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筋トレSDGs

声に出したい日本語part41
テレビを観てたらこんな言葉が聞こえてきました。。筋トレSDGs。筋トレも持続可能にしたいということなのでしょうか。それならS筋トレなのかなと思ったりします。

S筋トレ(sustainable muscle training)だとなにしてるかよくわからないですね。Sっ気のある筋トレなのかなと勘違いしてしまいます。普段は逆で使われてることの方が多い気がしますが。

筋トレSDGsだと筋トレでなにか開発しなきゃなって感じですね。筋肉産業。意外とありそうかもしれません。筋肉があればなんでもできますからね。

桃太郎のその後part5

桃太郎は生きる意味を見出せていなかった。今までやってきたことさえも虚しかった。むしろ鬼を退治したことに対しての罪の意識が強まっていた。

鬼という存在がいなくなり、平和にはなったけれど、孤独があった。おじいさんとおばあさんもいなくなり、守るものもなかった。ただそこにあるのは家にいる桃太郎のみであった。

桃太郎はどうすることもできなかった。周りに人もいなかった。しかし食べるものを自分でつくることができなかった。食べることができても野生の生き物しか獲得できなかった。

桃太郎は食べ物を求めて村を訪ねた。しかし、村人は桃太郎に怯え、見えないもののように扱った。鬼を退治した桃太郎は尊敬されるのではなく、畏怖されていた。鬼を倒してもなんのいいこともなかった。鬼を倒すことが正義だと思っていたことも間違いだったような気がしてきた。他を力でねじ伏せてもなんの意味もなかった。

ものを分け与えてもらえず、物々交換もできない。ただ生き物を狩り、水を飲むだけの生活であった。桃太郎はどんどん野生に近づいていった。

野生の桃太郎は考える時間がたくさんあった。やることがなかったからだ。強い桃太郎には獣を狩って寝る生活はつまらなく、単調な毎日の暮らしの中でできることが、考えることだけだったのである。

娯楽もなければ楽しみもなかった。ただ生き物を眺めたり、自然を観察したり、星の観察をした。ただ観察したからといって何の意味もなかった。誰と共有するでもなく、それをすることが段々と当たり前かのようになってきた。

野生界で桃太郎は一目おかれていた。しかし圧倒的な強さから野生の生き物も、桃太郎を恐れていることに変わりはなかった。ただ、食以外には優しさがあった。あらゆるものを観察していた桃太郎には、自然のあり方が備わってきていたのである。

欲する以上の無駄な食はせず、無闇に自然に対して危害を加えなかった。蓄えることもせず、困ったときにはただ辛抱強く待つことで過ごしていた。困っている野生動物がいれば助け、だからと言って過干渉もしなかった。己の利益と自然の利益の天秤を保っていた。

桃太郎は生物として強者になるわけでもなく、死を選択することもなくただただそこに存在していた。そうすることが、桃太郎の精一杯の生活でありそれ以上もそれ以下もなかった。

やがて桃太郎は狩人によって殺された。ただそこに存在しているだけであった桃太郎を、村人たちは排斥しようとしたのである。自然にとって優しい桃太郎も、人からすると恐ろしかったのである。

無駄に採集をしようとすると脅かされ、うかうか山にも入れない状態が、村人にとって気に食わなかったのである。

桃から生まれた桃太郎は山の土に還りました。

おしまい

私が生きることができるようになります。