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読書:正夢

夢野久作の正夢を読んだ。

乞食がダイヤモンドがはまっている金の指輪を拾い、それを自分のものだと主張する跛の乞食とその指輪をどうにか自分のものにしようとする禿紳士の話である。

最終的にはハッピーエンドでおわる。

とても失礼なのだけれど、夢野久作に対して大団円で終わるものは書かない小説家であるという印象を持っていた。

読み終わったあともしばらくは本当にハッピーエンドなのか疑い、何回か読んだ。

以下、ネタバレ注意





殺された乞食

今回の作品では乞食がさりげなく一回殺される。
そして、優秀な医者が蘇生する。
この展開がまず気になった。

乞食はダイヤモンドがついた金の指輪を拾ったといって、それを自分のものだと思った跛の乞食に殺される。更にそれは夢の話で、勘違いから乞食は殺されたことになる。

理不尽すぎる。

その後禿紳士から解剖されることになるのだけれど、それより最初にいきなり殺されるところが衝撃的過ぎた。

その当時の乞食に対する扱いや、命の軽さを感じてしまう。

また、生き返ることも不思議である。死因がなにかもよくわからないので何とも言えないが、人の家で医者が死人を蘇生できることが少しだけ気になった。


二人の子供

禿紳士の娘と男の子がこの作品にはでてくる。
その二人がたまたま乞食が解剖させられる部屋にいて、乞食を生かしてほしいと医者に頼んだことにより、乞食は生き返る。

見ず知らずの死体の解剖は確かに見たくない。
自分で解剖するように指図して解剖するならまだしも、自分の父親が解剖城と命じたものをまじまじとは見たくない。医学生くらいしかそんなことはできないだろう。

夢野久作はこれを書いたころには人の死体の解剖に見慣れていたのかもしれない。ただ、それは当たり前なんかじゃないとどこかで思っている自分がいて、その感情を子供として登場させたのではないだろうか。

この作品は第一次世界大戦が行われた翌年に書かれたものである。

日本国土で戦火は上がらなかったが死んだ人は多くいるだろう。その影響もあるかもしれない。日本の景気は少しの間よかったが、貧富の差は広がるばかりであった。

まだ乞食は日本に大勢いたし、食糧不足で亡くなる者も少なくなかったはずである。

生命の儚さと大切さをこの作品で表現しようとしたのかもしれない。



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