ルーシーインザスカイウィズダイヤモンズ 第9話
そうは言っても家賃は待ってはくれない。チョイスは残り1週間で5万ほど稼がなければならなかった。決して不可能な数字ではなかったが、身も心も怠けきったこの男にはかなりの苦痛であった。
日雇い労働は想像以上に過酷である。割の良い案件はすぐに人員が埋まり、働くのが面倒だ、と仕事を探すことを恐れている人間のもとには転がり込まない。
そしてようやく見つけた仕事の内容はたいてい重いものを運ぶのが主で、監督官は口やかましい者ばかりだ。初対面でこれからも出会うこともない「人生半壊」を体現したような有象無象と他愛もない会話をしながら8時間みっちりとこき使われる。
そうして得た数千円は予想以上に汗で失った水分を補給するのと、外食費、そしてタバコ代で半分近くを失ってしまう。
どうにかこうにか1週間で貯めた5万円は瞬く間に大家の不労所得に消えていく。世の中はよくできているなとチョイスは思った。弱者は弱者のままだ。一生かかっても這い上がれない。這い上がる余裕を与えられない。こうして肉体がぼろ雑巾のように果てるまで、権利を持った人間どもに吸い上げられていくのだ、と思った。
そうは言ってもこの絶望的状況を乗り越え、金を稼いだチョイスは不思議な充実感を得ていた。まさか1週間のすべてを労働に費やせる力が自分に残されているとは露ほども思わなかった。
家賃を支払って残った少しばかりの金で普段は飲まない缶チューハイとビーフジャーキーを買って、およそ1ヶ月ぶりの配信をすることにした。
「久しぶり~死んだかと思った」
数人の常連が来てくれたことにチョイスは安堵の涙を流しそうになった。事実、言葉に詰まっていた。
「あはは、いろいろあってね」
女にフラれた、などとはかっこが悪くて言えず、チョイスは頭をかきながらゲームに興じた。久しぶりの配信でうまく話せるか怯えていたが、酒の力もあってか思いのほか流暢に話せた自分に驚いた。こればかりはささくれたチョイスの心も、リスナーに感謝の念を隠さずにはいられなかった。
「初見です」
しかも新たなリスナーを獲得できた。チョイスはホテルマンのように静かにそして丁寧に接した。
「下手だね」
「あはは、初プレイだから、すみませんね」
「俺はこれ結構やってるから教えてあげてもいいよ」
「ありがとうございます」
丁寧に接してはいたが、面倒くさいのが来たなとチョイスは内心むっとしていた。だがこの男以外にリスナーはおらず、この不快感を中和してくれるコメントは来なかった。
「お前何歳?」
「33」
「ゲームやったことある?」
「もちろん」
「マジか、ちょっとあり得ないわ」
「何がダメ?」
「相手の動き読まないと、相手がどう来るのかなとか、味方がどうしたいかとか考えてやったほうがいいよ」
「なるほどね、ありがとうございます」
「彼女いるの?」
「あはは、いないいない」
「彼女作った方がいいよ、恋愛すると他人の気持ちわかるから上手くなるよ」
お前は今俺の感情を理解できているのか? とチョイスは沸騰寸前で彼を馬鹿にして心を静めた。
「俺はまぁ配信者と付き合ってるけどねw」
「へー、かわいいんですか?」
「うん、かわいい、巨乳だし」
「よかったね」
「俺ニートだけど家事とか全部やってくれるからホントにいい子」
「ほう、それは幸せにしてあげないとね」
「俺は全然気を遣わなくていいよって言ってるけどめっちゃ尽くしてくれる」
「……彼女は幸せなのかな?」
「うん、俺と一緒なら幸せらしい、でも今他の子気になってるw」
「……それはダメだろ、あはは」
「その子にDM送ったらさ、今度会うことになったw」
「バレたらどうすんの?」
「えー、まぁ新しい子いくかな」
「今の子めっちゃいい子じゃん」
「まぁどっちでもいいかな、養ってくれる方にするw」
「修羅場にならないといいね」
「ていうか俺も配信してるけど、配信者に寄ってくる女とか正直メンヘラじゃん?」
「……まあちょっとわかる」
「いつか女性リスナー集めてオフ会するわwその時呼ぶねw」
「……死ね」
チョイスは男をコメント欄から締め出すと、そのままの勢いで配信を切った。クズ男の思考は理解できない、と彼を投げ飛ばす妄想をしながらそのまま布団に転がった。
酔いの火照りと怒りの興奮が相まって頭痛が起こる。
チョイスは彼の身勝手で失礼な言動に怒っているのではなかった。あの男が鏡に映った過去の自分のように思えて受け入れられなかったのだ。
彼女を幸せにする。
自らの体内から出たはずの言葉が彼の心臓に重くのしかかった。
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