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Our Whereabouts 往復書簡

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サードブロガーいぬじん氏と、テンポラリー育休ニートぺりおとが、お互いの小確幸を綴る往復書簡。 ※記事内のマガジンへの固定リンクはユーザー名変更により、デッドリンクなってしまってま… もっと読む
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2019年2月の記事一覧

肩書きにとらわれてたので肩書きを作った

ということで、年寄りすぎず若杉もしない俺としては、なるべくフットワークとれるようにしたいという感じで生きてます。会社変わるのとか、引っ越しできるのとか、所帯持ちにはなったけど、流動性を持てたら良いなと思ってるのでした。 流動性かあ、ずっと同じ会社、同じ職場で働き続けているので、流動性は全然ないなあと思った。 最近は「創造コンサルタント」という怪しい職種を作りまして、それを名刺の肩書きにも入れてまして、まあもうちょっといい言葉はないかなあとまだ考えてはいるのですが、意外とウ

広告代理店の未来予測ほど信じたくないものはない

ぺんぎん氏は最近、世界の為替相場、株式市場をチェックするのが日課ということなので、新時代にはどんなことが世界や日本で起こりそうなのか、感覚的なことでいいから教えてほしい。 ぼくは、ぺりお氏からそうやって新しい世界のことを教えてもらうのが大好きだからである。 続きまして後編。前編は星野源と前野隆司と計算高さと、というお話でした。後編は新時代についてということで。元号改定というのは新しいセンチメントをうむよね。これはたしか内田樹が書いてた。グレートリセットというかね。そういう

嫌いという感情ほど自己理解と直結している

相変わらずクソと思われる銀行サービスを待ちながら書簡を読んだ。AIとかじゃなくてもいいけど、構造的にリテールの窓口業務とか誰も得しない尊厳を損なわせるだけの仕事に思えたのだった。単に待合のあいだに子供あやしに忙しい中デビットカードの営業をされたというだけです。パーミッションなしに営業してくるとかハッキリ言って今は罪でしょう。それにしても長い待ち時間でした。緑の銀行。 さて、いい記事で返信したくなった。嫌いな人の話のところと今後の社会みたいなところとふたつ分けて書きたい。今

嫌いな人は自分の嫌いなところ

https://note.mu/perio/n/n19156963e6ae 星野源さんという方を詳しく知らないのに申し訳ないのだがあまり好きではなくて、おまけに理由はなんだか計算高そうだから、というまたひどい理由なので本当に申し訳ない。 前野先生が書いていたが、好きじゃない人というのは自分の好きじゃない部分が投影されてる可能性があるらしく、ということは、ぼくは自分の計算高い部分が嫌いなのかもしれない。 たしかにぼくは計算高いところがあって、こうやったらこんな反応があるだ

ライトに返信。もとい変身

タイトルに意味はない。今日は早く寝るのでクイックにお返事しようと思った。細かい不調の内容には触れないwしかし、いろいろと抱えているなーと思ったのでまた近々駄弁りたいものです。 最近のお気に入りの小説やら映画。うーむ、じつはあまり触れられてないのだが、気になっているのは3月のイーストウッド新作映画。主演だが、年齢的におそらくラストになるだろう。麻薬の運び屋(実話)の話らしい。もうすぐ公開。 小説は読んでいない…だが、夏目漱石ちゃんと読もうかなモード。 音楽は、もうすぐ出る

幸福なだけの手紙じゃつまらない

ぺんぎん氏に、ひょっとして何か不全感を抱えているのでは、とお気づかいいただいた。 それで、自分で気づいてないだけで、なんか不全感があるのかもしれない!と思ったので、心当たりのあるものを挙げてみる。 ●体調 まずあんまり体調が万全ではなくて、持病の椎間板ヘルニアが季節の変わり目で辛いし、花粉症も先週から出てきたし、しばらくデスクワークが多くて運動不足だし、合気道の稽古も全然行けてないし、せっかく暖かくなってきたのに身体を動かしてないなあとか思う。 ●子どもの宿題 子ど

タイムイズマネーというだけの発想は危険というかそもそもマネーは時間とともに利子がつくよねというお金脳

久しぶりの書簡を心待ちにしていた。時間がテーマか。あまり面白いことを書けなそうなことを先にお断りしておく。 まずはいつものように総論的にかんがえてみる。時間はたしかに貴重で、言い古されたかもしれないが、誰にとっても時間は平等(というより貴重)ということかと。アテンションエコノミーと言われるが、それは時間という可処分所得を奪い合っているということでしょうから、広告にとってはマスメディアはネットとか他の生活接点に機会を取られていくということがありますわな。コピーライターが一見下

時間を奪い返せ!

