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白鳥

ウェス・アンダーソン監督の「白鳥」を観ました。
いじめの話で、1人の男の子が2人の男の子からいじめられている状況を淡々と描いた作品でした。

酷い仕打ちをしている途中で白鳥が出てきます。その白鳥が作品の中でどういった役割を果たすのかは見ものです。思い出すだけで少しぞっとします。

この作品を見終わったあとに、いじめは日常なのか、非日常なのかを考えました。「白鳥」という作品は非日常感に溢れる作品でした。というより、ウェス・アンダーソン監督の作品が、非日常感の強い作品が多いです。

一方で、いじめという行為は、ごく一般的な話題で、いじめられ方は環境によって違いはあれど、よく聞く話です。これを日常というのは憚られますが、それでも日常の一部のような話題ではあると思います。

おそらく、今もどこかで虐められている人がいる気がします。

こんなことを考えていると、今年観た「怪物」が思い出されます。いじめられていると思っていたら、そんなことはなかったみたいな話もあります。なので、一概にいじめについて敏感になるのもよくない可能性もあると思いました。

あの作品では、観た後で「怪物なんていなかったじゃん」みたいな気持ちになった気もします。ただよくよく考えてみると、DVやいじめ自体はあったので、もしかしたら怪物はいたのかもしれないなと思いました。

それも誰が悪いとか良いとか、怪物とか怪物ではないとかの概念を超えた、得体の知れない「怪物」が存在していたような気もします。

「白鳥」では明確ないじめが存在していました。しかし、本来はもっと曖昧な姿で捉えづらいものなのかもしれません。そんないじめという概念を少年たちや白鳥を通して、わかりやすく描いたものがこの「白鳥」で描かれていたんだなあと自分の中で変に納得してしまいました。

※あくまでも個人の感想です。

余談

映画を観るとまだまだ知らない世界や思考が現れてきます。感想を書くと、追加の思考も出てきます。思いもよらないところで繋がったりします。

考えてなかったことも考え始めます。あんまり考えすぎると映画では表現していなかった妄想まで出てきます。考えすぎもよくないですね。

ただ、「今の私はこういうことを考えたいのだな」と振り返ることができるのはいいことだなと思っています。感想を見返すことで、そのときの考え方が見えてきます。紛れもない書き残した事実が現れてきます。そこに残した思考をまた見つめながら、変化していく過程が残せたらなと思いながら、今後も文章を書いていきたいです。

私が生きることができるようになります。