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記録する87

大仏を見よう

よく使う電車から大仏がみれると教えてもらったので、大仏チャレンジをしました。見える方向も確認して電車の窓際で待機。

夜だったのでライトアップしているようで、目立っているだろうなと思いながら窓の外を眺めていました。撮れそうだったら写真も撮りたいなと思いながら。

大仏が見えたときには、もう駅に着いていたと言っても過言ではないほど、その瞬間はあっという間でした。紫っぽく光った大仏を認識して、「あ、大仏だ」と思ってカメラを構えたんですけど、撮れたのは大仏の残像だけでした。なんか紫っぽい何かがそこにあるだけでした。悲しい。

もっと明るい時間帯で見た方がいいかもしれません。夜は無理だとそこで気がつきました。

翌日の電車で撮ろうかなと思っていたんですけど、気づいたときには通り過ぎていました。完全に寝過ごしました。

チャンスは何回もあるので、明日また頑張ってみたいです。眠気に勝って、忘れないようにしなければなりません。

どうしても見たいなら降りればいいんですけどね。

小学生の感想文みたいだな

某会社の謝罪文に「小学生の感想文みたいだな」とコメントがあるのを見つけてしまいました。プレスリリース用だったこともあって、社会人っぽさがないことを非難したかったのだと思います。

このコメントを見て、世の中の人の中には「小学生並みの感想」、「中学生並みの感想」、「高校生並みの感想」、「大学生並みの感想」、「社会人並みの感想」という基準があるのかなと疑問に思いました。

今のは小学生並み、あの文章は大学生並みなどと感想に対して毎回ランク付けでもしているのでしょうか。となると私の記録も、小学生並みの記録だなとか思われているんだろうなと思ってしまいます。

急に他者の目を気にすると書く気が失せてしまいますね。このnoteで稼いでいるわけではないので、小学生並みでもいいやと思うことにします。

もちろん、面白い文章は書きたいです。ただ、あまり凝りすぎたり、考えすぎたりすると何も書けなくなってしまいます。それはあまり良くないなと思っていながら文章は書いています。結局は何かを作り続けたり、考えたり、成したりすることが大事だと思っているので。

デザインとも似ています。デザインも上手い下手があります。それをいちいち〇〇並みかどうかなんて判断してられません。デザインの流行や手法も年々変化していきますし。企業が出してる商品のデザインで大学生並みのものもよく見かけます。それをいちいち批判なんてしません。大学生並みのデザインを商品化することって案外大変だったりしますし。

とりあえず、小学生並みでも書いていくことにします。いつの日か中学生、いや老人並みの文章を目指して。

私が生きることができるようになります。