500日あったら何をするかなあと思ったのだが、微妙な長さである。 しかし、たとえばこれが自分の人生に残された日数だとしたら、けっこう意味合いは変わってくるようにも思う。 結局、人間というのは期限とか締め切りとか、あるいはその締め切りから逆算してあと何日とか、そうやって追い込まれないと具体的な時間の長さ(あるいは短さ)をイメージできないのかもしれない。 もうちょっというと、はたして本当に人間は時間の長さというものをどれぐらい認識できるものなのだろう。 TVCMを作ってき

1年半の育休を、日数にすると500日だ。どんな印象だ?

思いがけず千葉の方は雪が積もっているらしい。私はといえばエリアは違うが、昨晩のうちに洗濯ものを干しており全く乾かないだろうなあと思いつつそのままにしている。三連休も最後の日ということでいかがお過ごしでしょうか。私は昼に帰宅する妻子待ちで昼食の仕込みやらながらに遅く起きたブランチで気だるくワイドショーを流し見しつつ過ごしております。 昨日は晴れた日だったので、いろいろと散歩したが風が強かったので寒かった。アホみたいに品川界隈を1万歩以上歩いていてお腹が減ったのでご褒美がてらラ

dagを三度続けるとグダグダになる

都心はそれほど大雪にはならなかったようだ。 大阪は雪自体が珍しいので、大雪といってもあまりピンと来なかったのだが、数年前、たまたま東京で撮影をしていた日に大雪になって帰れなくなった。 宿を探したら歌舞伎町近くのホテルしか空いてなかったのでそこに泊まったのだが、翌朝、疲れきった顔のキャバクラ嬢やホストがビニール傘を杖代わりにしながらみんな無言でザクザクと南極越冬隊みたいに行軍しているのを見て、ああこれが東京の大雪なんだなあと思ったのを覚えている。 さて、ぺりお氏がファミリ

なんでもありなのが往復書簡だからきっと

特にテーマもなくバトンされてきたわけだけど、往復書簡というのはそういうものだよな、なんということもなくつらつらとやりとりすれば良い。なので、人生論をそのままお返しするもよし、話題が逸れるも良しで進めてみたい。 お互いの会話のキャッチボールで、打ちやすいコースでなく投げたいコースというのは、自分もいぬ氏に対して、昔なにかに違う表現で示した記憶がある。どこかなと思ったらここにあった。 http://andragogy.hatenablog.com/entry/2018/07/

実は割と満足のいく人生だったりする

ぺんぎん氏とのやりとりはいつも楽しくて、それはなぜなのかよくわからないけど、彼はいつもぼくにいい感じのボールを投げてくれて、でもぺんぎん氏は決して、ぼくが打ちやすい球をわざと投げているわけではなく、自分が投げたいコースに投げているだけで、しかしそれが絶妙にぼくがバットを振りたくなるところに飛んでくる、そういうところが好きなように思う。 死ということや、中年を迎えてのこれからの人生、というあたりはこれまでもやりとりしてきたわけだが、ちょっと間が空いたので、あらためて、ぺりお氏

俺の屍を超えるも超えないもない。決めるのはその人だけ。

週末は弔事に出ていた。身内に不幸があり、通夜、葬儀とお別れの場であったのでお返事が遅れた。自分自身も数年前に続けて祖父母を亡くしてそのことを思い出した。今の自分は寄り添いとかそういうこと、人から言われても説教がましくしか聞こえないのだが、ただただ、役割を果たそうとした。私がメインの場ではないので、ただそこにいるだけ。それも意味があることではないかなと考えている。 さて、今回はこんなお尋ねをいただいた。 それで、ぺんぎん氏に聞いてみたいのは、これからの世界は、そうやって好き