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“楽しむ”を選択する

今から20分休憩時間です。

そう言われたら皆さんは何をしますか?

スマホを見る。寝る。コンビニに行く。色々ありますよね。

今の質問に"ドッチボール"って答えた方はいましたか?



私は今、アルバイトとして個別の塾で講師をしています。そこで先日、小学生の男の子の授業がありました。個別の塾では、勉強に苦手意識を持つ子が多いので授業への導入をスムーズにするため、授業前のコミュニケーションを大切にしています。生徒について知るためにその子の好きなこととか、学校のこととか色々お話しするんです。私も彼のことを知るために学校の話をしていました。

その話の流れで、『休み時間は何をするの?』と聞くと、『ドッチボール!』と返答が帰ってきました。その時は、『おーいいじゃん!楽しそう』と思って特に疑問を持つこともありませんでしたが、授業後にふと思ったんです。『あっ私も小学生の時、休み時間にドッチボールしてたな』って。

小学生の時は、20分間の休み時間に丸ふみ(缶蹴りの缶の代わりがマンホール)したり、鬼ごっこしたり、遊具で遊んだり、ドロ刑したり。ドッチボールするためにコートを確保しようとして休み時間になった瞬間に校庭まで猛ダッシュもしていました。休み時間という20分間の時間を最大限楽しむことに使っていました。小学校の頃の休み時間は外に居た記憶が残っている方も多いのではないでしょうか?

今思うと、子供の頃って何に対しても全力だったなと思います。友達を呼ぶにも力の限り声を振り絞ったり、赤信号になる前の横断歩道を渡るために50m走と同じ速度で走ったり。本気で喧嘩して泣いたり、馬鹿みたいに大きな声でのけぞりながら笑ったり。本当に何に対しても全力でした。その分すぐ疲れて、夕方にスイッチの電源が切れたように眠ってしまって夜ご飯のために起こしてもらってました笑

私たちはいつから、休憩時間に休むことを覚えたんでょうか?

大人になるにつれて、"省エネ"を覚えて使いこなすようになったなと思います。全力で大きな声を出すこともなくなったし、もう全力ダッシュを何年もしていない気がします。喧嘩もめんどくさくなって、思ったことを言わなくなったし、のけぞっては笑わなくなりました笑。でもスイッチが切れたように眠ることは今でもあります笑

人生の力の抜きどころと言ったら大袈裟ですが、それでも手を抜いても大丈夫な"物事"や"頃合い"を大人になるにつれて習得したんだと思います。もちろん、いつもいつも全力で居続けることは疲れるし、それが無理だったから手を抜いても大丈夫な部分を覚えていったんだと思います。

でも最近自問自答してみたんです。

『気が付いたら楽ばかり選んではいないか?』と。

走るより歩く。階段よりエスカレーター。お風呂よりシャワー。皆の前で反対意見の発言をするより黙る。分からないことを考えないで人に聞いたり、スマホで調べたり。本を読むのが遅いからとYouTubeで本の概要だけ見て学んだことにする。

楽じゃなくて楽しいを考える


これは、私がコロナの自粛期間にハマって読んでいた漫画、ハイキューのセリフの1つです。チームメンバーの中で常にエースとして活躍してきた選手が、大切にしてきた言葉です。あの時も胸に刺さる言葉だったんですけど、今考えてみると水に浸らせた油揚げのように、ジワジワと胸に染み込んでくる気がします。

小学生の頃の、全てに100%の力でいる姿勢は確かに非効率的で計画性もなかったけれど、今思い出すと単純に楽しかったなって思うんです。

別に今が楽しくないとか、そういうわけじゃない。今だって十分楽しんでいるつもりです。

でも、どうしたら"楽しいか"よりもどうしたら"楽"か。合理的、効率的に考えるようになった気がします。

今省エネしている生活の一部を、たまには意味がなくても効率的でなくても全力で取り組んでみたら、もっと楽しくなるかもしれない。今は、"楽しい"にストッパーをかけているのかもなって。なんとなく、そう感じてハッとした気分になりました。

”楽しい”は難しいし、疲れるし、めんどくさい、非効率的。そうなのかもしれません。

でも、”楽”で簡単で疲れないけど、つまらない・楽しくないなら、私は前者の方が魅力的に思います。いつもは無理でも、”楽しい”を選べる人になりたい。

そんなことに気づかせてくれた生徒君、ありがとう。

昨日そんなことに気が付いたから、今日は朝30分早く起きて全力で掃除してみました。掃除自体がすごい楽しいわけではなかったけれど、綺麗になった部屋はやっぱり気持ちいいな~って思いました。明日も何か少し全力で取り組んでみます😊

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