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喪失を知っているという強さ

昨晩書いた下書きなのですが、一晩経ちまして、嬉しいことに杞憂でした。書き直しも考えましたが、その時にしか書けない気持ちでもあり、そのまま公開させて下さいませ。

私のアイコンにもなっている猫ちゃん、彼女が手術を受けてきました。

虫歯のようなもので、歯を3本抜くという比較的簡単な手術だったのですが、やっぱりそこは小動物。全身麻酔が必要なんですね。

この全身麻酔、体に負担がかかるものです。その昔、この全身麻酔で悲しい思いをしたことがあり、不安でしょうがない一晩を過ごしています。

つい先ほどまで横にいて、喉を鳴らしていたのですが、朝目が覚めた時に、再び隣にいてくれるのか不安で不安でたまらないのです。

ただ、不安というものは漠然とした感情に過ぎません。それ以上の、実際の喪失を知っているということは、悲しいことではありますが、非常に強いものです。

不安は確かに恐ろしいものではあります。ただ、それはあくまで抽象的な恐怖に過ぎず、本当の喪失感には敵わないものです。

人間どんどん逞しくなっていくもので、不安の先まで経験していると、今の状態はまだ不安の段階に過ぎないと高を括ることが出来るようになります。

この経験の幅を梃子にした、不安の克服というのは、人生のどのような分野においても有効です。

お仕事でも、漠然とした不安ではなく本当の恐怖を経験をした人は、そう簡単に不安な気持ちを口にしないものです。

私もお仕事で、幸か不幸か結構本気の恐怖を感じたこともあります。それに比べれば、大半の仕事は大したこともないかなと感じられるようになってしまいました。

話は飛びますが『新ロードス島戦記』で闇の精霊の試練というものが出てきます。漠然とした恐怖を与えられ、それを乗り越えて進み、試練場の最奥に至るという試練です。

それを乗り越えるには、実際に本当の恐怖を経験することが必要、というお話なのですが、これは本当にその通りだと感じています。

一度、経験しているということは何事にも代え難いことです。そして、その体験の幅が広いほど、耐えられる体験の幅も増えていきます。

そのため、たとえ悪いことを経験したのだとしても、捨てたものではありません。その体験を乗り越えた先には、強い自分が待っているのです。

なーんて、偉そうに書きましたが、まあ不安なものは不安です。ただ9割方大丈夫だと思っており、だからnoteを書いていられるということもあります。

ちょっとパーソナル過ぎることだったので書くか迷いましたが、部分的にでも話の他の方のお役に立つ部分もあると思い書いてみました。

何卒、ご笑覧頂けますと幸いです。

なんでもない、普通の日常を大切に。

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そして、君とまた迎えられた今日に、心からの感謝を。

ではでは。


<このnoteを書いたしょこらはこんな人です>


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