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普通と自然

普通な体型、普通の生活、普通な環境。普通という言葉は便利だしよく聞く。将来はどうしたいですか?と聞くと普通な生活がしたいという人だっている。平均的なごく普通の生活というのに憧れがあるのかもしれない。

その普通は本当に普通なんだろうかとも思いながら、何気なく生きていた。私が普通に〇〇ですよ、と説明していてたまに聞き返されることがある。その普通ってなんですか?と。私が思っている普通像、平均値を言うと納得してくれる。これが私の普通の使い方。

ただあまり日常会話で平均値の話なんてしないなと思った。普通の生活に質的、量的な平均値を当てはめるのは難しいだろう。それぞれに違った生活があるのだから。なので、結局は自然でいられる生活がいいのかなとも思ってくる。

無理して普通になるより、環境に適応した自然な生活の方が案外楽なのかもしれない。自然物を置く、とかではなく自然に人工的な場所で暮らす、みたいな感じ。

暑いのは嫌だから冷房をつけるのも自然。雨が降っているから傘をさすのも自然。そんな自然の動作の中で生きていきたいのかもしれない。災害があってもそれは自然の一環だったりする。

ただ、あまりにも自然に身を任せるのも良くない。自然体であるための努力が必要である。言葉ではわかっていても、これがなかなか難しい。ありのままの姿見せるのよ〜という歌が流行っていたのもなんだかわかる気がしてきた。少しも寒くないと強がるのは、果たして自然なのかどうかはわからないけれど。

私が生きることができるようになります。