映画:THE PLATFORM
4連休に入るということで久々に映画を家で見た。
見た映画タイトルの日本語訳はプラットフォームというもので、内容としては若干スリラー系であった。監督はガルダー・ガステル=ウルティアで脚本はぺドロ・リベロである。
舞台となる場所は穴というところである。主人公はその穴という場所に自主的にはいった。
穴という場所は、幾らかの階層で構成されている。1つの階層には2人分のベッドと1台の洗面台だけ用意されている様であった。
食事も一応は用意されているようで、上から1日1回降りてくる。
しかし、上層の人の残飯しか食べることができない設定となっていた。
上層の人は満足にご飯を食べることができるが、下層の人は食べることすらままならないようで、自殺をしたり他人を殺してその肉を食らっていたりした。
一ヶ月で階層はランダムで入れ替わり、100以下の階層になることもある。果てしない下層に自分もなる可能性に怯えながら穴の人は過ごしていた。
全員が協力すれば助かる可能性もあるだろうが、そんなことができる状況ではなかった。
互恵的利他主義という言葉があるが、そんなことは誰も考えないのだなと思った。現実でもコミュニケーションが取れないだけで安全であるはずの空間も崩壊してしまうのだろう。
この映画の本質とは関係はないけれど、報連相がないだけで全体のバランスを保つことが難しくなることが伝わってきた。
ただでさえ連絡が取れず、意思疎通が各層とできないにも関わらず、他人のことを考えることなど到底難しいことであろう。
飢餓の中、生き残りたい気持ちというよりかは、空腹の苦しさから他人の肉を食らっている感じがした。
水があれば3週間は生きることができるというが、穴の管理者はなぜ1ヶ月で層の交代を行うようにしたのだろうか。
人を殺そうとしているのは間違いない。
人が死んでいくのが楽しいのだろうか。
愉悦のためだけに作ったには壮大すぎる。
考えてもキリがないなと後日考えながら思った。
上の層から降りてくる女や、それに関する噂、穴の構造、最後のシーン、、、などなど思考する余地がかなりある作品であった。
「私利私欲で生きる人の汚さを表現した作品」という枠組みだけでは収まりきれない何かが、この映画にはありそうである。
私が生きることができるようになります。