領域があまりにも狭過ぎて、誰とも会話をすることができなくなる。

研究者というものは、自説の矛盾点を徹底的に排除し、それに対する別の研究者の批判に徹底的に備えるようなイメージが膾炙しているように思う。意識的に孤独を求めるような姿勢だ。

一方で、研究者というものは、他者との交流を求める生き物であるとも言えるだろう。先程、少し述べた「蛸壺化」の問題だ。

例えば、ある研究者が誰も調べないような知られざる古文書を発見し、解読したとしよう。それをどこかで研究発表して、最初に得られたコメントは「よく調べているね」であった。あまりにも、誰も知らない古文書について解読しただけであったので、「その古文書の解読にどのような意味・意義が生じるのか」についての問題は俎上にのぼらなかったのである。

積極的に「意義・意図」という言葉を用いてみた。
実は、研究という行為の本質的な部分はここにあるのではないだろうか。

というのも、勿論、どこぞの古い倉を漁って、古文書の切れ端を見つけ出して、それはそれは読むにも耐えないほど汚い字で書かれた古の文章を解読することには、大変な労力が伴うだろう。時間もかかるだろう。それは恐らく、凄まじい偉業なのであろう。

しかしながら、わかってもらわなくては、畢竟、その努力は報われない。偉業が偉業たることは叶わない。

豚に真珠とまでは言わないが。

本当にその石が、真珠であることを証明しなくてはならない。これもまた研究という行為の本質なのだと思う。

故に、研究者という生き物は、蛸壺の中から大海原へと出ていかなくてはならない。研究者にとって孤独は、手の中の真珠を石のままにすることに等しい。より大きな問題に、様々な者たちが共有できる話題に接続しなくてはならない。それが「価値ある宝石の一種」であることを証明しなくてはならないのだ。

以下のような図を思い浮かべてもらえると良い。
ただの点が二つある状態では、交わる可能性が限りなく低いが、大テーマの中に位置づけることで、それらが関係することも可能となる。また、大テーマ内での位置付け同士を比較することも可能になる。

研究成果と大テーマへの接続の関係性

何が言いたいのかといえば。
結局のところ、皆、「誰かと話したい」のだ。誰かと話した軌跡も、あなたの人生を創り出しているのだ。そして、話すためには、相手が要る。


なぜ、こんな話を書いたのかと言えば、先日、ユルゲン・クロップがリヴァプールFCの監督を辞任する旨を伝えたからである。

自分はペップ・グアルディオラを尊敬しているし、彼の作るサッカーを愛している。そして、彼とクロップのライバル関係にいつも心を打たれてきた。

ペップのチームは強い。
彼のサッカーはいつも他の者たちを蹂躙してきた。

彼は間違いなく世界最高の監督である。
ただ、「たった一人の世界最高」ではない。
ユルゲン・クロップがいた。彼らは世界最高の監督のうちの二人だ。

特に21-22シーズンのアンフィールドでの試合のことが脳裏に焼き付いている。スコアは2-2。リヴァプールもシティも一歩も引かない殴り合いで、一方が点を取れば、もう一方が追いつき返すそんなシーソーゲームであった。

サッカーってこんなにも美しく、速いのか。
漠然とそんなことを思ったのをよく覚えている。
そして、とても、とっても、エモーショナルだった。

勿論、マイチームを応援していた。水色のユニフォームの勝利を求めていたはずであった。けれど、攻撃と守備が切り替わる度に心が躍り、素晴らしいパスを素晴らしいタックルが防いだ時に興奮が脳を駆け巡った。

ゴールが突き刺さった時の両監督の雄叫びに、そのガッツポーズに、えも言われぬ多幸感に包まれ、熱さが込み上げて、試合後の握手と抱擁に涙が溢れた。

作品であった。
二人と、二人のチームが、二人のサッカーが一段一段積み上げていった作品であった。

ライバルは、ヒーロー。
人間は、好敵手と巡り合うことで、救われる。

ペップはインタビューで、クロップの退任に「よく眠れるようになる」とジョークを飛ばしながら、「マンチェスターシティが何かを失うような気がした」と悲しそうな表情を浮かべていた。

「ここで、彼なしに、私たちが過ごしてきた時間を説明することはできない。…リヴァプールなしでは。不可能なんだ」We cannot define our period here without him … without Liverpool. Impossible.
「彼らは最大のライバルなんだ。私自身にとっても、彼は私の人生で最高のライバルさ」They have been our biggest rivals. And personally he has been the best rival I ever had in my life.

このニュースを見た時、改めて松本大洋のことを思い出した。
『ピンポン』の中で、ペコが「ヒーロー見参」と叫ぶのは、「ピンチになったらオイラを呼びな」とスマイルに呼びかけるのは、好敵手の存在が誰かの孤独を救うヒーローだからなのだ。

ペコとスマイルが、最後に戦えたように、ペップとクロップにもまだ決戦の場が残っている。

二人がしっかりと翔けるように。
二人がサッカーを、満足の行くまで作り上げられるように。
その瞬間をしっかりと見届けられるように。

ヒーロー見参。ヒーロー見参。
ピンチになったら、オイラを呼びな!

誰かの孤独が、ヒーローによって、救われるように。
あなたのサーブを打ち返す人が、あなたの前にいるように。




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