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私とものがたりの関係性について

私は本が好きだった。

今も好きだ。

だけども、私は読書家では無い。多分。


読書家には笑われそうだけど、これは私の中に確実に同居している感情だ。


小学校。いつの間にか、男子とは下の名前で呼び合わなくなり、私が男の子を下の名前でまだ呼んでいるのを見た女子たちは何故か私を名字で呼び始めた。あからさまに生まれる距離。どうでもいいけど、寂しかった。学年が上がる度に友達が少なくなる感覚。実際仲のいい人と別のクラスになることも多かったのだけど、それだけが理由じゃなく、まるでそれが当たり前であるかのように生まれた距離はとても寂しいものだった。


だから、現実を生きなくてもいいように、休み時間はとにかく本を読んだ。難しい本なんかじゃない。青い鳥文庫の恋愛モノなんかを中心に、端から、好きな著者のものから、ぶわーっととにかく読んでいく。その頃、有名な文学作品に触れていたら、私の語彙力や知識もちょっとは違っていたんだろうか、なんて思うけど、ただただ、現実から離れたかった私には、難しい文章を読んでいく余裕がなかった。物語の世界の中に潜り、そこで息をして、チャイムが鳴ったら現実に戻る日々の繰り返し。

そんな日々の中で出会ったのが、テレビドラマだ。小学生、いよいよ高学年に上がるくらいの頃。一番最初に見たのは秘密の花園。当時夜10時まで起きるなんてそのドラマがなかったらきっと許されなくて、でも母もそのドラマを楽しみにしていたから、なんとなく許されていたような気がする。

本の中でしかほとんど見た事がなかったキラキラした恋愛の世界を、役者さんたちが演じて、現実化してくれる面白さに気付いてしまった。末っ子役の本郷奏多さんの演技に吸い込まれるようにしてドラマにハマり、そこからは毎週、テレビドラマを楽しみに生きるようになる。休み時間は本を読んで、家に帰ればドラマが待つ。そうやって、私の日常はものがたりがほとんどを占めるようになった。

秘密の花園の放送が終わると、山田太郎ものがたりが始まる。嵐という存在をふわりと知ってはいながらまだまだアイドルというものをわからずにいた私は、二宮和也という役者の存在を知るのだ。そこから数年して嵐のアルバムを買うようになるほど好きになるだなんて思わなかったけど、二宮さんの主演ドラマが決まる度にワクワクして、見せてくれる表情に心を躍らせた。かわいいお兄ちゃんも、どこ偏りなく見えてしまう若者も、愛が無いようにさえ思える闇のある男も、違和感なくそこに存在し、でも別の日に彼を見ると、メンバーと屈託なくキラキラとした笑顔を見せているのだからズルい。そしてまた、音楽番組ではまた違う表情を見せられるのだから、アイドルにハマってしまう人が多いのなんて当たり前の事じゃないかとおもったりする。


余談だけど、その後好きになった役者は、横山裕さん、中島裕翔さん、有岡大貴さん、重岡大毅さんで、これほどまでにギャップや成長を見せられるのか……と思いながら追ってきている。時にアイドルが出るドラマというのは現実味がないものも多いけど、私にはそのくらいでちょうど良かったし、その美しい顔立ちで演じられるそれらは私にとっては本当に現実から切り離されたような世界に見えて、とてもとても美しかった。

中学までは読書と並行して楽しんでいたテレビドラマは、高校に入ると、私の学校以外の生活の全てのようになっていた。

高校では演劇部に入ったこともあり、そこがとても忙しく、読書をする時間なんてほとんど取れず、私が触れていたのは自分たちが上演する舞台、また、地区や県で他校が上演する舞台、それとテレビドラマだ。

演劇部の入部理由も、きっと舞台が好きな人たちとは全く違って「物語を演じる人になりたかった」というちょっとおかしなものだった。でも、自分自身が、現実世界とは違う次元に生きているようで、その舞台に立っている間は全てを忘れることを許されていたから、その楽しさは計り知れない。勿論、テレビドラマや映画の中で活躍している役者のように素晴らしい表現力は無かったから、たくさん指摘されたし、悔しい思いは何度もしたけれど、それでも3年間、自分以外の何かになり続けることが出来た放課後は私にとってかけがえのないもので、その頃も変わらず夢中にさせてくれていたテレビドラマは、私に表現の方法を教え続けてくれた、教科書のようで、それだけではない、そしてまた夢を見せてくれる存在だったように思う。舞台に立つ仕事は選ばなかったけど、それで良かったと思うし、でも、またいつか、機会があるのならまた何か表現する世界を楽しんでみたいと思う。


高校を卒業してから、自分は舞台に立たなくなったけど、生で没入する面白さに気が付き、年に1、2度舞台を観に行くこともあったし、映画を見る回数も少しだけ増えた。

そして、幼い頃、私にたくさんの世界を与えてくれた図書館でいつかは働いてみたい、という気持ちがあり、司書の資格をとった。

テレビドラマは、観るものと観ないものがあったけど、それでも私の心を掴んで離さなかった。中でも窪田正孝さんの表現が本当に本当に好きで、どこか大人しそうに見える本人の姿とは裏腹に、色んな役をさもそこに存在しているかのように演じてしまう窪田さんは凄い。

他にもコードブルー3rdシーズンは役者全員好きだったな、とか、アンナチュラルは本当に最高だったとか、そういえば、孤食ロボットの可愛さには名古屋でのヘルプ期間中何度も救われたな、とか、自分の人生を振り返る上で、テレビドラマは切り離せないものだったりする。


きっと世の中には、私より本を沢山読む人もいれば、ドラマを全制覇している人もいるだろうし、

その逆の人も少なからずいて、本を読まない人も、テレビドラマを見ない人もいるのだろう。


でも、私にとっては、物語を見せてくれる、という意味で、本も、テレビドラマも、人生とは切り離せないものなのだ。幼い頃は現実から離れるために見ていた世界は、成長して、ドラマの主役に自分の年齢が近づくようになると、少しずつ、自分の人生と重ねていけるようになり、それが明日を頑張るエネルギーになることもある。時に主役の年齢が私より年下の時も少なくなくなってきたけれど、そのおかけで、自分の過去を全否定することなく、あんな日々も楽しかったな、なんて穏やかに振り替えれるようになってきた。


現実逃避の魔法を使うかのように、ただただ逃げてきた私だけど、大人になって、なんとか、自分の人生を楽しめるようになっている。それはきっとあの頃、架空の世界に逃げてでも、なんとか、ここまで生きてきたからなんじゃないかと、ポジティブに考えてみる。ちゃんと現実で積み重ねた人生も、今になって活きているのだから、その頃は何の役にも立たなくたって、後になって救われることがあるのだと思う。

今だって、苦しいことは時々起こるけれど、それでも未来に役立つのかも、と思えば頑張れたりするかもしれない。あまりに苦しかったらまた物語の世界へ飛び込もう、本を読んで、ドラマを見て、うっとりと、空想の世界へ飛び込もう。そして現実に戻った時、その世界での学びをなんとか活かして明るく楽しくやっていけたらよいな、なんて思う今日この頃。

過去と未来とを考える、とてもとても長い、日記のようなもの。

サポートを下さった方、私の言葉をほんの少しでも好きだと思っていただき大変嬉しく思います。美味しいご飯か、魅力的な本か、大好きな映画に。